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オリガさんに錯乱魔法を解いてもらったおかげで、俺はもう霧に惑わされることは無い。しかし、そうはいっても慣れない森で迷うことなく目的の場所まで行くのは難しい。だからこうして森に出た以上、ウリヤーナの手を放す気は無かった。
「なあ、そう言えばウリャーニャは」
……噛んだ。
「………………」
ウリヤーナから冷たい視線を貰う。俺は何でも無い様に言い直した。
「……ウリャー、ナ、は、転移まほう使えないのか?」
「…使えるに決まってるじゃない~。いきなり何を言い出すのよ~?」
まだうまく言えなかったが、強引に話を進めるとウリヤーナもスルーしてくれた。こいつ、意外といいところあるじゃねーか…!
「だって、赤の集落から緑の集落まで歩いて行こうとしてるだろ? 今」
「そ~れ~は~。魔女の集落間での転移ができないからよ~。もう少し離れてからじゃないと転移魔法が使えないのよね~」
「へー。めんどうだな」
それってやっぱり派閥争いを防止するためとかかな?
「貴方滑舌悪そうだし~、呼びやすいように呼んでいいのよ~?」
ウリヤーナからの突然の申し出に驚く。勝手なイメージかもしれないが、彼女は馴れ合いとか嫌いそうだったのに。あだ名で呼ぶ許可を誰にでもするようには思えない。
「うーん…じゃあ、ウリャーで」
「…敬称無しでこのわたくしを呼ぶなんて生意気~。まあ今は貴方、魔王だしね~。大目に見てあげるわ~!」
当然の事といった雰囲気で言ったウリャーに驚く。俺、やっぱりまだ魔王だよな! …じゃなくて。そういえば彼女は、俺を初めて見たときから魔王だって知っていたよな。結局何が原因でバレたんだろう。
「ど、どうしてま王だって分かったの?」
「馬鹿ね~。森に入ったとき、貴方魔力垂れ流しだったじゃな~い。あれで気づかない方がおかしいわよ~。……こ~んな未熟な魔王なら楽勝で倒せると思ったのに~!」
心底呆れたという表情で説明してくれたウリャー。でも最後の一言はちょっと悔しげだった。
そ、そうか……。俺はよくわかんないけど、どうやら魔力を垂れ流していたらしい。レオンさん、一言くらい言ってくれてもよかったんだよ…?
レオンさんが言っていたように、俺みたいな雑魚が魔王だと魔王の座が狙われやすくなるのは本当みたいだ。そうか。それが理由で俺を殺そうとしたんだな、この女。正直怖くてたまらなかったんだが、理由なき衝動的殺意ではなかったので、ちょっと気持ちが落ち着いた。無差別殺人犯って怖いからさ。いや、理由あっても怖いことに変わりはないけど。
「今は?」
ウリャーの雰囲気は、初めて会った時より親しみやすさが出ている。だとすると、今はもう俺を殺そうと思っていないのかもしれない。そう思いきいてみると、ウリャーは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そもそも~、わたくしが魔王になろうと思ったのは、あの女に一泡吹かせたかったからで~。あの女に今回の事がバレて怒られちゃったし~。もういいって感じかしらね~」
「あの女?」
「族長よ~。も~ホント嫌になるわ~!」
キーッと言いだしそうな雰囲気で嘆く彼女を見ていると、とても俺の百倍生きている魔女に見えない。単刀直入に言うと、行動が幼すぎる。そして一々言葉を延ばすので喋りがうざい。どうにかならないのか?
「ウリャーって、だまってれば可愛いのに、その性格としゃべり方で一気に残念になるよな」
だから親切心でそう教えてやったらウリャーは突然足を止めた。手を繋いでいたので必然的に俺も止まる。何事かと思いウリャー見るが、彼女は俯いてしまっているのでその顔が見えない。やべ、今の言葉は失言だったか?
こういう時、女性がする反応は二通り想像できる。
まず「可愛い」に反応しているパターン。これだったときは彼女は照れ隠しで下を向いているだけで、羞恥や嬉しさでその顔を真っ赤にしている事だろう。
そして、もう一つは――。
「貴方、死の恐怖を味わいたいようね?」
ゾッとするほど冷たい声だった。いつものような間延びした言葉遣いも消して俺にそう言ったウリャーは、間違いなくこの世界に転生してから一番の恐怖を俺に感じさせた。
「ひっ! ご、ごめんなさ――」
「もう遅い!!」
謝ろうとした俺の言葉を遮って青い光を全身から放つウリャー。俺は魔法に詳しくないので、彼女が何かを呟いてもその意味を読み取れない。魔法で何をされるのか想像もつかず、恐怖で震える俺にウリャーは残虐な笑みを浮かべて魔法を発動させた。
――そう。「残念」だと言われたことに対する怒りだったパターンだ。このパターンであった時、ひたすら謝り許してもらわないと、手痛いしっぺ返しが来ることを覚悟しなければならない。
そして彼女のこの様子からしても、これは間違いなく後者だ。
ウリャーが魔法を発動した瞬間、消える風景。違う。俺はこれを知っている。一年前に体験した事だ。そう。
「うわあああああぁぁぁん! なんでまた空飛んでるのおおぉ!!」
「あはっ! あはははは!! 無様~! なっさけな~い!」
俺は再び空に浮いていた。前回と違うのはウリャーと手を繋いでいる事。そして彼女のおかげで落下することが無いという事だ。
落ちたら確実に死ぬ高所にいきなり連れてこられ慌てる俺に、ウリャーは面白そうに、いや、俺を馬鹿にするように笑っているだけだ。
「ね~魔王様。わたくし、ブーツの紐がほどけちゃったの~。結び直したいから手、離してもいい~?」
「ダメッ! 絶対ダメ!!」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて俺を見ていたウリャーが、いきなりそんなことを言い出したので反射的に否定した。俺を殺そうとした前科があることも相まって、この女が本当に手を放すんじゃないかという疑念にかられる。させるか!
俺はとにかく必死になってウリャーにしがみ付いた。腕ではなく腰に腕を回す。なんか、交際していた彼女に捨てられてみっともなく縋りつく男みたいな図になった。でも怖いんだから仕方ないだろ!? ここから落ちたら確実に死ぬ!!
「え~どうしよっかな~? 今回の魔王様って頼りないし~。一度新しい魔王にした方が魔界のた」
ドスッ!
恐らく「魔界の為」と続くはずだったウリャーの言葉を、何かが遮った。ウリャーは空いている手で後頭部を押さえている。状況から見て、何かがウリャーの頭に当たったってことでいいのか…?
「いった~い! ……げ。あの女からだ」
最初は痛がっていたが、何かを察したらしいウリャーは、少し顔を青くしながら眉を寄せた。そして俺をチラ見して何かを呟く。でも俺はもう限界っていうか早く地に足付けたいって言うか、この際何でもいいので早く降ろしてください…! 勿論安全な方法で!!
視界が段々ぼやける。やばい。涙出てきた。
俺が死の恐怖に涙が出始めたころ、また景色が変わった。パッと見分からなかったけど、ここはアレだ。ウリャーと会った家。ということはここは緑派のコミュニティか。
ウリャーは家のドアについているベルを鳴らした。すると中から聞こえるウリャーと同じ声。え? こいつは外にいるよな? なんで内側からも声がしたんだ? え、まさか幽霊!?
「わたくしよ」
あり得ないと思いつつもビビりながら様子を見ていると、ウリャーはまるで一年前のオリガさんみたいなことを言った。なにそれ。もしかして、緑派の家は誰か聞かれたら一人称を答える決まりでもあるのか!? でもそれって他人のフリしやすくね!?
「ぼさ~っとしないで。早く行くわよ~」
悶々と考えていた俺に不思議そうに声をかけてウリャーは俺の手を引いた。そこにさっきまでの残虐性は見えない。
……女って、よくわかんないよな。
コロッと態度を変えたウリャーに、釈然としない気持ちを抱えながら付いて行く。そういえばここにいるのは俺とウリャーだけだ。オリガさんやナタリーさんがいない。
「なあ、ナタリーさんたちは連れてこなくていいの?」
「な~んであの女には敬称を付けてるのよ~。ホント生意気よね~。……ナターリヤ達はいいのよ~。どうせ後で来るだろうし、用があるのは貴方だけだし~」
「? ……ああ、そういえば族長が人間の子供を探してるんだっけ?」
「そうよ~。馬鹿だと思ってたけど意外と覚えてるじゃな~い」
オリガさんとエレーナさんが言い争っていた時に聞こえたことを思い出してウリャーに尋ねると、彼女は頷いてくれた。その後に続いた言葉は、褒め言葉として受け取ってもいいの? 貶されてる感が半端ないんですけど…。
廊下を談笑しながら歩いていると、ウリャーはある部屋の前で足を止めた。もう思い出せないが、もしかしたら一年前彼女と会った部屋かもしれない。そう思ってウリャーに視線をやったが、ウリャーは緊張した面持ちで扉を眺めていた。一度深呼吸をして手を上げる。
コンコンッ
「どうぞ」
ウリャーのノックに室内から入室の許可が下りた。ウリャーは恐らく無意識に、繋いでいる俺の手に力を入れた。きゅっと握られて、彼女の不安が伝わってくるようだった。
室内にいる人物は、どれ程恐ろしい人なんだろう。あのウリャーがこうも不安気になるなんて、よっぽどだ。聞こえてきた声は優しげな女性の声だと思ったんだけどな…。
そう思っているとウリャーが意を決したようにドアノブに手をかけ、扉を押し開けた。
扉が開き、中が見える。中にいるのは女性と――。
「レオンさん!」
一年前に逸れたレオンさんだった。俺は漸く再会できたことに嬉しくなり、顔を綻ばせた。そんな俺に、レオンさんは笑い返そうとして、直ぐに表情が強張った。同時にウリャーが肩を揺らし、ハッとしたように俺の姿と自分の姿を見た。
「ご、誤解! 違うの! これにはわけが――」
「ぎゃっ」
焦ったように言い募るウリャーの言葉は、最後まで続けられることは無かった。途中で見えない何かがウリャーを襲い、彼女を吹き飛ばす。そして手を繋いでいた俺を巻き込み、廊下の壁に激突した。え、俺完全にとばっちりじゃね?
背中の痛みに声が出せない俺たちに歩み寄る影。先程部屋にいた女性だ。
「お初目にかかります、魔王様。わたしはこの魔女族の族長で、エカチェリーナと申します」
丁寧な言葉と共に、にこやかに笑いながら金髪の女性は腰を折った。その洗練された動きと彼女の人形めいた美しさに思わず見惚れる。隣にいたウリャーはそんな俺を見て舌打ちをした。
――こうして俺は、魔王に就任して一年経った今、漸く魔族の族長の一人と出会うことができたのだった。




