リア、大人のふるまい
さすがに馬鹿は言い過ぎである。だが、ディーンにやり返したいという幼稚な欲求だとしても、やり方がよくない。幽霊騒ぎが起きたのは、幼い子どもの心に負担がかかったためだということを、ランバート殿下は本当には理解していないのだろう。
この日、城の中を大の大人が、しかも王族と四侯が全力で走るという前代未聞の珍事が目撃されたらしいが、私は多くを語るまい。
ちなみに、マークだけでなく、モールゼイもそれほど遅れず顔を見せたので、この二人も廊下を走ったのだなと、後から気が付いて家でいきなり笑い出し、ジュリアに気味悪がられたのは残念なことだった。
「父上! いったいどうしたのだ?」
結局、日々の執務で衰えた三〇代の我々が、二〇代のランバート殿下に勝てるわけもなく、王子宮に先に着いたのは、ランバート殿下だった。
「ニコ! 勉強の調子はどうだい?」
「べんきょうのちょうしはもんだいないが、父上こそだいじょうぶなのか。いきぎれしているようだが」
私たちが王子宮に着いたときは、ランバート殿下がニコ殿下に不思議そうに尋ねられているところだった。どうやらリアに余計なことを聞く前に追いつけたらしい。
「調子はいいよ。廊下を走ってこられるくらいにはね」
「ろうかは走るものではない。人の上に立つものこそ、そっせんしてきまりを守らねばなりません、父上」
「はい。反省してます」
どちらが年上かわからぬ親子に力が抜ける。
「さすがニコ」
それを眺めてニコニコしているリアとクリスが愛らしい。
「フェリシアは用事があって先に帰ったから、私と帰ろうね、クリス」
「はい、おじさま」
思わず何のために来たのか忘れてクリスの前にしゃがみこんで視線を合わせてしまった。
「リア、さあ、帰ろうか」
隣ではディーンがリアをさっと抱き上げている。
「せっかく走ってきたのに、結局リアを取り上げられてしまったか」
ランバート殿下がクスクスと笑っている。
「父上、リアに用があったのか。それならもうかえるじかんだから、今のうちにはなすといい」
そのあたりでようやっとモールゼイがやってきた。マークはランバート殿下より若いのに、息が切れていて情けない。
「あ、マークだ! ひさしぶり!」
リアがぱあっと花が咲いたように笑う。
「リア、はあ、久しぶりだね。幽霊になってたんだって?」
「そうなの。リア、よるにうろうろしてたみたいよ。どうしてみんな、はあはあしてるの?」
心の傷を癒す、つらく悲しいはずの出来事が、リアにかかると楽しいことのように聞こえる。本当に強い子だと感心してしまう。
だからといって、負担をかけてもいいわけではない。
「さあ、ディーン。さっさと帰ろう」
ランバート殿下に何か言われる前にこの場を去ってしまおう。
だが、肝心のリアに止められてしまう。
「おとうさま、まって」
娘に待ってと言われたら待ってしまう、それが父親というものだ。
「ランおじさま、なにかようがあるって」
「聞く必要はない」
ディーンが切り捨てているが、その冷たい言葉より、リアの純真さに、ランバート殿下は聞くのをためらっているように思えた。
「そうだな、リア。リアに聞いてみたいことがあって」
「殿下」
「ディーン。怒るな。どうせ答えられなどしない。ただ戯れに聞いてみたいだけだ。もちろん、答えられなくていいんだよ」
リアの目がディーンとランバート殿下を行ったり来たりしている。
そして最終的に殿下の質問を聞こうと思ったようだ。おそらく、そのほうが早く帰れるからという実利を重んじる理由からだろう。
「ランおじさま。なにをききたいの?」
「そうだな。今私たちは、学院の奨学金の話をしていたんだ」
「しょうがくきん。リア、わかる」
私はわからないわ、リアはえらいわねと、私にささやいてくるクリスのなんと愛らしいことか。
「そのなかで、レミントンの財産から、奨学金を出せないかとディーンに言われたんだが、リアはどう思う?」
そんなことリアがわかるわけがないと、その場にいるすべての大人が心の中で突っ込んだだろう。
そしてそれを幼児に聞くランバート殿下にあきれる気持ちもだ。
「それは、レミントンの、フェリシアやクリスがきめていいことなの?」
友だちに配慮するその視点が既に幼児ではない。
「いいや。レミントンの財産だが、レミントンが動かすことはできない。財産は凍結されて、今は監理局預りになっているよ」
「かんりきょく。むだなやつ」
リアが監理局についてディーンにどう聞かされているかよくわかる口調だが、それは言ってはいけない。いけないのだが、誰もそう指摘しない。
「しょうがくきん。レミントンから」
この話の中から、要点だけをとらえるリアのすごさを、ランバート殿下はわかっているだろうか。
「リアがきめていいのなら、レミントンのおかねで、がくいんぜんぶのがくひを、いちねんかんただにする。はんとしでもいい」
「一年間、ただに。全員? お金を余裕で払える貴族もいるのに?」
レミントンの件で学費が払えず困った貴族の子弟をどうするか、という話だったはずなので、リアの提案は意表を突くものだった。
「おかねは、もってるだけじゃだめ。うごかすものでしょ、おとうさま」
「その通りだ。我ら貴族は特に、金を使って民の暮らしを回さねばならん」
「なら、れみんとんのざいさん、とうけつはだめ」
あまりに意外なリアの言葉に、誰も返事をすることができない。
ディーンは諦めたのか、視線が斜め上のどこかを見ている。リアには好きなようにしゃべらせるようだ。
「そのおかねは、みんなのためにつかえばいい。それも、みんなにみえるように。たとえば、みんながあつまるいちばをつくる。みちをきれいにして、ばしゃがとおりやすく、あるきやすくする。おやのいないこが、すめるところをつくる。しょみんのためのがっこうをつくる。そして、レミントンのおかねでつくりましたって、ちゃんといってね?」
リアは指を一つずつ立てる。
「レミントンしょうがくきんとして、がくひをいちねんかんただにする。おやはそのあいだに、らいねんのがくひをつくればいい。そしてリアはいちはやくしょうがくきんをだして、リアのためにはたらくひとをてにいれる。フフ」
最後のフフがかわいすぎて思わず脱力する。
「おとうさま、リアのわらいかた、わるものみたいだった? かっこいい?」
「リアが笑えばそこに花が咲くようだよ。かっこいいより、かわいらしい」
「そう?」
かっこいいもいいが、かわいいもいい。そう言いたげに、リアはニコニコとディーンの首に腕を回した。
「ランおじさま、これでいい?」
「あ、ああ。もちろんだとも」
そして自分のペースで、さっさと話を終わらせてしまう。
「じゃあ、リアはかえる。ニコ、クリス、またね!」
「ああ、またあした」
「リア、私はとちゅうまではいっしょよ」
「そうだった」
明るい挨拶と笑い声で、その場は自然と解散になった。
「財産は凍結せず、公共福祉に使えということか。奨学金の話さえできればと思ったが、もっと大きな話になったな」
ディーンに一泡吹かせようと思ったのだろうが、余分な宿題を背負わされることになったランバート殿下に、同情はしない。
ディーンではないが、小さい子どもに余計な負担をかけようとした罰である。




