宴
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
どおっ!と。
まるで噴火のように突き上げられたのはバエルのアッパーカットだ。
レオンハルトはツヴァイヘンダーから手を放すしかなかった。さもなければ手首をやられていただろう。
「なんてこった……」
大剣ツヴァイヘンダーが空高く飛んでいく。
「あっちは素手でこっちはツヴァイヘンダーで、なのにたいして傷もつけられなかったじゃないか……」
バエルの動きが洗練されている。
力任せだと思っていた。新潟港ではそうだった。いや、たった今、聖騎士団相手でもそうだったじゃないか。だから障害物だらけの林の中では有利だと思っていた。しかし今日のバエルは足を使う。ボクサーとは違う動きだが、確かに避け、回り込み、攻撃へと繋げる。腕も振り回さない。最短距離で拳が飛んでくる。これでスミス&ウェッソンモデル2という小型拳銃でとはいえ、足の甲に銃弾を無数に撃ち込んでなかったらどうなっていたことだろう。バエルにとっては縫い針で刺されたようなものだろうが、それだって影響は出る。
「誰がこんなクレバーな戦い方をコイツに仕込んだんだよ……」
銃を使っちまうか。
あそこに掛けてあるコートには準備しておいた銃ががあるんだよ。あれを使えばまだ形にはなるだろうさ。使い切ったってもう一度弾丸を詰めりゃあいい。聖騎士団だってそれくらい待ってくれるだろうよ。きっとさ……。
――ああ、おれの手なんかやっぱり届かないんだ――。
レオンハルトはその幻を見た気がした。
館が崩れていく。
最強の剣士、黒のシズカの気配が消えていく。ベルゼビュートの気配とともに。そしてなにもできないのはおれだ。
朝に見た夢だ。
結局おれではなにも掴めない。ただ泣き叫ぶだけなんだ。
しかし、飛んでいくツヴァイヘンダーへと伸ばされていた手がグッと握り締められた。
あきらめてしまえば!
あきらめてしまえば、おれはまた黒のシズカを守れなかった無力感で百年を過ごすことになるんだ! あいつは、おれを強いと言ってくれたんだ!
チャンピオンでなくても、おれは不屈だと!
おれをそう言ってくれたんだ!
レオンハルトはツヴァイヘンダーから目を切り、すうっと両手を構えた。
「なんだ、グラキア・ラボラス。おれと殴り合うつもりか」
「そうだ」
レオンハルトが言った。
「銃を温存したままおまえを倒し、そして聖騎士団もぶっ飛ばす」
「リオネル・フォン・アウエルシュタット」
と、バエルはその名前を挙げた。
「おれの親父だ」
「初代アウエルシュタット伯爵――先代グラキア・ラボラスの格闘技は名高い。おれを失望させてくれるなよ」
「ああ、そのつもりだ」
両拳を高く構え、レオンハルトは突っ込んだ。
「やあ、静」
自分が斬り殺したはずの薫が立っている。
静は薫を睨み付けた。
聖騎士団は戸惑っている。
静と薫、外見的な違いはほぼない。顔や身長だけではなく、胸まで。
「聖騎士団に告ぐ!」
薫が声をあげた。
「おれは奴奈川藩主の長男、奴奈川薫だ。そちらの国でいえば伯爵の子だ。そこの静も奴奈川家の子。これは奴奈川家の問題であり、手出し無用としていただこう!」
事実としては薫と静は出奔しておりすでに次の世継ぎが立っているのだが、正確に口上することもない。薫も自分が世子であるとは言っていない。
「静がそちらに与えた損害は奴奈川家として交渉することを約束する。それでよいな!」
「勝手なことを――」
「生きていたのか、薫」
騎士の言葉に被せるように静が言った。
「そうだ。生きている。静、おまえはなにかというと死ぬ死ぬというが――」
薫はボタンを引きちぎりシャツをはだけた。
そして指でなぞるのは静がつけた太刀筋だ。
「すぐに死ねるものだと思うなよ。おれのように斬られても死ななかったら、その後は地獄だ。激痛に地を這い、草を噛みしめるんだ。何日も眠れずに苦しむ。今でもときどき疼く。乙女が考えるほど死は楽じゃないぜ」
「ああ」
と静が言った。
「私も両足の腱を斬られたことがある。あれは痛いよな」
うっと、薫は言葉につまってしまった。
「両腕を骨折もしたし、山のような大男に足を踏み潰されたこともある。どうせなら楽に死にたいものだよな」
静は木花咲耶姫の鯉口を切った。
「私はこの戦争で人を斬り慣れたよ、薫」
薫も木花知流姫に手をかけた。
静は微笑を浮かべている。
「邪魔をするなら、今度は苦しまず死ねるようにしてあげる」
聖騎士団は戸惑っている。
あとから出てきたヌナガワ・シズカそっくりな少年はヌナガワ・シズカを助けに来たのではないのか。
「これはどういうことだ、ファンタズマ」
アンナマリアが言った。
「わかりません。ただ――」
「ただ?」
「ヌナガワ・シズカの闘気が高まっている。あいつはここで――」
静は右腰の石長姫の鯉口も切った。
「借りるよ、遥」
すらり。
静は両腰の剣を抜いた。
「二刀流だと」
薫は眉をひそめた。
「女の力でそんな無茶が利くか」
しかし同時に思う。
奴奈川斎姫としての静の舞を。両手の神楽鈴を。静は両腕を自在に使うことに慣れている。
「どうせ戦場に行っても、もう俊輔はいない」
静が言った。
「まるで脱走兵として死ぬのは癪だが、この人数を引き連れて戦場に戻れる気もしない。妥協するとしよう。奴奈川静はここで死ぬ」
「静!」
薫が言った。
「静!」
遥が言った。
実際には静に特務が下ったのは土方歳三の決裁を受けた書面で残っている。静は脱走兵ではない。俊輔と土方の気遣いだ。さらに「ひとりでは難しいようなら黒姫俊輔が同行すべし」の但し書きもある。こちらは土方の思いであったが、俊輔はそれをよしとしなかった。
桜が舞っている。
静はひらひら飛ぶ桜花を見上げた。
「せめて最期はきれいに散らせてくれ。期待しているよ、薫。期待しているよ、聖騎士団」
「待て、君は勘違いしているぞ、ヌナガワ・シズカ!」
ファンタズマが言った。
「われわれは君を迎えに来たんだ! 君の中にいるヌナガワ・ハルカ、そしてキングをわが聖騎士団に迎えたい! それだけなんだ!」
あっと、ファンタズマはバックステップした。
静が石長姫を突きつけてきたのだ。
「これだけ間合いが遠くはずれているのに!」
ファンタズマは息を呑んでいる。
「斬られると、おれは感じてしまった!」
静はファンタズマを見ていない。ただ、
「いやだ」
と言った。
「騎士団長」
ファンタズマが言った。
「だめです」
「だめとはどういうことだ、ファンタズマ」
「われわれは選ぶしかありません。ヌナガワ・シズカを諦めてここから去るか、ヌナガワ・シズカを戦闘不能にして無理矢理連れ去るか」
「われわれは騎士だぞ、ファンタズマ!」
「いっそ、ここでヌナガワ・シズカごとキングを斬り、消滅させるか」
「ファンタズマ!」
「考えてください。この好戦的で話が通じない頑固な娘がキングでは必ず苦労する。厄災になりうる。他の陣営につく危険を考えれば、いっそここで散ってもらう。ベルゼビュートがそうであったように、一〇〇年後に復活して貰いましょう。その時には、もっと高貴な体を見つけてくれることを祈りましょう」
「おまえは――!」
「ご決断を、騎士団長」
「ずいぶんな」
くすり、と静が笑った。
「言われようじゃないか。え?」
静はファンタズマとアンナマリアへと体を向けた。
「人がすべてをかけて戦っている中に割り込んできて、遥をよこせ、キングをよこせ、叶わなければ殺しちまえか。やってみろよ、私を楽しませてみろ。この戦争の戦死者として数えてもらえないと思うだけで私は機嫌が悪いんだ」
ファンタズマが声をあげた。
「ご決断をッ、騎士団長!!」
「まずい!」
薫は必死に考えている。
「この人数、しかもみなヴァンパイアだろう。欧州から連れてきたのだから精鋭だろう。家名で守るつもりが失敗した。戦うしかない、どうする!」
静!と薫は声をあげた。
「林に紛れろ、道から降りろ!」
静が薫へと顔を向けた。
この時にすでに気づかなければなからなったのだ。静の無表情さに。
「空間を使え、障害物を使え、おまえの腕ならできるだろう!」
「ああ、口うるさいのがいると気が散るな」
静が言った。
「黙っていてくれるか、薫」
木花咲耶姫が走った。
石長姫が走った。
それは薫の左腕を斬り落とし、薫の右腕を斬り落とした。そして薫の胸に刻まれたのは、新たな十字の太刀筋だ。ソロモンの七二柱に準ずると言われた黒姫俊輔を相手にしなかった剣士である薫が、なすべくもない。
「――」
薫は悲鳴をあげることもできず、街道から森の中に落ちていった。
「さあ」
奴奈川静。
実の兄を斬っても平然としている。
「宴だよ」
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
笹本助三郎
夏見格之進
シャルロッテ・ゾフィーとファンタズマが静の監視のためにつけたスードエピグラファ。のん気コンビ。うっかり八兵衛とお銀はいない。
黒のシズカ
かつて聖騎士団に所属した修道騎士。ヴァンパイア。
ヴァンパイアとしては特に名前を持たない。自身がカノンだから。太郎丸次郎丸の両刀を操る二刀流。黒の魔女とも。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。




