ねずみはほめ言葉ではない
難所と言うが、昼に通ると、左側に山が見えて、右側には海が見える、美しい景観の場所だった。そういえばトレントフォースに行く途中に、左側に海が見えて、はしゃいでかごに乗っていた時があったような気がする。その時は海が嬉しくて、右手に山が迫っていることなど気づきもしなかった。
あの時か、と私は思い出した。数日のことだが、結界を張ったテントの周りに虚族が群れて、一通り狩りをした後でも寝る頃にはその数が戻っていて、いつもは一人で見張りをするバートたちも緊張しながら二人組で見張りをしていたんだ。
そのころには虚族というものにも、それを狩るということにも慣れていた私だが、夜中じゅう結界に当たっては響くヴン、と言う音は、不快さを煽り不安をかき立てるものだった。
何があるかわからないから、いざとなればアリスターの結界箱を使うとバートは言っていた。リアが持つことになるかもしれないから、覚悟しておけよと。
そんなことを聞かされた私は、何か月か前のことを思い出しながら、おとなしく海や山を眺めていた。
「おい、リーリア」
「あい」
何だろう。おとなしくしているのに王子がラグ竜に乗ったまま下がってきていた。
「大丈夫か?」
「あい?」
何が?
「その、おとなしすぎるから」
「りあ、しんぱい?」
「心配などしていない! 静かだからどうしたのかと思っただけだ!」
「じゃあ、ふえ、くだしゃい」
「駄目だ! なんだ、心配をして損をした」
「りあ、しんぱい」
私はにっこりした。なかなかいい所もあるではないか。
「ふん!」
王子はやっぱりぷりぷりして先頭に戻っていった。私はくすくす笑った。心なしか護衛の顔も緩んでいる。
そんな順調な移動も、午後も半ばを過ぎ、旅人のための小屋が見えてくると終わりになった。
私たち一行は20人ほどになるので、10人入る小屋では一つでは収まらなかった。10人泊まれるといっても、ぎちぎちになってしまう。しかし、3つに分けては防御が手薄になる。
どうするのかと思ったら、2つの小屋で済ませることにしたようだ。ラグ竜用には別に大きい小屋があるので、そこに入れられている。王子だからといって特別扱いにこだわらないところが、王子のいい所だと思う。
護衛をしなければならない者は三人。ヒューバート王子、アリスター、そして私だ。護衛は10人。守る対象を一か所にするか、二か所に分けるかで少し相談があったようだが、結局一か所にまとめることになり、私たち3人と、護衛が5人、それにバートとミルの10人が一つの小屋で寝ることになった。
野営ではないけれど、料理から寝る支度まで自分たちでする必要がある。護衛を優先して、料理や雑用をする人を加えなかったので、どうするのかなあと思っていたら、バートとミルとアリスターがやっていた。
もちろん、護衛の人も手伝おうとするが、特に料理は何から手をつけていいかわからないようだ。
「いいって、俺はハンターだけど、料理人でもあるから、その間に交代でさっぱりしとけよ」
そう言われて、部屋の隅に布をかけて、そこで交代で体を拭き、着替えた。宿屋に泊まるのなら寝巻でいいが、ここでは一応警戒のため次の日の服にもう着替えておく。
アリスターが私のお風呂の手伝いをした時には王子は何か言いたげだったが、ドリーがいないのだから仕方がない。
ミルが作る温かい具沢山のスープは久しぶりだ。
「おいもは?」
「別にゆでてあるぞ。リアのはつぶしておこうな」
「あい」
ミルに芋をやわらかくつぶしてもらう。そして今日はドリーがいないので、自分でスプーンを持って食べる。きれいに食べる食べ方を知っていても、体が思うように動かないことを歯がゆく思うのは、いつも食事の時だ。
スープを一口。もぐもぐして飲み込む。
「みりゅ、おいち」
「おいしいな」
お芋にスプーンを突き刺してひとさじすくう。む。すこし取りすぎたかもしれない。
それにしても、なぜみんな食事の手が止まっているのだ。中には口が開いているものもいる。
「みんな、たべりゅ」
私がそう言うとハッとしてご飯を食べ始める始末だ。
さてと、スプーンを口に運んでと。お芋を取りすぎたので口に入りきらないかもしれない。あーん。もぐ。大丈夫だった。すこしつぶつぶが残るようにつぶしてもらうのが好きだ。そのつぶつぶを最後に楽しんで飲み込む。なぜみんなも一緒に何かを飲み込んでいるのだ。
「おいちい!」
「そうか。リアはおいもすきだなあ」
「あい!」
誰かがリア様はおいもが好きとつぶやいている。皆食べてないなあと思っていたのだが、よく見たらすでに食べ終わって、私だけが残っていたのだった。
おいも。スープ。パン。スープ。おいも。
注目度が高い。なんだこれは。もぐもぐ。
「へ、平原ねずみ」
「王子! 口に出してはいけません!」
王子が護衛の人にたしなめられている。しかし、口に出してはいけないということは、口に出さないけどみんなそう思っているということではないだろうか。もぐもぐ。
私はバートを見た。目を合わせないようにしている。いつも夜ついている護衛の人を見た。さっと目をそらす。アリスターを見た。
「平原ネズミは、かわいいぞ」
はい、ギルティ。私はお芋のお皿にスプーンを突っ込んで、目いっぱいすくい取った。
「あい、どーじょ」
「いや、俺は」
「ありしゅた、どうじょ」
「う」
アリスターは一瞬動きを止めると、口をあけた。えい。
「おいちいね」
「う、うん。うまいな」
アリスターはお芋が嫌いなのだ。気の毒にと言う声がしたが、そう思うなら軽い口を反省すべきである。でもちょっと八つ当たりだったかもしれない。
ミルの指導のもと、護衛の人が交代で調理場を片付け、荷物を整理し、一人当たり二枚の毛布は、一つは敷物に、一つは掛けて使う。
「さ、8人だから二人組で四交代だな」
小屋の中には虚族が入ってくることはない。しかし、なにがあるかわからないので交代で見張るのだそうだ。一晩中寝てていいのは私とアリスターだ。
「おうじも、みはり、しゅる?」
「もちろんだ」
一番負担の少ない最初の見張りであっても、ちゃんと見張りに参加するのはえらい。
「えりゃい」
「当然だ」
王子は腕を組むとふふんと胸を張った。子どもか。
「リーリア」
「あい?」
珍しくリーリアと呼んでいる。
「私はヒューバートだ。王子だが、お前に王子と呼ばれるのは癇に障る」
面倒くさい人だ。
「ひゅーばーと」
「うむ」
ちょっと長い。
「ひゅー」
「ぐはっ」
最後のぐはっは護衛の誰かだろう。王子は組んでいた腕をほどいて、しゃがみこんで私と目を合わせた。そして両手で私の頬を挟んだ。
「あにをひゅる」
「お前は」
ほっぺをぐにぐにされた。
「くっ、やわらかいな」
「はなしぇー」
「ともかく」
王子は、いやヒューはほっぺを解放すると、眉間にしわを寄せた。
「いいか、名前を呼んでいいと言ったが愛称で呼べとは言っていない。わかるな?」
「わからにゃい」
「いや、お前はわかってる。わかっててやってるんだ、絶対」
ぶつぶつ言う王子がおかしい。
「殿下、幼児にヒューバートは言いにくいですよ」
「だが、こうもいろいろあっさり飛び越えられると、こう」
そっとアドバイスする護衛に、王子はわかっているんだがという顔をした。
「我々が大人なんですから」
「くっ、なぜ負けた気がするのか」
「ひゅー」
「ああ! もう。ヒューでいい。わかったな」
「あい」
やはり同じ部屋で休むと仲良くなるものだ。私は満足してさっさと眠りについた。
「あー、王子さんも、ちょっと気の毒かも」
とバートがつぶやいていたような気がした。「も」とは何か。失礼な。




