悪いこと思う人
次の町まではそう遠くない。三日目の宿泊場所からは、狭かった道筋が急に広くなるので、虚族の危険もほどほどになる。海沿いに走っているのは気づいたが、昼前にはたどりついたのだと思う。気がつけば宿屋のベッドにいて、手を上げると包帯がぐるぐる巻かれていた。
それを眺めていると、ドリーが桶を片手にそっとドアを開けて入ってくるところだった。
「どりー」
「まあ!」
ドリーは桶を入り口の横に置くと急いでベッドのそばにやってきて、まず頭に手を当てた。
「熱は出ていませんね、よかった」
「まち、ちゅいた?」
「ええ、リーリア様は途中で寝てしまったので、あっという間でしたか?」
「あい」
よほど疲れていたのだろう。もぞもぞしていたらドリーが起こしてくれた。
「少し切り傷がありましたので、念のために包帯を巻いてありますよ。あとは汚れてはいたけれど服をしっかり着ていたので大丈夫でした」
「あい」
「リア様」
「あい?」
ドリーは椅子をベッドの横に持ってきて、私の手を握った。傷に障らないようにそっと。
「無茶をなさってはなりません」
ドリーの言っているのは、味方をかばったことだろう。無茶と言えば無茶だった。しかし、状況がそもそも無茶なものだった。一歳児にしては難しい選択だった。
いや、と私は思った。難しくはない。いつだって私は同じ道を選ぶ。自分をかばって誰かが死ぬのは嫌だから。だからドリーには返事をしなかった。ただ黙って前を向いていた。
ドリーはまたそっと手を放した。
「どうしてでしょう。リーリア様に、幼児にこんなことを言っても仕方ないと頭でわかってはいても、ついみんなこんなふうに話してしまうのは」
そう言って苦笑した。
「軽くご飯を食べて、下に行きましょうか。皆心配していますよ」
「あい」
今度はちゃんと返事はできた。ご飯と共に、バートやミルが顔を出していったが、いつもなら一番に顔を出すはずのアリスターが見えない。
「ありしゅたは?」
「あ、あいつな」
キャロがクライドにちらっと眼をやり、クライドがかすかに首を横に振った。二人とも微妙な顔をしている。
「けが、ちてない?」
「大丈夫だ。アリスターな、今ちょっとこう、大人への階段を上っているっていうかな、本来のアリスターに戻ったというか」
キャロはなんて言っていいかわからないというように頭をかいた。
「あとできっとお前に抱き着いて離れないとは思うが、この移動中、ちょっと頑なだっただろ、アリスターさ」
「あい」
「あのくらいが年相応でいいんだと俺は思うけど、もともと早く大人になりたいっていう奴だったから」
だから今どうしたというのだろう。首を少し傾げると、クライドが私を抱き上げた。
「かわいいなあ、リアは」
そう言う問題ではない。私はクライドの手をぺちぺちと叩いた。キャロは少しまじめな顔になって、
「さすがに王子が襲撃されたのは大事件だ。アリスターな、王子があちこち指示を出して動き回っているのについて回ってる」
「あい」
そう言えばアリスターは、最初からそうだった。
「ありしゅた、いちゅも、ばーと、みてた」
教わらなくても率先してできるように。何を見るか、どう動くか。
クライドが私を優しくゆすった。
「リアもよく見てるな」
私には見る以外にあまりできることはないからね。いつも偉いと思ってたんだ。
「さあ、下りるか。みんな心配してるから」
「あい!」
どこの宿屋も似たようなものだ。階段を降りて、ゆっくりと食堂に向かう。
「リア様!」
「リア様!」
あっちこっちから声がかかる。
「あい!」
大きな声で返事をすると、ほっとしたような空気が広がった。そんな中、一人ふらふらと前に出てきて、膝をついた。
「リア様!」
首のところに包帯を巻いている。人質にとられた人だ。あの時怪我をしたんだね。
「くび、いたい?」
「ほんのちょっとです、リア様、ほんのちょっと」
ほんのちょっとだって首はいたい。
「はやく、なおしゅ。ね?」
「リア様、俺」
従者はいきなり床に手をついた。どうしたんだ。私は驚いた。
「すみません、俺のせいで、リア様、敵に連れ去られて。俺、俺なんてどうだっていいのに!」
どうでもよくはない。これはどうしたものかおろおろしていると、ドアがバタンと開いた。入ってきたのは王子一行とバートたちだ。
「リア!」
一緒にいたアリスターが走ってきて私を抱き上げた。
「大丈夫か!」
「あい」
そのまま私を抱き上げているが、私は正直床の人が気になっていった。
「ありしゅた、おろちて」
「嫌だ」
「ありしゅた!」
私は少し言葉を強くした。アリスターは渋々と私を下ろした。
「俺が虚族を狩りたいなんて言わずに、リアのそばにいれば。ごめんよ」
「いえ、俺が無様に人質に取られたから」
二人ともうなだれている。その気持ちはわかる。顔を上げてみると、ドリーも、同じ部屋にいた人も、みんな自分が何かをすべきだったと後悔した顔をしている。入り口に目をやれば、護衛の人の多くはどこかしら怪我をして、包帯が控えめに巻かれている。
王子はと言えば無表情だ。
私はうなだれている二人に顔を戻した。
「ありしゅた、いたりゃ、ありしゅたも、しゃらわれた」
アリスターがはっと顔を上げた。
「ひとじち、だりぇでも、よかった」
従者の人が顔を上げた。
「りあ、いたから」
「リア!違う!」
アリスターの声に、私は首を横に振った。
「りあ、いたから、おしょわれた」
事実だ。誰も何も言えないでいる。でもね、私はわかっているんだ。
「りあ、わりゅい?」
「悪いもんか! リアがリアなのに、なんで悪いことがある!」
アリスターはそう叫んだ。
もう三度目だ。私のために、必死に戦った人たちがいる。守ろうとして怪我をした人がいる。そんなの嫌だと思っても、どうしようもなかった。
私はふん、と顔を上げた。
「わりゅいのは、わりゅいひと」
部屋は呆気にとられたようにしんとした。
「わりゅいのは、わりゅいこと、おもうひと」
「悪いのは、悪い人……」
従者の人がつぶやいた。
「リア、わりゅくない。ありしゅた、わりゅくない。みんにゃ、がんばった」
王子がそれでいいと少し離れたところで頷いた。
「リア様!」
「あい、たって」
「はい!」
従者の人は立ち上がった。
「リア!」
「ありしゅた、おろちて」
アリスターはまた私を抱き上げた。仕方ないので、私はアリスターの首に手をまわして、しっかりしがみついた。そして王子をまっすぐに見た。
「きいろいめ、ちてた」
王子は目を見開いた。
「なにが……」
「わりゅいひと、りあのめ、むらしゃきいった。りあも、わりゅいひと、みた」
「黄色い目」
部屋がざわつき始めた。
「リア」
「あい」
「詳しく聞かせてくれ」
面倒くさいが、仕方ない。
次の更新は月曜日の予定です!




