ふたりの斎姫(前編)
私は鬼でいい。
すべてが私の敵になってもかまわない。静を守ることができるならそれでいい。
奴奈川大社、秋の例大祭が終わった。
静が正式に奴奈川斎姫として迎えた例大祭、その春と秋の両方が無事終了した。町はまだ賑やかだが、すぐに一万石の小さな城下町の佇まいが戻ってくるのだろう。海に迫る山々の紅葉も深まっていくのだろう。
「高子」
斎姫殿、斎姫の間。
大任を終え一夜明け、静は用意された朝の膳を前に声をあげた。
「はい、斎姫さま」
「いつもより多いようだけど」
「斎姫さまのお申し付けの通りに」
「私の」
目の前にはこんもりと冗談のように盛られた白米に、四枚の鮭の味噌漬け。味噌汁はともかく、漬け物も通常の三倍はある。
私を相撲取りかなにかと思っているのか、巫女たちは。
それとも私の大食をからかっているのか。いや、斎姫としての例大祭を無事に終えたお祝いのつもりなのか。いや待て。
「私が?」
「はい、朝に私の部屋にいらっしゃいまして。朝食は、お味噌汁以外はいつもの倍にしてほしいと」
ああ、遥か。
静と遥はひとつのからだ、おそらくは静のからだを共有している。ほとんどの場合はいないかのように沈黙している遥だが、ときおり顔を出し、そんな時には両方の意識が混ざり合うことなく別々の人格として共存する。口に出してくれないと相手の考えていることもわからない。
しかし、どうやら遥は静の意識をシャットダウンして、遥としてこの体で行動していることがあるらしい。時々、覚えのないところで静を見たと言われることがある。もっとも静と一緒にいても人と会うのを嫌がる遥だ。特に目立つようなことはしないだろうし、ぶっきらぼうながら身体を使ったらしいことをあとで謝ってくれる。
この異様な朝ごはん。
これもまた、そのうち説明があるだろう。
それに、高子だ。
この巫女長は静と同い年ながら頭がいい。
「はい、朝に私の部屋にいらっしゃいまして」
とは言うが、「お忘れですか」とも「確かにおっしゃったじゃないですか」とも言わない。それでも少女らしく目が好奇心に輝いている。
静は遥の存在を隠していない。
ただ、幼子のひとり遊びに見えてしまうのもわかっている。高子の目には、今朝のこの小さな出来事も私のひとり遊びに見えているのだろうか。それとも、もうひとりの奴奈川斎姫がどこかに隠れて存在しているのだとでも思っているのだろうか。
まあいい。
静は手を合わせた。
「いただきます」
この「いただきます」のグレースは武家の文化ではない。神職の文化であるらしい。静は藩主の娘だが、巫女でもある。グレースを終えた静は箸をとり、今度は小笠原流礼法にのっとり箸を持ち替えた。
今度、私も遥の意識を切り離して自分だけで行動してみるかな。
あの子、「奴奈川斎姫の自覚を持て」とか、「正四位が」「藩主の娘が」って私がすることにけっこううるさいのよね。
あれ?
ていうか、高子のところに行って指示をした?
人に会うのを極端に嫌がる遥が?
「――」
静の動きが止まった。そして静は手にした箸をそのまま置いた。
「あ」
と、高子はそれに気づいた。
「かわった」
時々見る。
斎姫さまが雰囲気を変化させる。すこしお転婆で脳天気なところがある静から、すこし大人っぽく物静かな静に替わる。
「高子」
斎姫が言った。
「はい、斎姫さま」
「言い忘れていた。お重をもってきてくれないか」
「はい」
お重を受け取ると、斎姫はご飯を詰め始めた。
「高子」
「はい、斎姫さま」
「私は不器用できれいに詰められない。すまないが、今度からははじめからお重を用意してくれないか。いつもの私の食事と、同じ中身のお重を一膳ずつ。朝食だけじゃなく、毎食用意してほしい。他の誰にも見つからないように、高子がやってほしい」
「はい、斎姫さま」
やはり遥さまはいるのだろうか。それはどのようなカタチで?
黒姫高子の好奇心は止まらない。
次の間から高子が動かない。
閉じられた襖の向こう。朝食が終わってからそこに控え、動く気配がない。巫女長なのだからヒマではないはずなのに。まあ、どちらかというと斎姫の侍女であって、大社のことは大人が切り盛りしているのだから構わないのかもしれない。
高子は、このお重の行方が気になってしょうがないようだ。
そりゃ、そうか。
「ふん」
巫女の間で、静はお転婆で脳天気だと思われているらしい。
ほぼ正解だ。
一方、私は不機嫌な姫だとか、静に較べれば大人しいとか思われているらしい。とんでもないことだ。不機嫌なのはあたっているが、私だって静に負けないお転婆なんだぞ。
「さて」
斎姫が言った。
「そろそろ行くか」
「!」
そのつぶやきは高子にも聞こえている。
そっと襖を少しだけ開けて覗いてみると斎姫の姿がない。あっと斎姫の間に飛び込み、高子は障子を開いた。庭を駆けていく巫女装束が見える。
「高子、おまえ、私の代わりをしてしばらくそこにいてくれ!」
振り返って斎姫が言った。
「それとも私を追ってくるかい!」
冗談じゃない。
斎姫の間は大社の舞台のように山腹に張り出している。地面まで人の高さよりあるし、そのあとも斜面が続くのだ。斎姫はここを飛び降りたのか!
欄干で口をパクパクさせている高子を後目に、斎姫は木々の中に消えた。
「ふふ」
重箱を抱えて走る奴奈川斎姫――遥の口もとに笑いが浮かぶ。
「あはは」
「あはは」
奴奈川大社は山ひとつを境内としている。
多くは杉林だが、その中には作業小屋もあれば斎姫のための草庵もある。
「あれ」
その草庵に人の気配がない。
まさか、もう出ていった!?
遥は慌てて草庵に乗り込んだ。
フロックコートにトップハットが衣桁にかけられている。ステッキも残されている。行ってしまったわけではないようだ。
ほっと息をつき、遥は草庵を見渡した。
斎姫の別邸である草庵。斎姫の個人的な禊ぎにも使われるが、静はあまり利用しない。そのためか埃っぽい。
彼にここにいて貰うなら。
掃除くらいしておかないと。
巫女装束にたすき掛けして、掃除道具と井戸の確認。
「ふふ」
遥の口もとにまた軽やかな微笑が浮かんだ。
見かけないお侍さんが町を歩いている。
着流しに羽織。開いている店にあちこち顔を出し、ひとつふたつ購入し、そして茶屋でお茶と団子を頬張る。なかなかのいい男で、所作も粋だ。茶屋の看板娘も頬を染める。
旅のお方だろうか。
例大祭を見物に来てしばらく居残るおつもりだろうか。
その武士はなにかに気づいたらしい。ふっと鼻を鳴らし、茶屋の縁台から腰を上げ、町を抜けていく。そのあとを追うのは五人の若者――少年だ。
「卒爾ながら」
武士は町から離れ大社の山へと、そして更に道をそれて杉林の中へと五人を導いた。ざっと武士を囲んだのは俊輔たちだ。左手はすでに腰の刀を掴んでいる。
「あなたも、トリスタン・グリフィスどののお知り合いか」
黒姫俊輔が言った。
見かけない武士。しかし、この男も自分たちと同じヴァンパイアなのだ。
「トリスタン・グリフィスというのは」
と、武士の薄笑いは消えない。
「ダンタリオンくんのことだね」
しかし、俊輔に向けられた視線は鋭い。
自分に向けられたわけでもないのに、他の四人まで気圧される。
「そうです。私たちは彼のスードエピグラファ」
俊輔が言った。
ヴァンパイアになって久しい。そろそろ主であるトリスタン・グリフィスの記憶と経験が俊輔たちの身体に浸透している。
「俊輔」
と鉄太郎が言った。
「こいつは昨日のやつだ。あのとてつもない――」
どん!
その気配は突然広がった。一斉に鳥が飛び立つ。鉄太郎が言うとおりだ。昨日と同じ気配だ。俊輔たちは圧倒され、うごけない。これはやばい。本能的な恐怖にすくんでしまう。
「おやめなさい」
この圧迫の中で、それでも刀の柄に手をかけた俊輔の目の前に武士がいる。速い。武士は俊輔の刀の柄をつかんで剣を押し戻した。おっと武士が両眼を見開いたのは俊輔がそれを押し返してきたからだ。
「やるね」
涼しげな目で武士が言った。
やって来たときと同じように、突然あの気配が消えた。
解放された少年たちは膝を落とした。
俊輔だけは構えを崩さず、目も逸らさない。
「君たちがなぜヴァンパイアになったのか、なにをするつもりなのか、私は聞かない。君たちのじゃまもしない。君たちも私を気にするな。それがいい。そうだろう?」
すっと自然な所作で武士は歩き出した。
四人の少年たちは誰も後を追えない。俊輔もだ。俊輔は冷えて動かなくなった筋肉を励まし、柄からやっとのことで手を離し、そしてひろげた。掌に血がにじんでいる。あの押し合いは、自分でもそうと気づかないほど激しい攻防だったのだ。
「キング」
なぜかその言葉が浮かび、俊輔は口にした。
武士の姿はもう見えない。
草庵が見えてきて、おっと武士が立ち止まった。
巫女装束の少女が草庵を掃除している。
「……」
かいがいしく身体を動かしながら遥は楽しそうだ。笑顔が絶えない。
そういえばと思った。
そういえば私は今まで笑ったことがない。覚えがない。それなのに。うふふ。
「ハルカ」
その声が聞こえて、遥は振り返った。昨日の欧州人紳士。ヴァンパイアのキングが微笑んでいる。遥はにっこりと笑った。
「お帰りなさい、キングさん!」
※グレース:食事前の感謝の祈り。
※小笠原流礼法:武家のマナー。
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
奴奈川斎姫。正四位下。
人を越える治癒能力をもち、そして守りに徹するなら最強の剣士となる。
奴奈川 遙 (ぬながわ はるか)
生まれなかった静の妹。
奴奈川 薫 (ぬながわ かおる)
静の双子の弟。奴奈川藩次期藩主。背格好も顔も静にそっくり。
ちなみにこの三きょうだい、気づいている人もいるかもしれないが、たがいを妹、弟扱いする。
黒姫 俊輔 (くろひめ しゅんすけ)
薫の学友。奴奈川家筆頭連枝黒姫家の嫡男。
鷹沢 勇一郎 (たかざわ ゆういちろう)
米山 鉄太郎 (よねやま てつたろう)
小林 静馬 (こばやし しずま)
三浦 勝之進 (みうら かつのしん)
黒姫俊輔を筆頭とする薫の学友。
奴奈川日向守 (ぬながわ ひゅうがのかみ)
静と薫、そして遙の父親。奴奈川一万石領主。
奥方
日向守の正妻。静たちの母。
かつて奴奈川斎姫代をつとめていた。実は不思議ちゃんである。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
グラキア・ラボラスのヴァンパイア。黒のシズカの盟友。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
アムドゥスキアスのヴァンパイア。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
トリスタン・グリフィス
ダンタリオンのヴァンパイア。
詩人で旅行者。まだ身体をもたないヴァンパイアのセーレを連れている。
※木花咲耶姫
コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫
イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫
コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン
正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ
外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ
偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。




