あいつがやってきた
「リア、かっこよかったわ」
「そう?」
クリスの褒め言葉に、私の小さい鼻はどこまでも伸びていきそうだ。
「うむ。今までで一ばんかっこうよかったかもしれん」
「やっぱり? リアもそうおもった」
ニコにまで褒められて、天狗になりそうな私だったが、
「リア様。そのままでは後ろにひっくり返りますぜ」
というハンスの言葉で正気に戻った。
誰に何を思われようと気にしないと思っても、やはり人に悪く思われるのは嫌なものだ。
そうなると、噂を流した犯人に、やっぱり嫌な気持ちを持ってしまう。
「リア、ゆるすっていっちゃったけど、やっぱりゆるせないかも」
「あいつがしたことは本当に下劣な行為ですから」
ハンスはそれ以上何も口にしなかったけれど、その後、でも、と何かが付きそうな言い方だった。
そういえばハンスは、ハロルドが私に悪口を言った時に、それ以上余計なことを言わないようにと引き離していた。今思えば、それは私のためだけでなく、ハロルドのためだったような気がする。
「ハンスは、なにかいいたいことがあるの?」
「そうですね」
ハンスが私に意見をすることはめずらしい。
「ハロルドは、俺が護衛隊にいた時の後輩です。当時から言動が軽く、何にも考えない馬鹿でした。ただ、今回リア様には嫌われましたが、基本的に人の懐に入り込むことがうまく、情報を集めるのが得意な奴です。それに、護衛としての戦闘力も確かだ。だからこそ、第二部隊隊長にまでなったんです。軽率ですが」
ハンスは頭をがりがりとかいた。
「情報を集める仕事のはずが、情報を漏らしてどうするよ。しかも、リア様の情報をぜんぜん集められてねえじゃねえか。馬鹿野郎が」
「ハンス」
「すみません」
ここでまたナタリーに叱られている。
「見知ったものが、一度の過ちで、いや、リア様の誘拐の真相をつかめなかったことを入れたら二度目かもしれないが、それで人生が終わるようなところは見たくないと思ったんです」
「人生がおわる? おおげさではないか?」
ニコが不思議そうにハンスを見た。
「誰も、四侯を敵にはまわしたくないんです。今度はあいつ自身が悪評に悩まされることになるんだ」
余計なことを言わなければよかったのだろうか。人ひとりの人生を変える発言だったのかと思うと、私は落ち込みそうになる。
「もちろん、リア様に悪いところなんて一つもない。護衛隊というのは、四侯のためにあるんです。それをわかっているはずなのに、馬鹿な態度を取ったあいつがすべて悪い。すべては元の職場の後輩に対する、俺の勝手な憐憫です。黙ってても、リア様には伝わっちまいましたね」
ハハッと、ハンスは乾いた笑いを漏らした。
「むしろ、ゆるすと言ってくれて、本当に嬉しかった。リア様が、リア様とハロルド二人だけの小さい問題にしてくれたから、辞めさせられるくらいで済むんです。そうでなければ、もっと徹底的に追い詰められていたでしょうから」
少し苦い笑みが口元に浮かぶ。
「俺もまだまだ訓練が足りませんね。オールバンスの私設護衛隊の隊長として、もっと頑張らないと」
殊勝なハンスが珍しくて、私は小さな罪悪感を、そっと胸の奥に押し込んだ。そして、軽々しく言い返したりするのはちょっと控えようと決意するのだった。
だが、その罪悪感と決意は、週末にはどこかへ飛んで行ってしまった。
「なんでハロルドがここにいるの?」
あれだけ大騒ぎになった原因のハロルドが、しかめつらのお父様に連れられて私のところにやってきたのだ。
「いやあ、護衛隊はくびになったんですが、オールバンスのご当主様が、困ったら来ていいとおっしゃったもんで」
へらへらと笑ってはいるが、垂れ目の下にはクマができていて、そりきれなかった髭のせいでイケメンが台無しである。この数日、ひどい気持ちで過ごしていたんだろうなということがわかる。だからと言って、よく私の前に顔を出したものだ。
「こんなにすぐに来るとは思わなかったんだ」
お父様が言い訳するが、お父様よりもハロルドよりも、私は自分の隣にいる兄さまのほうが気になっていた。
「そのゴミはすぐにどこかに捨ててきてください」
「ルーク……」
お父様がたじたじである。兄さまは若いせいか、時にお父様より苛烈だ。
「話は聞いています。リアを侮り、リアの悪評を流そうとした極悪人ですよね。お父様、百歩譲ってその男をオールバンスで雇うのもやむなしとしましょう。雇うのはお父様ですからね、私が何を言えるわけもありません。ですが」
何も言えるわけもないとか言いながら、めちゃくちゃ言ってるんだけどなと心の中でだけ突っ込んでおく。そして、珍しく、兄さまの厳しい目がお父様に向けられている。
「なぜリアの前に連れてきたのですか。一生リアの目に届かないところで働かせればいいでしょう」
「こっわ……」
ハロルドのつぶやきは、兄さまの怒りを冬のつららより冷たく凍らせた。
「オールバンスで雇われるつもりなら、わきまえよ。その軽い口、縫い付けさせてやろうか」
怖い怖い。さすがのハロルドもぴたりと口を閉じた。
だが、私は、ハロルドのしたたかさに驚きはしたものの、それほど不愉快な気持ちではなかった。
甘いかもしれないが、職を失っても、落ちぶれてつらい人生を歩まねばいいなと思っていたくらいだ。
もう私に嫌なことを言わず、オールバンスに忠誠を誓うなら、いてもかまわないのではないか。
それに、なんとなくハンスに似たものを感じるのだ。
だが、兄さまの怒りはおさまらない。
だが、お父様も困っている。
「正直なところ、これをどう使ったらよいか私も悩むところだ。打ち捨ててはリアが気に病むかと思い、拾い上げたのだが、いったいどうしたらよいと思う?」
プイと横を向いた兄さまが口を開いたなら、ジャガイモでもむかせておけとでも言ったことだろう。
「どうしてリアにきくの?」
兄さまではないが、私もちょっとあきれている。
兄さまなら半日くらいそこに立たせておけというだろう。
だが、仕方がない。私は兄さまやお父様ほど厳しくはいられないのだ。
だが、なんでもかんでも私にやらせようとする今のお父様には、少し痛い目を見てもらおうと思う。
「ハンス」
「はい、リア様」
ハンスが打てば響くように答えた。
「ハンスは、ハロルドをどうおもう?」
「前にリア様に話したように、こいつは言動が軽くて深く物事を考えませんが、人の懐に入るのがうまく、情報を集めるのが本来は得意です。それから護衛としての力もあります。今回の件もあって、リア様やルーク様には、印象はあまりよくないでしょうが、そもそも護衛隊は優秀です。いちおう、こいつの実力がグレイセスと並ぶと言えばわかるでしょうか」
「その言い方はグレイセスを下げるだけだ」
兄さまは相変わらず厳しいことを言う。
だが、グレイセスと並べて言われると、なるほど説得力がある。
私はハロルドを改めて眺めてみた。
グレイセスと並ぶ力があるのに、なぜこれほど残念な男なのか。
「性格のよさはこの際、別物と考えてください」
「なっとく」
ハロルドは情けない顔をしながらも、頑張って口を閉じている。
私は、ハンスに言われるまでもなく、ハロルドを雇うなら、護衛一択だろうなと考えていたから、ハンスの言葉はそれを後押ししてくれた。
「ハロルド。ちゃんといって」
私は、ハロルドと目が合う位置に移動した。
「どうして、オールバンスにこようとおもったの?」
「は、はい」
ハンスの言うような、人の懐に入れるような男なら、護衛隊を辞めたとしても何とか生きていくことはできるはずだ。それがなぜわざわざオールバンスにやってきたのか。
「そもそも、私は割と頭のいい男です」
「嘘だな」
兄さまにばっさり切り捨てられているが、ハロルドはへこまずに続けた。
「監理局でもうまく立ち回っていたし、早くから護衛隊の隊長になることができた。特殊部隊ははずれだから、なんとか一番楽な二番隊にという希望通りです。ごますりも得意です」
「自慢になるか」
吐き捨てるような兄さまは、本当に一三歳だろうか。まるで大人のようだ。
「市内の護衛と、何かあった時の簡単な調査くらいで、ぬるい仕事です。あちこちふらふらするオールバンスやリスバーンの護衛をしなければならない特殊部隊なんてやってられません。レミントンの事件があった後はなおさらでした」
私はじっとハロルドを観察した。
自分の仕事の態度がいい加減だったということを、わざと強調して話しているのはなぜだろう。
「監理局でも、グレイセスのように四侯の犬のような奴もいます」
私たちもグレイセスは信頼している。四侯の目の前で、わざわざグレイセスを四侯の犬と呼ぶという意味はなにか。これから、なにか大切なことを話そうとしている気がする。
ハロルドの額には汗がにじみ始めた。
「ですが、監理局の職員の多くは、四侯のことを、自分たちに面倒を押し付ける、やっかいな存在と認識しています。わがままだから、自分たちが管理して、それを押さえつけ、うまく操るべきだという考えです」
語尾が震えているのは、緊張しているからだ。
「イースターの襲撃、レミントンの造反。オールバンスと、レミントンが勝手に面倒を引き起こし、監理局に手間をかけさせている。レミントンは自滅したが、オールバンスは少し勝手が過ぎる。少し力を削がねばならないなというのが、ゴドフリーをはじめ、上部がよく話すことでした。リア様の悪評を流せとは言われていませんが、流すことは大歓迎という雰囲気でした」
そのハロルドの姿には、今まで見えていた軽いところはみじんもなかった。
「それがお前の手土産か」
ハンスの言葉に、ハロルドは素直に頷いた。
「リア様と話したあの日、私は監理局をくびになりました。その夜、何度も何度も、リア様との会話を繰り返し思い出しました。最初は、してやられたという悔しさだった。自分が悪いとわかっていながらも、リア様のせいでくびになったという思いがどうしても止められなかった。なぜ、ごまかしきれなかったのか。なぜ追い詰められたのか」
悔しかった気持ちを思い出したのか、ハロルドは一瞬口元を引き締めた。
「だが、ふと気がついたんだ。幼児だと思うから、先に進まない。あれが同僚だったら、例えば第一部隊隊長だったら、どうだったか」
ハロルドのくまの色が濃くなったように思う。
「俺は、いえ私は、うまいこと誘導尋問にかけられたんだ。幼児だと侮らなければ気がついたものを。俺の口車一つでどうにかできると驕って、いいようにしてやられた。最初から間違えていたんだ」
ハロルドの話が少し怪しいほうに行きだした。
「リア、こちらに来なさい」
私は警戒した兄さまにハロルドの前からさっと抱き寄せられる。だが、ハンスは動かない。
「最初から間違えていた。では、その最初とはどこだ。その違和感に私は、考えに考えました」
とりあえず最後まで聞かなくては。
「リア様は普通の幼児ではないことは、話してみてわかった。ウェスターにさらわれたのに、無事に戻ってきた運のいい子と思っていたが、そんなわけがない。頭がいいから生き残ったんだ。そんな子が、わがままで監理局に手間をかける? ありえない。そもそも、監理局のことを歯牙にかけてさえいなかったじゃないか」
ハロルドはもう、私たちに何かを聞かせているのではなかった。むしろ自分と対話しているように思えた。
「私を簡単に切り捨てた監理局と、拾い上げようとするオールバンスとリスバーン。家族を大事にしようとする四侯と、足を引っ張ろうとする監理局。もし監理局の認識自体が間違っていたのだとしたら?」
頭の中を整理するために話しているようなものだ。
「その先は、とりあえずオールバンスに来て考えようと思いました」
「あらー」
私はずっこけるところだった。
「そのさきをじぶんでかんがえないから、だめなんでしょ」
「面目次第もありません」
ハロルドが話すことを話してほっとしたというように頭を下げた。
私が思ったより、ちゃんと考えていたし、自分の言葉で話してくれた。
「おとうさま、リアがきめていいの?」
「ああ。煮ても焼いても好きなようにするがいい」
よし、言質をとった。
「じゃあ、ハロルドはオールバンスのごえいこうほとして、けんしゅうしてもらいます」
私はふすっと鼻を膨らませた。今の私、ちょっとカッコよかったと思う。
「護衛候補。はいっ!」
しおれていたハロルドがしゃきっとした。
私はお兄様から離れて、お父様を見た。
「ハロルドはまず、よんこうがどんなしごとをしているかしるべきだとおもうの」
「ああ。そうかもな」
今のお父様は自分が決めなくてもよいものだからほっとして、気が抜けている。
私はニヤリとした。
「では、おとうさまにいっしゅうかん、つきっきりで、よんこうのせいかつをべんきょうしてください」
「リア。なんと言った?」
お父様のぽかんとした顔を見て、私は愉快な気持ちだ。
「おとうさまにつきそって、よんこうのくらしをしるの」
ちゃんとわかりやすく言い換えてあげる。
「待て待て。私は嫌だぞ、こんな男に張り付かれるのは」
「でも、おとうさまはリアがきめていいっていったもん」
私はぷんと口を尖らせた。
「言ったことは言ったが……」
「それからにいさまのほうかごにいっしゅうかん」
「絶対に嫌です」
兄さんの拒否も認めない。
「そのあとにリアのつきそい」
ハンスが静かにうなずいてくれる。
「そして、ハロルドだけじゃなく、オールバンスのしせつごえいたいのあたらしいひとは、みんなへんきょうできょぞくをみてくるべきだとおもう」
誰も何も言わない静かな時間が過ぎ、それからお父様と兄さまが同時に大きなため息をついた。
「わがままなら、断ることもできるというのに。結局リアの言うとおりにするのが一番効率がいいのだ」
お父様が仕方がないなというように肩をすくめる。
「こんな男をちゃんと育てようなんて、私は無駄だと思いますよ」
兄さまは相変わらず厳しい。
「私が怠けて決断をリアにゆだねた結果がこれか……。仕方がない。ハンス」
お父様はハンスに任せることにしたようだ。
「ハロルドだけ特別扱いするわけにもいかないから、私設護衛隊の訓練として、リアの言った日程に新人を全員組み込んでくれ。もちろん、すべてに同席させるわけにはいかないが、そこは臨機応変にだな。それから、虚族の件だが」
お父様ななぜか兄さまを見た。
「冬休みにでも、ルークが連れて行くといい。久しぶりに、ネヴィルのおじいさまのところにお世話になってきてはどうだ」
「それは! はい!」
兄さまの声が明るく弾んだ。
「リアも! リアも!」
兄さまだけとか、ずるいではないか。
「もちろんリアもかまわないぞ」
お父様は突然もたらされた、新人護衛の研修という課題をうまく解決できてほっとしたようだ。
そうして、我が家にハルおじさまと同姓同名のハロルド・モールゼイがやってきた。




