内戦
仏に逢えば仏を殺せという。
祖に逢えば祖を殺せという。
私はなにに逢い、なにを殺すのだろう。この煌びやかなガス灯の街で。
それは予感であったのかもしれない。
チャールズは鏡の中に映る自分を確認した。普段であれば朝と寝る前だけの儀式だ。
神よ感謝します。
私はまだ人間だ。
いつも通り自動拳銃ヴァルキューレ二挺をホルスターに納め、しかしいつもであればカービン銃であるのに、今日に限って選んだのは剣を分解して収めてある楽器ケースだ。
「出かける。先に寝ていてくれ、ノーマン」
そして、らしくもない感謝の言葉を口にした。
「君が来てくれてずいぶん助けられた。ありがとう」
いつもと違う。
それはチャールズも感じている。
予感というものがあるなら、これがそうなのかもしれない。聖ゲオルギウス十字軍の騎士チャールズ・リッジウッドは、フラットを出て他の騎士たちとの合流点へと向かった。
いつも通りの厳格さを身に纏い、夜の音楽院女子学生専用アパートをハウスマザーが歩いている。
手には燭台。
足音は最小。
まだ眠っていない気配のする部屋には軽くノック。
中から「はい。いま寝ます、ハウスマザー」と慌てた声が返ってくる。そのハウスマザーが、屋根裏の静の部屋の前で立ち止まった。このハウスマザーは、軍特務機関が静の周辺の監視と護衛のために送り込んできたエージェントだ。
そのプロの勘が、部屋に静がいないのを感じ取っている。
ハウスマザーは軽くノックをしてみた。
静は戦士の子として育てられ、何事があってもすぐに対応できるよう、必ず日本語の「き」の字の姿で眠るのだという。人の気配にはすぐに目を覚ますのだという。その真偽は確かめたことはないが、たしかに普段の静であれば、すでにドアが開けられている。
「ハウスマザー」
階段の陰から声をかけてきたのはレベッカだ。
「シズカはいません。散歩に出ていきました。シズカを叱らないでください。私、シズカに日本のことを聞いてしまったんです。彼女は話してくれました。でもそれはきっと、シズカには辛いことだったんです」
ハウスマザーは理解した。
レディ・マンスフィールドから送られてきた「オセキハン」。
それをつつきながら、好奇心旺盛なレベッカが静にあれこれと質問したのだ。静がどこまで答えたのかはわからない。ハウスマザーも詳しくは知らない。ヌナガワ・シズカは日本最大の内戦を戦い、生き残ったということだけだ。
「わかりました、レベッカ」
ハウスマザーが言った。
レベッカはどきりとした。
あの厳格なハウスマザーが浮かべているのは慈しみの微笑なのだ。
「ヌナガワ・シズカが夜の風に当たりに行っているのなら、私が起きて彼女を待ちましょう。レベッカ・セイヤーズ、あなたはもうお休みなさい」
「はい、ハウスマザー」
ハウスマザーがレベッカの肩を抱き、ふたりは階段を降りていった。
そういえばシズカは、日本での自分を語ったことはなかった。
「奴奈川の一族であれば、赤ん坊の頃につけられたはずの傷の痕が私には残っていない。それが私が奴奈川斎姫である証明」
お赤飯をつつくのをやめ、箸を置き、静が言った。
「ヌナガワサイキ」
レベッカが言った。
「女神奴奈川姫に仕える巫女ってこと。ほんとうは奴奈川姫の生まれ変わりなのだから女神そのものなんだけど、それでは畏れ多いからと『斎姫』という存在を作ったのね」
たぶん。
昔、奴奈川の一族に傷跡が残らない特異体質の人がいたのだろう。
「私はその特異体質を受け継いだ。この左のてのひらだけじゃない。怪我をしても私は治りが早いし痕がぜんぜん残らない。三百年前にも同じ体質の人がいたし、その前にも何人かいたそう。みんな女性だったから、私たち一族の始祖と言われる奴奈川姫の生まれ変わりだということになった」
女の子にしかこの体質は受け継がれないのだから、
と、静は続けた。
「本当は女の子の赤ちゃんのてのひらだけを傷つければいいのだけど、いちおう男の子の手にも傷をつける。三〇〇年に一度くらいしか生まれないんじゃ、お祭りにするにも困るしね。たまには男の子の斎姫も生まれるかもしれない。弟の薫の左手にも従兄の俊輔の左手にも傷は残っていた」
今、ちょっと胸がチリッとした。
「レベッカが見たという彼の手にも残っているかもよ」
「あなたは女神さまなの?」
「一神教とは違う多神教の話よ。中央政府からのお墨付きもあるし、父より高い正四位下だし、赤ん坊の頃から奴奈川一族のトップとして育てられた。広い大社の中で、私は赤ん坊の頃からひとりぼっちだった」
「わからない。その女神さまがどうしてロンドンにいるの。どうしてヘタクソなチェロを弾いているの」
余計な一言をいれなくてもいい。
ていうか、それはポロリとでた本音?
「御一新があったんだ」
御一新。
明治維新のことである。
「日本は新体制派と旧体制派にわかれて戦った。田舎の私たちの町でもそれから逃れることはできなかった。私の家は新体制派につくことを決めたけど、友達は――大人になってはじめてできた友達だったんだ。ずっとひとりぼっちだった私にはじめてできた友達だったんだ――友達は旧体制派について戦うことを決めた。私も彼らと一緒に戦うために家を出た」
だけど。
「私たちは負けた」
静が言った。
「友達はみんな死んだ。私だけが残った。私も死にたかった。死ぬつもりだった。だけど生き延びてしまった。私だけが生き残ってしまった。もう帰る家もない。私は――」
あっと静は思った。
ふわりと、レベッカが抱きついてきたのだ。
そして気づいた。私は泣いている。
「泣かないで」
レベッカが言った。
「馬鹿なこと言わないで、死にたかったなんて言わないで」
静はしばらく泣いた。
歯を食いしばって。
「レベッカ、こんな奇妙な私でも、友達のままでいてくれる?」
馬鹿ね、とレベッカが言った。
「すまん、仕留め損ねた!」
アラン・カペルが声をあげた。
ヴァンパイアの靴の紐がほどけなければ、そのために彼がしゃがまなければ、アランのアスカロン――モーゼル1871多弾倉改は彼の頭を吹き飛ばしていたのだ。ヴァンパイアは駆け出した。
「だからグングニルで撃てば良かったんだ!」
ゲオルクが舌を鳴らした。
彼の手には巨砲五〇口径ライフル、グングニルがある。
「これなら、外しても衝撃波でしばらく行動不能にできるんだ!」
「言うようになったねえ、おまえ」
アランが口笛を吹いた。
「とにかく行くぞ。逃がすな」
チャールズ・リッジウッドが飛び出した。手には剣。
「うおい、チャールズ、銃はどうした!」
「ヴァルキューレはホルスターにある」
「そうじゃなくって!」
チャールズはヴァンパイアを追って走っていく。
その後を二〇キロ近いグングニルを抱えてゲオルクが追う。
「ああ、もう、どうなってんだ! チャールズもゲオルクの坊やも! おい、行くぜ、デハーイィ!」
アランとデハーイィも後を追った。
ヴァンパイアはテムズ川河畔を走り、港へと逃げていく。脱げてしまった靴はそのままに。
あれっと、アランは空を見上げた。
いつも通り、星がないロンドンの夜空だ。
雷だろうか。爆音が聞こえてくるのだ。
ドドドドド!
蒸気と爆音を撒き散らかし、赤毛の男が乗るモンスターバイクが夜の港湾区域を走っている。
ドドドドド!
アランを、デハーイィを。
ゲオルクを、チャールズをモンスターバイクは追い越し、そして逃げるヴァンパイアまでも追い越していく。
「な、なんだありゃあ……」
赤毛の男はモンスターバイクの巨体を横滑りさせた。
ドガガガ!
ガガガ!
車輪が悲鳴をあげる。
石畳が吹き飛ばされていく。
ガガガ!
ガガガガガガ!
騎士たちもヴァンパイアも、この派手なショウに呆然としている。
「よう」
停めたモンスターバイクから赤毛の男が降りた。
「逃げるヴァンパイアに、追うただの人間たち」
にやり、と残忍に笑う。
「そこのでかいのにそこの坊主は、見た事もない図体のライフルを持っている。なあ、あんたらが噂の聖ゲオルギウス十字軍の騎士さんかい」
「アスタロト!」
歓声を上げ、ヴァンパイアが駆け寄った。
「アスタロトじゃないか! いいところに来てくれた! よかった、これで助かった――」
しかし彼はそれ以上なにも言うことができなかった。
赤毛の男がヴァンパイアの顔面を鷲掴みにしたからだ。
「ただの人間に追われて逃げるヴァンパイア」
赤毛の男が言った。
「靴が脱げてもそのまま逃げるヴァンパイア」
ぎりぎりと締め付ける。
ヴァンパイアは声も上げられない。
「そんなみっともないヴァンパイアがおれの名を呼ぶな。おれを見るな。おれは笑えない喜劇を見に来たんじゃないんだぜ」
赤毛の男はヴァンパイアの頭を握りつぶした。
散っていくヴァンパイアを見もしない。
「ああ、悪い」
赤毛の男が言った。
「そういえばおれにもあった。ただの人間相手に逃げ回ったことさ。昔はおっかなかったもんだ。ヴァンパイアだと気づかれたら、ひとつの町の住人全員が手に刃物持って追いかけてくるんだ。城門は閉ざされ、逃げるところなんかどこにもないんだ。夜になれば松明の波さ」
赤毛の男は肩をさすった。
ダーネ・ステラの前でも見せた仕草だ。
「いつの間にか、片腕まで失っちまっていた。あれは怖ろしかったなあ。なあ、あんなしびれる経験は、あれから一度もないんだ」
西の恐怖公、アスタロト。
聖ゲオルギウス十字軍の騎士たちの前に立つ。
「どうだ、おまえたちはおれにそんな時間をくれるか?」
■登場人物紹介
奴奈川 静 (ぬながわ しずか)
戊辰戦争の生き残り。新たなる戦地を与えられ、魔都ロンドンに渡る。クールを気取っているが、実はすちゃらか乙女。愛刀は木花咲耶姫と石長姫。
奴奈川大社の斎姫であり、正四位の階位を持つ。
ロジャー・アルフォード
英国軍特務機関六課、アルフォード班(掃除屋)のトップ。海軍少佐。極めて長身で、強面。
ヘンリー・ローレンス
アルフォード海軍少佐の副官。童顔だが、階級は海尉補(中尉)。
メアリ・マンスフィールド
ストラトフォード侯爵。六課の庇護者。別名をM、もしくは鉄のメアリ。年齢不詳。
英国海軍の名門であるマンスフィールド家の現当主。爵位はやがて弟に継がせることになっている。本当は名前はもっと長ったらしいのだが、そちらは出さない。
ハワード
レディの老従僕。長身痩躯。レディは侍女ではなくいつもこの従僕を連れている。
レベッカ・セイヤーズ
静の音楽院の友人。下宿も同じ。実は実力者。Aオケの次席ヴァイオリン。
ハウスマザー
静が暮らす下宿、学生アパートの管理人。実は軍特務機関のエージェント。
ミス・チェンバース
音楽院の静の担当教授。
ミス・オコナー
音楽院の静が所属する校舎の管理人。表情を変化させることがない能面のような人。
ゲオルク・フォン・アウエルシュタット
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。レオンハルトの子孫。そっくりだという。
エリザベート(エリーゼ)・フォン・アウエルシュタット
ゲオルクの妹。十五歳で死亡。
チャールズ・リッジウッド
イングランド唯一の聖ゲオルギウス十字軍の騎士。
オーレリア・リッジウッド
チャールズの妹。
アラン・カペル
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。少年のような容姿と声だが怪力。そして意外と歳をとっているらしい。
デハーイィ
聖ゲオルギウス十字軍の騎士。2Mを越える巨漢で、岩石のような容姿。名前の意味は「おしゃべり」。
レオンハルト・フォン・アウエルシュタット
黒伯爵の異名を持つヴァンパイア狩り。自身もヴァンパイア。「ゼニオ(senior)」。ソロモンの悪魔としてはグラキア・ラボラス。
ヨハン・ペッフェンハウゼル
アウエルシュタット工房の工場長。この人も実はヴァンパイア。
シャルロッテ・ゾフィー・フォン・シュタウフェンベルク
ヴァンパイア名ダンタリオン。
美人だが目立つことに執念を燃やす変人。レオンハルトを日本に誘う。
アスタロト
ソロモンに名を連ねるヴァンパイア。
ステュクスとアケロン
アスタロトの身の回りの世話を焼く少年と少女。ヴァンパイア。
ダーネ・ステラ
発明家。電気関連に異才をもつ。ヴァンパイア。
オリヴァー
ヴァンパイア名、獅子王プルソン。
上半身裸の筋骨隆々の大男。
ピップ(フィリップ)
獅子王プルソンのスードエピグラファ。
アンナマリア・ディ・フォンターナ
ヴァンパイア名ウェパル。白の魔女。
白髪で、まゆ毛、まつげも白い。碧眼。使徒座に忠誠を誓うヴァンパイアで構成された「聖騎士団」の騎士団長。
ラプラスの魔
ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。
ファンタズマ
ヴァンパイア。聖騎士団最高幹部。名前の意味は「幽霊」。
スチュアート・ウッド。
英国下院議員。現在行方不明。
クリス・ランバート
ウッド議員の秘書。実はヴァンパイアでソロモンのグレモリー。機関銃によって散る。
ジェイムズ・ディクソン
銀行家。実はヴァンパイアでソロモンのフルカス。静に斃され、散る。
※使徒座:聖座とも。使徒ペテロの後継者たる教皇、ローマ教皇庁、そして広くはカトリックの権威全般を指す。ちなみに、司教座もそうだが、そのものはまんま椅子である。
※悪い冗談
静とロジャー・アルフォード海軍少佐の巨大拳銃。M500。
※ヴァルキューレ
レオンハルト・フォン・アウエルシュタットと聖ゲオルギウス十字軍の自動拳銃。コルトガバメント。
※グングニル
聖ゲオルギウス十字軍の対バンパイア用巨大ライフル。50口径。
※木花咲耶姫
コノハナサクヤヒメ。静の愛刀。朱鞘。栗原筑前守信秀。
※石長姫
イワナガヒメ。静の愛刀。黒鞘。栗原筑前守信秀。
※木花知流姫
コノハナチルヒメ。薫の愛刀。栗原筑前守信秀。
※カノン
正典。そのヴァンパイアグループの始祖。ソロモンの七二柱のカノンは「キング」と呼ばれる。
※アポクリファ
外典。カノンが直接生んだヴァンパイアのグループ。
※スードエピグラファ
偽典。アポクリファが生んだヴァンパイアのグループ。




