もう一人仲直り
朝ご飯を食べて準備をすると、私たちは屋敷の前に広がる町に向かった。
「まずは知り合いの家から。料理人のルードの家にお邪魔します」
屋敷からてくてくと歩いて出かけるなんて、王都のお屋敷では考えられない。トレントフォースにいた頃のことを思い出して楽しくなる。
「家から歩いて町に出かけるなんて新鮮です」
兄さまが同じことを感じていて、付いてきた人たちに若干引かれているのに笑ってしまう。
「みにいくって、どこをみるの?」
町並みを見たり、お店で買い物をしたりするのは経験がある。
今回はお屋敷の使用人の家に行くわけだが、いったい何を見るのだろうか。
「はい。私とお父様も同じことを考えました。行って家を見るだけでは気を遣わせるだけですからね。私たちならではのことをしようと」
兄さまはそう言ってお父様と頷きあっている。
昨日、ハンスと三人で部屋の外に出てから、いったい何があったのか気になる。
「つまり、私たちは魔力が多いので」
「民の家の魔石に、魔力を注いで回ろうか、とな」
私は思わず足を止めた。
驚きすぎてその場でひっくり返るかと思ってしまったではないか。
「よんこうが、おうちにきて、ませきにまりょくをいれる?」
「そうなりますね! さあ、いったい何件の家を回れるでしょうね」
守るべき民の家を見て、生活を知ろうという話だったはずなのに、なんだか気合いを入れているお父様と兄さまの中では、魔力を入れる耐久レースみたいになってしまっている。
まあそれもいいかと思っていると、ルードの家は、お屋敷の門を出て、大通りから少し裏に入ったところにあった。
「ここの一階なんですよ」
「一階? ということは、二階は?」
「別の家族が入ってますよ」
兄さまがルードの説明にいきなり衝撃を受けている。
「おじいさま、ネヴィルでは、その、給金は……」
聞きにくいが聞かねばならぬという決意で振り向くと、おじいさまは笑いをこらえているだけだ。
「やだねえ、ルーク様。ちゃんともらってますよう。娘たちが結婚していなくなったから、空いた部屋を貸しているんですよ。町中だから、住みたい人に対して部屋が足りなくて」
「そ、そうなんですね」
「まちはしごとがおおいから。すみたいひとがいっぱいなんだよ」
説明の足りないルードの代わりに、私が教えてあげる。
「リアはよく知ってますね」
「みんなふつうにしってる」
「知らないと思いますけどねえ」
ハンスからいつものように突っ込みがはいったが、まだ和解していないわたしは、プイっと横を向いて返事をしなかった。
ルードがドアを開いて私たちを招くと、まずハンスが家の中に入って確認する。
兄さま、お父様、そして私の順で家に入ると、もうそれだけで居間にあたる部分はいっぱいだ。
「村の農家ならもっと広いんですが、町だと狭い土地にたくさん住むので、だいたいこんなもんです」
ルードの説明を聞いて、お父様は部屋の真ん中であちこちに目をやりながら立ちすくんでいる。ちょっと動いたら棚に飾っている雑多な物が落ちてきそうで怖いのだろう。
「他に、寝室も二つありますよ。二階にも二つ。結構なお給料をもらっていまするんでね」
町中で、しかも領主のお屋敷近くで寝室四部屋にリビングダイニングあり(二階は人に貸している)の住まいなら、十分豊かである。
兄さまはトレントフォースで町長の家も見ているから問題ないと思うが、お父様はこの世の終わりのような顔で、なんと答えようか悩んでいるようだ。
「すごいすてきなおうち! だんぼうはどうしているの?」
お父様がとんちんかんなことを言わないうちに、どんどん見学を進めてしまおう。
「これです。魔石の交換がひんぱんですが、部屋を暖めるだけじゃなく、料理もできるすぐれものなんですよ」
留守にしている間は暖房を切っていたようで居間は暖かくはないが、部屋の角に置かれた四角くて大きい箱が、熱の魔道具のようだ。
「リア、このかたち、はじめてみた!」
旅で使っていた魔道具は小さいものだし、お湯を沸かすのはもっと小さくかった。逆にお屋敷で使う魔道具はもっと大きかったから、家庭サイズの熱の魔道具を見るのは初めてかもしれない。
「下が魔道具の本体で、上の鉄板に熱を伝えるようになっていると思うんですが、あたしも仕組みはさっぱりわかりません」
中身も見てみたいし、できれば機構のところを開けてもらいたいが、今はそんな場合ではないと心を落ち着かせる。
「じゃあ、にいさま」
私は目的を忘れない、えらい幼児なのだ。
「ええ、魔力を入れなくてならない魔道具があったら持ってきてください。予備の魔石でも何でもかまいませんよ」
「にいさま、ふとっぱら!」
私と兄さまはルードの後に付いて歩き、ルードが明かりの魔石や熱の魔石を外すのを見守った。その時に熱の魔道具も見たが、機構は他のものと変わりはなかった。
「明かりの魔道具はずいぶんと大きいですね」
「魔道具は小さくなると途端に高くなるからね。節約できるところでは節約しないと。ネヴィルでは明かりより熱の魔道具のほうが大事だしね」
明かりの魔道具はどれも大きかったが、部屋ごとに色や装飾が違っていて面白い。
また、各部屋にある熱の魔道具は大きさも形も違っていた。
「たった一軒の家で、こんなに魔道具の形が違うものなんですね」
「リアもびっくりした」
私と兄さまが魔石集めから戻って来ても、お父様は居間に立ちすくんだままでいた。
「おとうさま? どうしたの?」
私の質問に、ぎこちなく顔だけ動かした。
「いや、こんなに狭いところでは、私が動いては物を壊しそうでな」
「じゃあ、もう座っちまいましょう」
ルードに促されて、硬いソファにこわごわと座っている。
「じゃあ、魔石に魔力を入れていきましょう」
「うむ。それならできる」
お父様はほっとしたように、大きめの魔石を手に取った。
その魔石の色は濃いめのピンクで、まだ使えるが補充できるならした方がいいくらいの感じだ。
くしゃり。
お父様の手の中で、魔石が砂に変わった。
「え、ませきって、すなになるの?」
話せたのは私だけで、他の人は皆、固まったまま動かない。
驚きすぎてどうしていいのかわからないのだろう。
私は仕方なく、家の外のナタリーに声を掛けた。
「ナタリー、ませきのよびはある? ねつのおおきめのやつ」
「はい、ございます」
ナタリーから、順番に手渡しで魔石がやってきた。
魔力が満タンに入った濃い紫色のものだ。
私はハンカチを広げて、お父様の手から砂を落とし、かわりにナタリーから受け取った魔石を載せた。
「はい、これでなかったことにする。つぎのませきはにいさまがやって」
「は、はい」
兄さまはお父様よりは器用なはずだ。
「ニコにまりょくのくんれんをしたときのように、ゆっくりと」
「はい……」
「とめて!」
兄さまなら大丈夫かと思ったら、危ないところだった。
「ませきがいっぱいになったら、ませきからもういいって、はねかえしがくるから。そしたらとめるの」
私は説明しながら、ウェスターの仲間たちを思い出して懐かしくなった。
そういえば、バートやミル、キャロやクライドに魔石に魔力を入れる訓練をした時も、こうして教えたっけ。
「じゃあ、にいさまはおおきいませきたんとうね。リアがちいちゃいのをやるから」
兄さまもコツを思い出したのか、私が小さい魔石に魔力を入れ終わる頃には、熱の魔石は全部入れ終わっていた。
「はい、しゅうりょう。おとうさま、ルードのうちで、ほかにけんがくしたいところ、ない? ものおきとか?」
「リア様、物置まで知っているなんてさすがだねえ。けど物置はさすがに恥ずかしいよ、ハハハ」
「フフフ」
どうやらルードの家はこれで十分らしい。
「さ、つぎはどこかな? おとうさま?」
「あ、ああ。もう少し大きい魔石はないのか。これでは小さすぎて」
「これよりおおきいとけっかいばこになっちゃう」
「それでよい」
お父様が意気込んだ。お父様だって何なにか役に立ちたいのだろう。
ルードが困ったように答える。
「結界箱は、普通の家にはないんじゃないかねえ」
「そうか……。小さい魔石しかないのか」
「ハハハ! さすが四侯だよう! お城の魔石ってそんなに大きいのかい?」
ルードが腹を抱えて笑っている。
お城の結界箱についてあれこれ言うのは、本当はご法度だと思うので、私が適当に教えておこう。
「このくらい」
私はおにぎりくらいの大きさを両手で作って見せた。
「そんな大きい魔石を使ってるのかい! じゃあ、こんな魔石に魔力を入れるのはそりゃ難しいだろうね」
魔石を砂に変えてしまったお父様への配慮がありがたい。
「つぎはにかいのひとのませきにする?」
「仕事でいませんからねえ。留守宅はさすがに駄目でしょう」
結局、貴族がいきなり訪ねてきたら驚くだろうからという理由で、屋敷の使用人たちの家を時間が許す限り訪れることになった。
その後もお父様がいくつも魔石を砂に変えるものだから、さすがのナタリーの魔石の在庫もなくなりそうだったが、その前にお昼の時間になり、いったん屋敷に帰ることとなった。
今日は夕方から、護衛の訓練があるので、お昼から午後にかけてはお屋敷でゆっくり休むことになる。
「それにしても、いろいろなまどうぐがあってびっくりした」
今日の私の感想がこれである。
トレントフォースだけでなく、いろいろな町を旅してきた私は、民の生活をある程度は知っている。だが、魔道具がこれほど民の生活に密着しているとは知らなかったし、これほど工夫が凝らされているとも知らなかった。
「オールバンスは魔道具を扱っていますが、小型で機能性に優れたものに特化していますからね。マールライトをそのまま使っている製品はありません。必ず魔道具師の変質のひと手間が入っていますからね」
兄さまからすぐに答えが返ってきた。さすがオールバンスの跡継ぎである。
「オールバンス印の魔道具を買えるのは貴族や裕福な者だからな。特に、辺境の者が喜んで買っていくぞ」
おじいさまがそう教えてくれた。
「それにしても、魔石は魔力を入れすぎると砂になるんだな。初めて知ったよ」
おじいさまが感心したようにお父様に話しかけている。
「私も初めて知りました」
お父様の目が死んでいる。
「魔道具を扱ってはいますが、私が直接携わっているのは最新型の結界箱くらいです。あんなに小さい魔石を見たのは久しぶりで、ましてや魔力を入れようなどと思ったこともなかったので」
「力がありすぎる弊害だな。だが、フフッ」
おじいさまが思い出し笑いをしているが、私も様々なことに呆然としていたお父様を思い出すと、口の端がひくひくしてしまう。しかし、笑ってはいけない。
国で一番大きい魔石に魔力を入れる人なのだから。
「リア、後で手持ちの魔石を貸してくれないか。練習したいから」
「いいよ!」
壊してしまうかもしれないが、そしたらハンスに買いに行かせればよいのだ。
贅沢かもしれないけれど、こんな面白いことならお金を使ってもいいだろう。
明日も明後日も、魔石に魔力を入れに町に出かけることになったが、その前に今晩、虚族を見に行くという予定がある。
「本当にリアも行くのか?」
おじいさまにもおじさまにもおばさまにも反対されたが、
「くんれんは、リアがいいだしたことだから」
と自分を貫き通した。
言い出したことだから責任を持つという態度でいるより、余計な手間を掛けさせないよう、屋敷に残っておとなしくしていた方が迷惑ではないことくらい、わかっている。
だが、護衛が虚族を見た時の反応を一番冷静に見られるのは私だし、なにより、いざという時、結界で全員を守れるのは私と兄さまとお父様だけだ。
あれ? 守れる人けっこう多いな。
一瞬、やっぱり自分は必要ないかもと思ったが、いいやと首を横に振る。
だって夜のお出かけに行きたいんだもん、というのが正直なところである。
だが、その前に懸念事項を一つ、片付けておかなければならない。
私はお昼寝から起きると、憂鬱な気持ちでため息をついた。
「リア様、少しお待ちくださいませ」
ナタリーが一礼すると部屋から出て行った。
今日のおやつは部屋で食べるのだろうか。
おやつを食べたら、国境まで行くのに時間がかかるから、急いで準備しないと。
ベッドから降りようとすると、トントンとナタリーがドアを叩く音がして、顔を上げると入ってきたのは情けない顔をしたハンスだった。
私がプイっと横を向く前に、ハンスはすぐに私の前で膝をついた。もともときりっとした顔立ちではないが、さらに情けない顔になっている。
ベッドのすぐ横にいるから、逃げようにも逃げられない。私を追い込むとは、さすが護衛の仕事をしているだけのことはある。
「リア様、昨日の夜は、部屋に一人残していって申し訳ありませんでした」
私はちょっとだけ横を向いた。
わかっているのだ。ハンスが別に悪くなんてないことは。
「私はリア様の護衛ですが、あの状態のルーク様をお一人にしておくことを、リア様は望まないと思ったんです」
その通りだ。
「部屋には剣の強いネヴィル様がいるし、ハロルドもいる。この状況でリア様を害するものはいないと、そう判断しました」
「しってた」
私はしぶしぶそう答えた。
「ですが、ルーク様が落ち着かれた後、そうでなければせめて朝一番に戻って来て、どうなったかを報告すべきでした。リア様が心配で心を痛めているであろうということに、想像が及ばず、本当に申し訳ありません」
そこまでは護衛の仕事ではないからハンスに非はないと思う。
「ハンス、あさあったとき、ニヤニヤしてた」
「ニヤニヤ……。いえ、もとから少し抜けた顔だとは言われますが、ニヤニヤ……」
ショックを受けた顔のハンスに、ナタリーがコホンと咳ばらいをして先を促した。
「すみません、昨日ちゃんと報告しなかったこと、リア様ならわかってくれると思って甘えていたんだと思います。ごまかすような気持ちがニヤニヤした表情になったんだな、きっと。情けねえ」
ハンスは両手で自分の頬をバンと叩いた。
「これからはもっとちゃんとしますんで、またリア様をお守りすること、お許しください」
「うん」
私は言葉少なに頷いた。
そう、私は、どうなったか心配だったのに、出て行った三人が、昨日のことなどなかったような顔でなんの説明もしてくれなかったいのが不満だったのだ。
そこをわかってくれたのならそれでいい。
「よかった。ハロルドに取って代わられるかと、ひやひやしましたよ」
「それはない」
私は即座に否定した。
「ハロルドはハンスよりずっとあまったれだから、にいさまにきたえてもらうのがいちばんいい」
「ちがいない」
ハンスはほっとした顔をして、立ち上がった。
「リア様に冷たい態度を取られるのがこんなにきついとは思いませんでした。でも、俺はちょっと嬉しかったな」
「うれしかった?」
私は不審者を見るような目でハンスを見た。
「俺がいじめられるのが好きってことじゃないですよ。でも、リア様は、最初からずっとわがままを言わないお子だったから。こういう子どもっぽい面もちゃんとあるんだなって、ほっとしたって言うか、なあ、ナタリー」
「なんのことでしょう。私は最初からリア様のことはわかっていましたよ。それより、ハンスにはすることがあるのでは?」
ナタリーは冷たくハンスを切り捨てたが、ハンスははっと表情をひきしめ、もう一度私の前に膝を付いて目を合わせた。
「リア様。今日からの夜の訓練は、私はオールバンスの護衛隊長として、新人の訓練に当たらねばなりません。オールバンスの護衛はすべてファーランドに出ますので、ネヴィルの方々がリア様の護衛につくことになります。お許しを」
「わかった。ハンスもがんばって」
「なあに、俺にはこれがありますからね」
ハンスはポンとお腹を叩いた。どうやらあったかポシェットを確保したようだ。
「訓練に出るネヴィルの人たちで、現在争奪戦が起きていますよ」
ナタリーも自分のポケットをぽんと叩いた。どうやら譲る気はないようだ。
「ではリア様も、あったかポシェットをちゃんと身に着けて、厚着をして用意してくださいよ」
「うん、わかった!」
最初から説明してくれれば、ハンスがいなくても全然心配ではないのである。




