お父様と私と兄さまと
「だーう、きゃう、にゃ、どぅーん」
私が夜の散歩だと説明するが、兄さまにわかるわけもなく。
「これが、外に出たいというから、見張っている」
とお父様が答えた。
「それなら私が昼に散歩させます。何もこんな夜に。しかも二人きりで」
兄さまが主張する。兄さまは私を悲しそうにじっと見ている。私を? 違う。私を抱っこしているお父様を見ているのだ。
私は思い出した。一番最初に抱っこされた時、お父様はおそらく一度も赤ちゃんを抱っこしたことがなかった。セバスの抱き方を見たと言っていたはずだ。
ということは、おそらく兄さまは、小さいころからお父様に抱っこされたことがないのではないか。
だから兄さまは今、かわいがっている妹の私を取られたことと、妹に父親を取られた事のどちらにも悲しんでいるのではないか。
私はお父様が何か言おうとしたので、口元をぺちぺちと叩いた。たぶんどんなことを口にしても、兄さまは悲しいだけだ。
「なんだ」
「だーい、にーに」
「ルークのもとに行きたいのか」
「あーい」
お父様は言いかけたことを止めて、階段を降りていく。お父様に抱っこされていると、兄さまを見下ろすことになる。私を少し見上げた兄さまは、やっぱり悲しそうな顔をしていた。
私は兄さまに手を伸ばす。お父様は一瞬離したくなさそうだったけれど、兄さまに私を手渡した。もう兄さまは私を落とすことはない。しっかりと抱きしめると、私の頭に顔をうずめた。
私は今度はお父様に手を伸ばす。
「なんだ?」
今度は自分かという風に手を伸ばすお父様の手をぺちっと叩く。
「にーに、にーに、だーう」
そうして兄さまの首にしがみついて見せる。
「ルークごと抱けと、そう言っているのか」
「えっ」
驚く兄さまにかまわず、お父様はおずおずと兄さまに手を伸ばす。驚いて固まる兄さま。
「そう言えば、こうやってお前を抱いたことはなかったな」
私ごとそっと兄さまに手を回すお父様がぽつりとつぶやいた。
「私も幼いころから誰かに抱かれた経験などなくて、初めて抱いてくれたのがクレアだった」
貴族とはそういうものなのか、それともこの家がそういうものなのか。
「女を抱いたことはあっても抱きしめられたことなどなかったからな」
おい! それは0歳児にも10歳児にも言ってはいけないことではないのか。固まる私と兄さまを見て、お父様はクックッと体を震わせた。
「ルークはともかく、お前までなぜ固まっている」
いや、だってさ。
「ときどきクレアが生まれ変わったのかと思うほど同じ顔をする。そんなわけがないのにな」
「私も」
お父様のつぶやきに兄さまが頷く。
「リアはお母様に本当にそっくりで。お母様のように優しく私を見てくれる気がする。でもお母様よりずっとずっといたずらで。変な顔もするし何を言っているかわからないし」
ひどい言われようだな。一言抗議しておこう。
「だーう」
兄さまは私を少しだけ強く抱きしめた。
「こうして、言ったことは何でもわかっているようで、愛しくて、愛しくてたまらないのです」
その兄さまをお父様がしっかりと抱きしめた。
「私はお前ほど愛しいという気持ちはわからぬ」
お父様がつぶやいた。
「愛しいと思ったとて、死んでしまったらそれまでだ。クレアのことを愛しいと思わなければ、こんなにつらい思いをすることもなかったのに」
「お父様、それは」
兄さまが否定しようとする。
「子どもを作ってしまったのは私だ。愛さなければクレアは生きていられたのかと思う夜を繰り返し、この小さきものを恨みもし、仕事に逃げ、だがふと見たらそこに変わった生き物がいて」
私のことか? え? 変わった生き物? かわいい赤ちゃんだよ?
「まだ歩けもしないくせに、クレアのように私にしょうがないわねという顔をする。あなたは人としての勉強がちょっと足りないわ。私が一つ一つ教えてあげると、そう言っていたクレアと同じ顔で」
わかるけど、わかるけど、それを兄さまと私に言ってどうするんだ。
「からっぽで、苦しい気持ちがこの生き物を見ていると埋まる気がするのだ。この一風変わった、小さいものを」
「ではお父様、夜にこっそり見ていないで、屋敷にいる間ずっとそばにいればよいではないですか」
「昼にもか」
「そもそもなぜこっそりと夜に連れまわしているのです。赤子には夜更かしはよくありませんよ」
「よくないのか」
私と兄さまは同時にため息をついた。
「あなたはリアの父親なんだから、そばにいてもよいのですよ」
「父親」
なぜ知らなかったみたいな言い方をするのかね、お父様は。
「だーう」
「なんだ」
「にーに、にーに」
「……ルークの父親だと、そう言っているのか」
「あーい」
わかってくれた。お父様は大きく息を吸って、吐いて、そして改めて私と兄さまを抱きしめた。
「これからは、昼に会いに行こう」
季節は秋。私が生まれてから10か月がたとうとしていた。




