ノアという少年
私の一日はそれから、それまでとは少し違うものになった。朝からお昼寝までは同じだが、そこからは狩りについていかず、町長の家までバートたちに送ってもらう。アリスターはずっと一緒にいるわけではなく、週のうち二日くらい顔を出すだろうか。
「お前、食い扶持は十分稼いでるんだ。今はもう少し遊んでてもいいんだぜ」
そう言われていても、どうにも稼がなければと思っているようで、一緒にいたそうにしながらもアリスターは狩りに出かけていくのだった。
そして町長の家が子どもに開放されたというのを聞きつけた町の子どもたちが、夕方になると集まってくるようになった。最初の一人を連れて来たのは、初日に町で会った黒髪の男の子だ。
夏だというのにいつも帽子をかぶって、あまりきれいな身なりをしていなかったけれど、最初に二人、次に一人と言うように、町の子どもたちを少しずつ連れてきて、自分はただ壁に寄り掛かってそれを眺めている。不思議な子だった。
それでも、アリスターが狩りに行かずにやってくるとほんの少し嬉しそうな顔をして、町長の息子のレイと三人で積み木に取り掛かる。そんなときだけはアリスターもその男の子も、年相応の子どもらしい笑顔を見せるのだった。
「たくさんの子どものいる中で誘拐などできまいよ」
「は、町の子全部を盾にするつもりか」
「いや、町の子全部を一度に守れるということだよ」
町長とバートはそんな不穏な会話もしていたが。
私はと言えば、町長の娘のエイミーに引っ張られて、町の女の子デビューをしていた。私くらい小さいとなかなか親も手元から離さないので、結局少し大きめの女の子が多くなる。
「リアのラグ竜はピンクでずるいわ。私なんて緑だったのに!」
「私なんて青よ!」
などと些細なことで争いになりそうにもなったが、みんなでラグ竜の服を持ち寄り、着替えさせ、お茶会をし、時には庭を走り回り、それは楽しく過ごしたのだった。
それでもみんな、夕暮れ前には帰ってしまう。仕事もそのころには終わりで、虚族の出る前には家に入っているのが普通なのだ。
でも私は今はハンターの家の預かりっこだ。みんなを見送ってから、一人になる。もちろん町長はご飯も一緒に食べさせようとしたし、エイミーもレイもできるだけ一緒にいてくれようとしたし、何ならお風呂に入れて、一緒に泊ってもいいと言ってくれさえした。
でも私は、それに甘えたくなかった。本当はバートやアリスターと一緒に仕事に行きたかった。本当の家族はキングダムにいるけれど、トレントフォースでの家族はバートたちなのだから。
そんな日が二週間ほど続いただろうか。夕方になり、町の子たちがほとんど帰り、残ったのはレイとエイミーと私と、そして黒髪の男の子だけだった。
「ノア、帰らないのか」
いつもなら残らないノアが残っているので、レイがいぶかしげに尋ねた。
「うん。今日はちょっとやってみたいことがあってさ」
「なんだ? 珍しいな」
レイもエイミーもお金持ちの子どもらしく、自分の考えを通すわがままなところもあるけれど、町長の子どもと言う自覚を持っているのかとても面倒見がいい。アリスターも、この黒髪のノアと言う少年もレイのその世話好きのところが苦手なようだ。
だから積極的に仲良くしているところは見たことがなかった。それなのにやりたいこととはなんだろう。
「虚族が見たいんだ」
「それは!」
レイが驚いて一歩下がった。
「俺は魔力なしだから、どうしたってハンターになれないし、見習いでもないのに興味だけではハンターの皆は町の外に連れて行ってくれないだろ」
「それは危険だからだろう!」
「うん。わかってる。だから俺には父ちゃんがいないんだしな」
「ノア……」
どうやら複雑な事情があるらしい。
「ここのうちは、結界のすぐ内側だ。普段は入れないけど、最近は子どもたちがたくさん来てるだろ。ここなら安全なところから虚族が見られるんじゃないかって、そう思ってて」
「確かに、敷地の端のほうに行けば虚族がうろついているところは見られるよ。だけどキングダムの結界も安定していないことがある。ノアのように魔力がないと、結界が不安定なのがわからずに外に出てしまいかねないだろ」
「そう言って、誰にも外に連れて行ってもらえないんだ。アリスターなんて同じ年なのにもうハンター見習いとして外に出ているんだぜ!」
普段ひょうひょうとしているノアが珍しく感情をあらわにした。それをつらそうに見ていたレイが、やがて何かを決めたようにノアを見た。
「わかった」
「レイ!」
「誰か一緒に着いてきてくれる人を探すよ。その代わり勝手な行動をとるなよ」
「ありがとう、レイ!」
レイはそのまま遊ぶ部屋から人を呼びに出て行った。
「お前はいいよな。ちっちゃくても狩りに連れて行ってもらえて」
それがノアに初めて話しかけられた言葉だった。
「リアだって行きたくて行っているわけじゃないわ。親がいないから仕方ないのよ」
エイミーが代わりに答えてくれた。
「親がいなくたって俺は連れて行ってもらえないんだ」
そう言われてもどうしようもない。
「ノア、見るだけならいいって。二人ついてきてくれる」
「ありがとう!」
「エイミー、リア、お前たちはここにいるんだぞ」
そう言って、レイとノアは大人二人を伴って庭に出てしまった。
「えいみー」
「男の子って仕方がないわね」
エイミーは肩をすくめた。
「虚族なんて見たっていいこと何もないのに。ただ人や生き物の姿をしたものが結界の向こうでゆらゆらしているだけなのよ」
「えいみー、みたこと、ありゅ?」
「うん。もっと小さいころ、こういうものだって見せられたの」
そんな話をしながら待っていても帰ってこないものだから、私もエイミーもそわそわしだした。
「ちょっとだけ見に行ってみようか。結界のそばには行かずに、レイとノアだけを探せばいいんだし」
「あーい」
私とエイミーは手をつないでそっと庭に向かった。時々は子どもたちも追いかけっこをしたりする庭はきれいに整備されている。しかし、敷地の外には草原が広がっており、ところどころ木立もあり夕暮れに黒く浮き上がっている。
そして草原に向かって右側には、すぐウェリントン山脈が迫っていた。そのすぐそば、おそらく結界ギリギリのところにレイとノア、そして大人が二人立っていた。
ヴン、と、家の中からでは感じたことのなかった虚族の気配がし、遠くを見ると山側からゆらりと虚族がやってくるのが見えた。思わず何歩か下がったレイとノアに、大人が指さして何か話しかけている。虚族とは何かとか、どう注意するかとかを話しているのだろう。
虚族は人の気配を感じているのか、結界を挟んで4人のそばに少しずつ集まってくる。しかし、何体かはそこを離れてふらふらとさまよい始めた。
「やっぱり面白くないわ。虚族なんてゆらゆらしてなんか怖いだけじゃない」
「あい」
「戻ろうか」
「あーい」
その時だった。
私は急に後ろからぐっと誰かに抱えられると、口元を大きな手で覆われた。ちらりと見えたエイミーもまた、大人の人にぐっと抱えられて口元を押さえられていた。そしてそのまま声を出すこともできず、静かに運ばれていった。気づいて! しかし虚族に夢中な4人はこちらを振り向きもしなかった。




