キング散る
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
「君を呼んだんだよ」
キングが言った。
深夜の草庵。
遠く町から聞こえてくるのは、解放されたキングの気配に怯え騒ぐ犬たちの声だ。
「シズカ――黒のシズカ」
杉の木の影から現れたのは、両腰に刀を佩いた巫女装束の少女。
少年のように髪が短く、そしてヴァンパイアの少女だ。
「久しぶりだと言ってくれ。君は変わらないな」
「おまえは変わりすぎだ、キング」
「より良き身体を見つけ、より良き私を保つ。それが七二柱を統べるキングとしての務めなのだ」
そして、にこりとキングは笑った。
「その言葉を聞きたかったよ、黒のシズカ。君はカノンなのだね」
黒のシズカ――黒の魔女ヌナガワ・シズカ。聖騎士団最強の剣士。
黒髪に黒いマント。
自分を縛るようなバックルだらけのこれも黒い男装。
東アジア人の目は黒くないのだという。濃い茶色なのだという。だが黒の魔女は目まで黒かった。漆黒の瞳をしていた。
「残念だ。今はあの素敵な漆黒の瞳ではないのだな、黒のシズカ」
「この目は静の目だからな」
「ハルカは欧州の言葉を使うことができる。アポクリファであれば一度ヒトと結びつけば散るまで縛られる。そして散れば人格も記憶も失われる。それではなぜハルカの中のヴァンパイアに欧州の記憶があるのか。考えられるのは、セーレくんのように身体を持たないまま長く彷徨ってからハルカの身体に入ったのか。いいや、違うね。君は黒のシズカだ。私もよく知る黒の魔女だ」
「……」
「気配を消していたようだが、隠しきれるものじゃない」
「遥を甘くみないほうがいい。隠していたのは事実だが、そもそも私は遙をコントロールできない。むしろ遥に縛られている。こうして遥の意識がない時にだけ、私でいられるだけだ」
「かわいそうなハルカ。なぜ彼女を孤独のままにした。なぜヴァンパイアのことを教えてあげなかった」
「私も――」
と、黒のシズカは目を伏せた。
「遥と同じだったからだ。私と同じように苦しむ遥が愛おしかった。私が手取り足取り導くより、自分の力で自分を見つけてほしかった。それよりキング、私は来たぞ。もうその馬鹿げた気配は消せ。迷惑だ」
「ベルゼビュートが復活したぞ、黒のシズカ」
はっと、黒のシズカは驚愕の表情を浮かべた。
霧のロンドンを一人の紳士が歩いている。
腰まである長い黒髪をコートの背に流しているが、それ以外はこの都に相応しい隙のない完璧な紳士だ。ただ、霧の中で彼の姿が時々消える。
消える。
現れる。
そして消える。現れる。
紳士は黒髪をなびかせ、石畳を歩いている。
「君が復活した。それならば彼だって復活するだろう」
「……」
「行くぞ」
キングが言った。
「ヌナガワサイキとしての務めは果たしたのだろう。ならば次は黒のシズカとしての務めを果たすのだ。私とともに欧州に帰るのだ」
「欧州から私を連れに来たというのか、キング」
「ベルゼビュートが復活したのだ。それならば君も復活しているだろう。君がカノンだったのは幸いだ。説明がいらない」
「黒のシズカの時代で、私は私の一生分を働いたと思う」
「力があるものはその力を正しく使わなくてはならない。その義務から逃れようとするな。ベルゼビュートは危険な男だ。君がいちばん知っていることだろう」
「遥や静を巻き込むな」
「黒のシズカ」
と、キングが言った。
「ハルカも、おそらくはその双子のシズカも年を取らない。いずれ彼女たちはここにいられなくなる。いずれ彼女たちは不幸になる。君は二人をどうするつもりなのだ」
「いずれ彼女たちが決める。私は彼女たちが決めた事を助けようと思う。気づいたら遥の母親の腹で遥の中にいた。私はもう生まれたくなかった。黒の魔女で私を終わりにしたかった。なのに遥の中に生まれてしまった。私は二人にかわいそうなことをしてしまった」
「黒のシズカ!」
キングが迫る。
「聖騎士団最強の執行人だった君がそう言うのか! ベルゼビュートと差し違え世界を救った君がそう言うのか! その二人の少女のためなら、ベルゼビュートの災禍は――」
「塵に等しい」
黒のシズカはキングに背を向けた。
「消えてくれ。遥をかわいがってくれたことには礼を言う」
黒のシズカは両眼を見開いた。
こいつ、この馬鹿げた気配を消さなかったのは――。
銃声が鳴り響いた。
黒のシズカの左胸をライフル弾が貫いた。
「君を相手にするのに私ひとりでは心許なくてね! 草間竜之介くんに私のオロバスくんを与えてアポクリファになって貰った!」
草庵の闇の中、あの若い武士が――草間竜之介がライフル銃を構えている。スナイドル銃、最新の後装式ライフルだ。草間竜之介は次の銃弾を薬室に送り込んだ。
「君はあの時、もっと葛籠をよく調べるべきだった。この銃も同じ葛籠に収めていたんだ。あわてて屋根裏に移したがね」
キングが言った。
「田舎に引きこもっていてはわからないだろう。君が散ってから時代は流れた。もはや我々ヴァンパイアは人の前に無敵ではない。さすがの君もライフル弾で心臓を撃たれたら持ちこたえられまい。そんな時代なのだ。残念だがそんな時代なんだよ、黒のシズカ」
キングは棒立ちになっている黒のシズカに近づいた。
「その興味深い身体とヴァンパイアの君をいただこう。心臓をライフル弾で撃ち抜かれたのだ。急がなければカノンであっても散ってしまう。身体だけではない。黒のシズカは私に取り込まれ、私のアポクリファになる。もう、頑固な君を説得する必要もない」
しかし、そのキングもまた両眼を見開いた。
「――」
キングの胸を剣が貫いている。
背を向けたまま木花咲耶姫を片手で抜き、逆手で左胸を衝いたのだ。
「キング!」
草間竜之介はスナイドル銃を構えた。
しかしその目の前に、すでに黒のシズカがいる。木花咲耶姫をキングの胸に残したまま、今は石長姫を手にしている。
「キング、キング、助けてください――キング!」
一閃。
石長姫が草間竜之介とスナイドル銃を両断した。
その両方が黒い塵となって散った。
「なぜ動ける! 心臓を撃ち抜かれ、なぜ散らない……!」
キングは膝を落とし血を吐いている。
「心臓は痛いよな。私だって痛かったぞ、キング」
黒のシズカは石長姫を鞘に納め、キングの身体から木花咲耶姫を抜いた。
キングがうめいた。
黒のシズカの左胸の傷はもう塞がっているようだ。
「このキングでも心臓を貫かれれば動けないというのに、なぜおまえは動けるのだ……!」
「この身体の心臓はひとつじゃない」
黒のシズカは木花咲耶姫を両手に持ち替えた。
「どうやら心臓を貫いただけでは散らないらしい。首を落とすぞ。迷惑な話だ。これで私は七二柱を敵に回すことになるんだな。遥と静に謝らなければならないことがまた増えた」
黒のシズカは眉をひそめた。
笑っている――?
血を吐きながら、黒のシズカを見上げながら、キングが笑っている。
「キング――おまえ――」
「……これは驚いた。ますます欲しくなったぞ……!」
「キング――遥を甘くみるな――私は――そう言ったぞ――」
あっとレオンハルトがベッドから飛び起きた。
シャルロッテ・ゾフィーも、トリスタンも。バエルも、ファンタズマも。レオンハルトはズボンを履き、ホテルの外に飛び出した。
夜の北西方向がほのかに明るい。
レオンハルトはその光景を見たことがある。
あれは、黒のシズカが散ったときのことだ。
「だれかが、散った……!?」
遅れてシャルロッテ・ゾフィーにトリスタンもホテルから出てきた。
「キングが散ったのか!?」
レオンハルトの口から飛び出したのは、その言葉だ。
世界中にその衝撃が広がっている。
キングの気配が――散った。
カノンが、ソロモンの七二柱の王が散った。
「キングが散った……?」
シャルロッテ・ゾフィーが呆然とつぶやいた。
「確かにキングの気配だ」
トリスタンが言った。
「ぼくは彼を知っている」
「違う」
そう言ったのはバエルだ。
ゴリラがしゃべった!?混乱の中でレオンハルトは思った。
シャルロッテ・ゾフィーにトリスタンもそう思った。隠れて監視している聖騎士団のファンタズマもそう思った。
「散ったのはキングではない」
ゴリラが言った。
奴奈川大社の境内のお山から光の柱が伸びている。
「なにがあったんだ」
俊輔も、勇一郎たちも、自分の屋敷からその光の柱を見上げている。
光の柱の麓に横たわるのは、一人の少女。
少しも動かない。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
黒姫 高子 (くろひめ たかこ)
巫女長。静のレディスメイド。斎姫代でもある。俊輔の従姉妹。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
バエル
人間名不明。ソロモンの七二柱序列一位のヴァンパイア。
ゴリラ。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
ファンタズマ
聖騎士団最高幹部。ヴァンパイア。名前の意味は「幻」「幽霊」。
※木花咲耶姫:コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫:イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫:コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン:正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ:外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ:偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※聖騎士団:使徒座の対ヴァンパイア騎士団。全員がヴァンパイア。カステル・サントカヴァリエーレ(聖騎士城)に本部がある。




