ラグ竜の愛
「転生幼女はあきらめない」書籍9巻は12月15日、
コミックス7巻は同じく12月14日に発売予定です。
また、「転生幼女」9巻は通常版と、リアのアクキーがついた特装版と二種類発売決定です。
特装版は予約のみで購入できます。購入ページへの行き方は活動報告をご覧ください。アクキーの分お高いですが、確実に手に入ります。
「お前、なんでこんな中途半端なことをする」
交渉を引き延ばそうとしているのか、バートがサイラスに問いかけた。
「中途半端なこととはなんだ」
サイラスは最初から楽しそうだったが、今は全力で状況を楽しんでいるという感じだ。
「なぜ中途半端にローダライトを壊した。なぜ俺たちの使者を直接殺さなかった。そしてなぜ」
「このちびどもを殺さなかったか?」
サイラスはもはや満面の笑みを浮かべている。
「ハハハ。むしろなぜわからない? もったいないだろう」
何がもったいないのか、私には全く理解できない。
「死んでしまったら、人の命はただそれだけだ。だが、生きて夜の闇をさ迷えば、それは虚族の糧となり、魔石になる。だから私はできるだけ生かすのさ」
あまりのおぞましさに、誰も何も言い返せない。
古のキングダムでは、犯罪者を虚族に与えたという。だが、それは残された者に消えない悲しみと恨みを残し、やがてそれは燃え上がり、反乱を起こすに至る。
私とニコはミルス湖でそれを学んだ。
虚族のいる世界で、人を虚族の糧と考えるのはただひたすら邪悪なのだと。
「だから怪我をさせて放置したのか?」
「怪我を? ああ、難所の奴らか」
サイラスは興が乗っているようで、ぺらぺらとしゃべってくれる。
「私は何もしていない。ちょっとラグ竜に押されただけだろう」
私ははっとして、サイラスのラグ竜の群れに目をやった。
そう言えば、なぜサイラスはラグ竜の群れを自在に扱えるのだろうか。もちろん、ラグ竜には善も悪もない。リーダーになるラグ竜がいれば、そのラグ竜についていくだけだ。
だが、ラグ竜はあの大きい体でも、穏やかな草食の生き物である。
リーダーは群れの行く先を決めるだけで、人を害したり、他の生き物を攻撃したりすることはないはずなのだ。
ないはずなのだが、私の記憶が警告を発している。確かにあっただろうと。
思い出せ、思い出せ。
そう、ナタリーが怪我をした時だ。
「どうして」
私の口から、問いがこぼれ落ちる。
「なんだ、淡紫」
いっそ私のことを愛しいと思っているようなサイラスの声だ。
「どうして、らぐりゅうが、おまえのいうことをきくの」
「どうしてかな」
クックッとサイラスの楽しげな笑い声が響く。
「どうしてかな。私の小さい頃から、ラグ竜は私の仲間なのさ。なあ、竜よ」
「キーエ」
なあに。愛しい子。
「どんなに人が冷たくても、草原に出ればいつでもラグ竜が側にきてくれる。飢えれば食べ物をくれる。話せば答えてくれる。何を言っているのかさっぱりわからなくてもな」
「キーエ」
いつでもわかっているわ。
あなたが私の言うことがわからなくても。
私は呆然と呟いた。私と同じだ。
「りゅうの、かりおや」
「難しいことを知っているな、淡紫よ。さて、余興は終わりだ」
そう言うなりサイラスは私の胴をつかんで、竜のかごにポイっと放り入れた。
「淡紫は国境まで預かる! 行くぞ!」
「おう!」
「キーエ!」
私がかごの中でばたばたもがいている間に、ラグ竜は軽快に走り出した。
「リア!」
「にいさま!」
「リアー!」
あの時もそうだった。
お父様がもう少しで追いつくところだったのに、ラグ竜に引き離された。
ラグ竜の愛ゆえに、ラグ竜の優しさゆえに。
私はかごの中でぎゅっと体を丸めた。
泣くな、泣くな。
今は少しでも休んで、体力と魔力を取り戻すとき。わずかな間でも結界が張れるように。
それが生死を分けることになるかもしれないのだから。
その決意もむなしく、ラグ竜の揺れが快適ですぐに眠ってしまったのは無念である。はっと気が付いた時には、既にラグ竜の足は止まっていた。
外はまだ暗いから、朝は来ていない。だが、伸ばした手の先も見えないほどの闇夜ではない。おそらく、朝が近いのだろう。それでも、まだ夜だから、止まったラグ竜の群れに虚族が集まっては弾かれている。
そこまでつらつらと分析していると、少し離れたところから声がかかった。
「あきれた心臓の強さだな、淡紫よ。気絶しているかと思ったら、ぐっすり寝ているだけだったとは」
「しつれいな。ようじはよる、ねるものでしょ」
「ほらみろ、この状況でその軽口、肝が据わっている」
いきなりサイラスの声で始まる寝起きは気分の良いものではないが、問題はそこではない。
この状況とは何かということだ。
私はかごからぴょこりと顔を出した。
「おお……」
かごから子どもの頭が出てきたことに驚いたのだろう。前方から驚いたようなどよめきが聞こえる。よく見ると、兵士のような気がする。見たことない人ばかりだけれど。
「リア!」
見たことのある人もいた。
「カルロスでんか!」
私は嬉しくて手を振ったが、よく考えたら、すごく切羽詰まった呼ばれ方だったような気がする。
私の頭はようやっと高速回転し始めた。
私はさらわれた。
サイラスに。
非常事態である。
慌てて後ろを振り返ると、こちらは見たことのある人ばかりだった。
「にいさま!」
「リア……。よかった……」
安心するのはまだ早いと言ってやりたい私である。今までスピスピと気持ちよく寝息を立てていた自分が言えることではないが、まだ事件は解決していないのだから。
目の前にファーランドの人たちがいるということは、夜じゅう駆け通して、ついにはファーランドの国境まできたということになる。
私の予想では、サイラスは私を人質に、国境を抜けようとするはずだ。私の考えるべきは、国境を過ぎてからどう助かるかである。
サイラスは、ファーランド側に体を向けた。シーブスの方は油断なくウェスター側を向いている。
「見てのとおり、こちらには淡紫がいる!」
手を振ってやろうかと思ったが、不謹慎なのでやめておく。
「これから一時間後、ファーランドのどこかで解放する。両軍とも、それまでここから動くな」
最初に私が予想したとおりである。
一時間など、下手をすれば目視できる程度の距離しか進めないとは思うが、それは敵味方どちらにとっても同じことだ。ファーランド軍からサイラスが見えなくなれば、サイラスからもファーランド軍が見えなくなる。たとえ半日後と指定したとしても、見えなくなったファーランド軍がその言葉を守るかどうかはわからない。
ファーランド側からは、カルロス王子が一歩前に出てきた。
「お前が一時間後、安全にリアを解放する保証がない。逆に今ここでリアを解放すれば、両軍とも一時間は動かないと誓おう」
きちんとファーランドの代表として交渉しているカルロス王子が、珍しくも頼もしい。
「この人数の差で、そちらを信用する理由がない」
だが話し合いは平行線である。
「シーブス」
「ああ」
サイラスの一言と共に、シーブスは腰の剣をすらりと抜くと、私の首にぴたりと当てた。
これは怖い。
そっと兄さまのほうを見ると、兄さまが動揺しているように見える。が、それ以上に気になることがあった。
向こうのラグ竜がこちらを見て、落ち着かずそわそわしているのだ。体が大きい分、人の動揺よりわかりやすい。
サイラスが小さい頃からラグ竜と親しんでいたというが、私だって赤ちゃんの頃から親しんでいた。なんならトイレにも一人では行かせてもらえなかったくらい大事にしてもらっていたのだ。
「こちらには四侯の娘がいるのを忘れるな。これ以上話し合いが長引くのであれば、この子どもを切り捨てて強行突破する。竜よ! 集まれ!」
「キーエ!」
サイラスの声と共に群れのラグ竜が集まってきた。この群れごと駆け抜ければ、中央部にいるサイラスとシーブスはとりあえず国境を突破することはできるだろう。
その後は地の利とラグ竜の能力次第ということになる。
この交渉においては、私を毛一筋たりとも傷つけたくないと思っているウェスター、ファーランド側より、失うものが何一つないサイラスのほうが有利なのは明らかだ。
だが、そうしてファーランドに抜けて、サイラスはいったいどうするというのか。確かに今だけは私を確保している分だけ有利かもしれないが、いずれは追いつかれ、つかまってしまう未来しか私には見えない。
カルロス王子が離れたところから兄さまと視線を交わし合い、サイラスの条件を受け入れようとしている。
まずい。役に立つかどうかわからないが、さっき頭に浮かんだことを試してみるしかない。
私はすうっと大きく息を吸いこんだ。
「りゅう!」




