いつだってあきらめない
誰も返事をせず、心持ち私を中心に輪が縮まった。ドリーは震えながらも、私を抱き込んで男から見えないようにしている。
「仕方ない、やれ」
「は」
男の声とともに、取り巻きが一番手前の人の腕をつかんで輪から引きずり出し、羽交い絞めにすると首にピタリと剣を当てた。いつもお茶を入れてくれる人だ。
「うわー、やめろ!」
しっかり私を抱き込んでいるドリーはそちらに背を向けているが、逆に私はドリーの体の隙間からそれがよく見えた。
「娘を差し出さないと、こいつは殺す」
「あ、わ、うう」
しかし、誰も動かない。
「時間がない。やれ」
押さえていた男の手に力が入った。
「にゃい!」
その私の声に男の手が止まった。
「どりー、はにゃちて」
「駄目です、リーリア様、お静かに」
「どりー」
「そこか」
男の声がした。
「どりー、おはにゃしする、ね?」
ドリーは渋々私を離した。
すると、初めて男と目が合った。めずらしい、黄色い瞳だろうか。
「ほう、薄明かりでもはっきりわかる淡紫。お前がオールバンスの娘か」
お互いに同じことを考えたようだが、返事をする義務はない。
「大人しく来れば、この男は解放してやる」
「リア様、だめ、うっ」
賄いのお兄さんが何かしゃべろうとしたが、首元をぐっと抑えられた。
ドアのほうは相変わらず激しい戦闘の音が続いており、誰かが助けに来る気配はない。私が今ついていかなくても、何人かを巻き添えにして結局連れていかれるだろう。それならば仕方ない。
私は一歩踏み出して、ドリーに止められた。
「いけません!」
「どりー」
そう言えば忘れていた。結界箱を抱えたままだった。私はドリーに結界箱を渡した。
「ちゃんと、もってて」
「リーリア様……」
「きょぞく、くる」
私たちが去れば、開いた壁の穴から虚族が入ってくる。そうしたらみんなやられてしまう。
「リーリア様!」
「だいじょぶ」
リーリア様と言う声に送られながら、私は男のほうに一歩一歩歩いて行った。もちろん、よちよちとだ。こんな時は時間稼ぎをするに限る。
しかしあっという間に掬い取られ、抱き上げられてしまった。
「結界箱か。もらっていくか」
「にゃい! やくしょく、ちがう」
男がドリーのほうを不穏な目で見るので、私ははっきりとそう言うと暴れ始めた。
「ちっ」
男は仕方なさそうに結界箱を一瞥すると、暴れる私を抱えて小屋から出た。
「リーリア様!」
みんなの悲痛な声が、小屋から後を追ってきた。仕方ない。きっとまた会える。
小屋の外に出ると、そこには大きな槌と、斧を持った人が結界箱を捧げ持った人の周りに集まっていた。ラグ竜もいるので、狭い。
「りゅう!」
「キーエ!」
私の声に反応して、ラグ竜が落ちつかずにうろうろする。大人が五人、ラグ竜が五頭、結界の中はとても狭い。周りには虚族がヴン、ヴンと当たっては跳ね返っている。
「成功ですね!」
「ああ、撤収だ。なんだ、ラグ竜がうるさいな」
そういうと男たちはラグ竜に飛び乗った。
「結界の範囲から出るなよ!」
そう男が声をかけると、とっとっとラグ竜は動き出した。ラグ竜は私のことが心配でも、動けと言われれば動くしかない。
しかも、少しでも結界からはみ出ると虚族が待ち構えている。竜のスピードは出せないようだった。トレントフォースの側の壁から襲撃してきた一行が向かうのは、私たちが行こうとしていた領都の方向だ。
私は片手で竜を操る男の左側に抱えられていた。居心地は悪いが暴れたら自分が落ちる。じっとしていたが、小屋の入り口のところを通りがかった時、
「ひゅー!」
と精一杯大きな声を上げた。
「こいつ! おとなしくしてたと思ったら!」
私は一層強くかかえこまれ、声を出す余裕がなくなってしまった。しかし、それに小屋の人たちは気が付いてくれた。
「リア!」
と言う声がしたので、少なくとも私がどちらのほうに行ったのかはわかったはずだ。私にできるのはこのくらいだ。
「小賢しいとは聞いていたが、まったく!」
答える必要を感じなかった私は、そのまま竜に揺られた。どうやら明け方だったらしい。ほんの少し空が明るい感じがした。
竜はすぐに止まった。小屋が目で見える距離だ。止まった先には、どうやらやはり結界箱に守られているだろうと思われる集団がいた。全部で5人ほどだろうか。それよりも、たくさんのラグ竜がいる。これは小屋に襲撃に行った者たちのためだろう。とても直径3メートルに収まるものではない。
考えられるのは、ここに結界箱が二つ。襲撃に三つ、私をさらったものが一つ持っているということ。
私をさらうのに5人、ここに5人、おそらく小屋に20人ほど。ずいぶん大掛かりなものだった。
私は竜から下りた男にやや乱暴に下に置かれた。むしろ投げ出されたと言っていい。コロンと転んでしまった。
「ちょっと、大事な淡紫でしょう。乱暴に扱わないでください」
「わかってはいるが、こいつが騒ぐせいでこっちに気づかれた」
「なんだって!」
私は起き上がったが、いかにもおびえたように小さく丸まった。それを見て幼児を責められる人がいるだろうか。
「ち、仕方がない。撤収の用意だ」
待機場所のリーダーと思われる人が指示を出し、五人ずつの塊に分かれると、
「ピリリリ」
と笛を吹いた。草笛ではない。本物の笛だ。その合図の音とともに、小屋の方から、少しずつ男たちが歩いて戻ってくるのが見える。おそらく結界箱を抱えたまま移動してきている。
小屋の皆は王子を守らねばならないから、小屋から動けない。バートの言った通りになった。
だからと言ってそのまま連れ去られるつもりはない。私は放り出された時に周りを観察していた。小屋を見ている今、左側が海、右側がウェリントン山脈だ。結界箱があるためかやや山脈側に寄っている。
幸い、小屋の者に気づかれないよう、この集団は明かりをつけていない。ほんの少し、朝に近付いているとはいえ、お互いの顔がやっと見えるほどだ。
もし私が逃げ出したら、きっと小屋への道を探す。
ならば私は危険な山側に隠れよう。
私はうずくまりながら少しずつ結界の端のほうに移動していた。
私をさらった男も放り出したら私のことは気にも留めていない。また片手で抱えて竜に乗るつもりなのだろう。かごの用意もない。また、他の人たちも、私よりも、じりじりとこちらに戻ってくる味方のほうが気になっているようだ。
結界の端まであと少し。
「おい、子どもはどうした」
男が気が付いてしまった。私はすっと立ち上がると、虚族がヴン、と音を立てているほうに走った。
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