ダイアナ(お父様視点)
そんなことがあった週の週末も、いつものようにルークが学院の寮から帰ってくる。これが楽しみになるとは思いもしなかった。むしろ同じ王都内なのだから、家から通ってもいいのではないかと思う自分も相当なものだ。誰かと毎日夕食を食べたいなどと思うようになるとは。
一週10日のうち休日は二日。8日目の夜に帰ってくるルークとは、昨日の夜はともに夕べを過ごした。夏の間の多くを辺境で過ごしたルークは、身にまとう魔力の量がぐんと増えただけでなく、剣もしっかり教わってきたらしく、やせていた体つきも元に戻り、むしろ少したくましくなったかのようだ。
帰ってきてからも二人で、どうすれば効率よく魔力を操れるか検討し、あるいは実践する日々だった。休みの日ともなればギルや、参加はするものの思うように魔力量の伸びないスタンもやってきて訓練だ。
もうラグ竜のかごでの移動はこりごりだというルークに請われて、ラグ竜も与えている。ラグ竜は大きいので本当はもう少し体が大きくなってからのほうがいいのだが、仕方があるまい。
いつかリアを迎えに行く時、かごに乗っていると移動速度があげられないし、かっこ悪いというのが最も大きな理由だと私は思っている。
さてそれでは今日はルークとはラグ竜にでも乗るかと思っていた時に、その使いはやってきた。
「ジュード、すまないがもう一度言ってくれないか」
「はい。ダイアナ様が昼からうかがいたいと」
私はすぐには答えられなかった。今の今まで存在すら思い出さなかった女。ルークの実の母親だ。
「確かどこぞの伯爵に嫁ぎ直したはずだが」
「ええ、隣り合った土地の。しかしそういうことではなく」
「わかっている」
私はジュードの言葉をさえぎった。別れてからほとんどルークに会いに来もしなかった女が、今更何の用だ。
「断るわけには」
「ルーク様の件でとのことにございます」
「ルークの」
「縁談だそうで」
「縁談!」
私は思わず頭をかきむしりそうになった。確かに、貴族、特に四侯は、四侯以外で魔力の強い家系の者と早めに結婚することが望まれている。私も確か12の年にはダイアナと婚約していたが、しかし。
「早すぎる。それにダイアナの持ってくる相手は信用できない」
「しかし、ダイアナ様はルーク様の母親です。会いたいというものを断れますまい」
「む。仕方ない。ルークから母親と会う権利を取り上げるわけにもいかぬか。縁談は断るにしても。ではそのように」
「はい」
私は多少ゆううつになりながらも、やはり午前中は体を動かすためにもラグ竜に乗りに行こうと決意した。
まだ騎乗がぎこちないルークと、敷地内をゆっくりとラグ竜で回る。遠乗りはもっと上達した後だ。そこで、ダイアナのことを話した。
「お母様がいらっしゃる……」
「お前に縁談があるそうだ」
「そうですか。学院でもそろそろ決まる人は決まっています」
この大人びた息子は、そのくらいでは揺らがない。
「お父様はどう思っていますか?」
「ああ、うん」
私に聞かれるとは思っていなかった。
「いずれは必要だろうが、気持ちが伴わぬと結局不幸になる」
ルークがうつむいた。私は慌てた。今が不幸なわけではないのだから。
「もちろん、スタンのところはそもそも幸せだし、私はダイアナとは気が合わなかったが、お前という幸せを得た。つまり」
つまり、なんと言ったらいいのだ。
「クレアはほとんど魔力がなかったが、リアは大きな魔力を持って生まれた。あまりこだわらず、楽しく過ごせそうな人をゆっくり選べばいいのではないか」
「それでいいでしょうか」
「もちろんだ」
「では、むしろ余計な係累のない方が望ましい」
「ルーク……」
そのルークの淡々とした声に、私は思わず息をのんだ。
「大丈夫です。久しぶりにお母様に会えるんですね。確か美しく波打つ金髪に緑の瞳の女性でしたか」
そう言うルークはおそらく肖像画を思い出している。社交界にもまだ出ていないルークは、大人とは機会を作らねば会うことはない。私が面倒がらずにもっと母親と会う機会を作ればよかったのだろうか。
「お父様。私にはちゃんとお母様がいました。クレア母様です。血はつながっていないけれど、本当のお母様です。つまらないことを気にしては駄目ですよ」
「あ、ああ」
かえってルークにたしなめられてしまった。ラグ竜をねぎらい、二人で簡単に昼をすますと、午後も半ばを過ぎたころにダイアナの訪れを告げられた。
「いいか、私もすっかり忘れていたが、女との待ち合わせとはこのようなものだ。いつでも待たされる。覚えておくように」
「ふふ、わかりました。覚えておきます」
ルークはおかしそうにそう返した。待っている間、話すこともやることもいくらでもあった。それでも待たされるのに苛立つのは仕方ないだろう。
ジュードに案内されてやってきたのは、とても30になったとは思えない美しい女だった。ルークの言う通り、波打つ金髪を結い上げ何やら複雑に垂らし、隣には見慣れない少女を連れている。その少女はどこかダイアナに似ていた。
立ち上がった私たちに、ダイアナは優雅に、少女は少しぎこちなく淑女の礼を取った。私たちも軽く頭を下げて返礼する。
「久しぶりね、ディーン」
「ああ」
「それにルーク」
「お久しぶりにございます」
私はそっけなく、ルークは如才なく挨拶を返す。
「何か用と聞いたが」
「あら、息子に会うのに用が必要かしら」
「今まで会いにも来なかった母親がいまさら何を言う」
「まあ」
ダイアナは弓型に整えた眉を驚いたように上げた。
「あなたったら、あっという間に再婚したんですもの。奥様がいる間は遠慮したのだし、お亡くなりになったからといってすぐに顔を出していたらなんと噂されたか」
「ふん」
もっともらしい言い訳だが、これ以上はルークが傷つく。
「用件を」
「ま、相変わらず面白みのない男ね。席も勧めないつもりかしら」
面倒だ。
「お二方とも、今ジュードがお茶の用意をしています。こちらへどうぞ」
ルークがすっと前に出ると、ダイアナに手を差し出し、テーブルセットのほうへ導いた。
「お父様」
「ああ」
私はダイアナの向かいに座る。ルークはそのまま少女のほうへ向かった。
「初めまして。私はルークという。君は?」
「あの、初めまして。チェルシーと申します」
「君、オールバンスの庭園について聞いたことはある?」
「ありませんが、お外に出るのは大好きです」
そこまで聞くと、
「では私たちは、少し庭園を散策してまいります。このまま行こう」
と少女を連れて外に出てしまった。なんと賢いことか。
「息子なんてつまらないものね」
この賢さがわからないとは。私はあきれた。
「子どもとて大事にせねば心はつながらぬ」
「下の子を大事にしているとは聞かなかったけれど」
「情報が古いな」
「いずれにせよ、恐ろしい出来事でした」
ダイアナはいつもこの調子だ。少なくともリアについて失礼なことを言わなかっただけましだ。
「で、なんだ」
「あなたらしい言い方ね」
「どうでもいい」
「ルークに縁談よ。さっき連れて来た子」
「勝手に顔合わせか」
「いいじゃない。早くから知っていたほうが」
私は鼻を鳴らした。
「私の従姉妹の子どもなの。隣の領地に嫁いだから、王都からそう離れてはいないわ。チェルシー・バクストン。伯爵家の次女で、気立てのいい子よ」
「伯爵家だろうが気立てのいい子だろうが、ルークにはまだ婚約者を決める予定はない」
「まあ、四侯としての責務よ」
わざとらしくそう言うダイアナについこう返してしまった。
「育てる責務を放棄した君にそう言われたくはないが」
「父親としての責務も放棄していたと思うのだけれど」
なぜだかいつも言い合いになる。面倒なことだ。




