春の草原に
先週、投稿先を間違えてしまい、いつもの6時ではなく、8時ころに投稿しています。
先週の分を読んでいなかった方は、そちらからどうぞ。
「キーエ!」
子どもはだいじよ。
お前もだいじ。
「にいさま」
「ええ、きこえています。なぜあんな者を大事にするのか」
その私と兄さまの声をサイラスの耳が拾った。
「なんのことだ?」
「今がどういう状況かわかっているのか! おとなしく投降しろ!」
そんなサイラスにカルロス王子が要求を突き付けた。
サイラスを確保せよ、生死を問わず。そういう命だったのだと思う。だが、生きて捕まえられるなら、そうすべきだ。なにより、なぜこんな事件を起こしたのかの真相がわからないままだからだ。
「淡紫の兄妹よ。どういうことだ?」
サイラスはカルロス王子の呼びかけを無視し、私たちの方を眼光鋭くみやった。
「リア、無視しなさい」
私はハンスにしがみついたまま、首を横に振った。
なぜかはわからないけれど、サイラスに知ってほしかった。
ラグ竜に愛されていたことを、知ってほしかったのだ。
「キーエ!」
「いとしいこよ」
「キーエ!」
「さあ、よもあける」
私が誰の言葉を代わりに言っているか、わかるか。私はサイラスをじっと見つめたまま、ゆっくりと竜の言葉を翻訳した。
「キーエ!」
「はやくこんなせまいところをぬけて、ともにそうげんをかけよう」
「キーエ」
「いつものように」
サイラスは信じられないというように私を見たあと、ラグ竜の顔に手を伸ばした。
「お前なのか」
「キーエ?」
「おなかはすいていない?」
「馬鹿な。私はもう大人だぞ」
ラグ竜がそっと鼻先でサイラスをつついた。
「キーエ」
「いいえ、おまえはいつまでもわたしのいとしいこ」
誰も何が起こっているか理解できないまま、沈黙が落ちる草原に、竜と私と、サイラスの声だけが響く。
「ハハ。そうか」
サイラスはぽんぽんとラグ竜の頭を叩いた。
「お前の仲間を利用して、何頭も死に追いやった私なのに」
私の隣で体を固くして立つ兄さまからは、死に追いやったのはラグ竜だけではないだろうと、小さな声が聞こえたような気がした。
「サイラス! 剣を捨てて投降しろ! これが最後だ!」
カルロス王子の最後通告だ。
サイラスは、ラグ竜から一歩下がると、ゆっくりと腰に手をやる。一瞬緊張が走ったが、サイラスはそのまま剣帯を外すと、足元にぽいっと放り捨てた。
今度はほっとした空気が流れる。
シーブスはサイラスの後を追うように、剣帯に手をかけた。
「サイラス。いいのか。最後にひと花咲かせてもいいんだぞ」
その言葉にまた緊張が走る。
「いい。最後まで淡紫にこだわった、私の負けだ」
「おむつも外れてないようなちびに負けたな」
最後通告を突きつけられているとはとても思えない会話だった。
しかし私の名誉のために言っておかなければなるまい。
「おむつは、いっさいになるまえにはずれましたー」
「ハハハ! どうでもいい!」
サイラスは心底おかしいというように大口を開けて笑うと、胸元から結界箱をすっと出した。
「これはもういらないな」
そしてそれもぽいっと地面に放り投げた。
この期に及んで、結界箱を地面に投げ捨てる必要があるのかと、見ている者は疑問を覚えただろう。そしてその皆の目が一瞬結界箱に集中した時、サイラスは素早く後ろに下がった。
下がった先は、結界の及ばない、虚族のいる世界だ。
「ハハハ! もういらない命だ。虚族にくれてやる!」
誰もが呆気に取られて動けないでいる中、虚族だけが命の気配を感じて動き始めた。
助けるべきなのか、それともこのままにすべきなのか。
四侯の誰か一人が結界を張れば、サイラスを虚族から守ることができる。
だが、私たちキングダム一行は、サイラスにまつわる騒動から身を遠ざけられてここにいる。
ウェスターのヒューは、その私たちを守るのが役割だ。
ファーランドの兵たちは、サイラスがこんなところに来るわけがないと思い、油断していた。
つまり、いざサイラスとまみえたら、どうすべきかという確固たる信念を持っている人は誰もいなかった。その心構えの甘さが、サイラスを一瞬自由にさせてしまったのだ。
「キーエ!」
一番早く動いたのが、サイラスのラグ竜だったのは皮肉なことだ。
だが、サイラスはそれを拒否した。
「来るな! 結界から出てくるんじゃない!」
「キーエ!」
あぶないわ、いとしい子。
「来るな! 戻れ!」
かつて私を守るように死んでいたという竜も、こんなふうに行動したのだろうと胸が熱くなる。
ラグ竜はサイラスを強くつついて地面に倒すと、その上に覆いかぶさった。
「キーエ」
うごいてはだめ。
「あああ! 戻れ! 戻ってくれ!」
「キーエ」
お前といられて、楽しかったわ。
「あああ……」
私はハンナに抱かれて、ラグ竜の下に入り切るくらい小さかった。子どもの竜なら、守り切れることもあるだろう。
だが、サイラスは大人だ。しかも大柄な男性だ。
虚族はラグ竜に群がり、ラグ竜が覆いきれなかったサイラスにも群がった。
やがて虚族が、ゆらゆらと姿を変える。
大きなラグ竜と、そしてサイラスの姿を映して。
「あわれだな」
ハンスのつぶやきに、私は返事ができなかった。なにか大きなものがのどにつかえて、飲み込みたくても飲み込めない、そんな気持ちでいる。
「私が行きます」
兄さまが腰のローダライトを構え、結界の外に踏み出していく。
止めようと伸びる手が、途中で止まる。
そう、兄さまの腰にも、小さいラグ竜のお守りがついているのだ。
サイラスの顔をした虚族が、ゆらゆらと兄さまに近づいていく。あいつはもういない、ただその姿を映しているだけとわかっても、不安が心を揺らす。
「これで、本当に最後です」
直接顔を合わせたのは、トレントフォースから領都に行く途中の難所だった。
それから幾たびかまた出会い、別れ、そのたびになぜか私に執着してきたサイラスの心は、草原に一人、飢えた体で膝を抱えた幼い子どものままだったのかもしれない。
兄さまの剣が、サイラスを斬り裂くと、その姿はシュッと縮んでぽとんと地面に落ちた。
「なぜ泣く、リア様」
「わからない。ただ、かなしいの」
いくつもの人の命を奪ったサイラスを許すことはできない。
ただ、夜の草原を吹き渡る風のような寂しさだけがそこに残った。
「ヒャッハー!」
その奇矯な叫び声に振り返ると、サイラスの最後に気を取られている間に、シーブスが剣を拾ってラグ竜で走り出すところだった。
その顔にはサイラスと共に人を殺し世を騒がせた後悔も迷いもなく、ただひたすらに明るい笑みが浮かんでいた。
「まあ面白い人生だったぜ!」
当然その叫びが許されるわけもない。シーブスはファーランド軍を突破できず、おそらくその場で殺されたのだと思う。
私には誰も教えてくれなかったけれども。
兄さまは、サイラスだった魔石を握りしめ、結界に戻ってきた。
「終わりました。これで、すべて。リアを苦しめたものはいなくなりました」
「うん、おわった」
私はハンスに地面に下ろしてもらい、兄さまにぎゅっとしがみつく。
キングダムを揺るがした犯罪者は、春の夜、あっけなく草原に消えていったのだった。
次で終わりです。
お話は続きますが、次でいったんお休みです。
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