宿の異変
ところが、その宿が問題だった。
いや違う。正確にはその宿に問題が起きていた。
「宿に泊められない? なぜだ。確かに急な話ではあるが、昨日には連絡をしていたはずだ」
その連絡をする役割の人は、あらかじめ決めたコースを先行し、それぞれの町に宿泊の予告をしているのだそうだ。今までの道筋ではそれで特に問題はなかったというのだが、どうやらここでは違うらしい。
「いやね、少し前のことなんですがね」
そう話し始めたのは、前にも会ったことのあるニクスの町長である。
「その前に、淡紫のお嬢さんに挨拶をさせてくださいよ」
町長はニコニコと私の前にかがみこんだ。
「やんちゃな赤んぼだったが、こんなにすぐに再会できるなんて思ってもみなかったですわ。夏青のあなたも」
アリスターにも気が付いて、かがんだまま目礼している。失礼なのかもしれないが、親しげな態度に嫌味は感じられない。
「あいかわらずかわいらしい。お元気でしたかな」
「うん! リアもおぼえてる。またおいしいおさかなたべたい!」
「そうでしょうそうでしょう。宿は手分けして探しますから、心配しないでくださいよ」
ニコニコと宿の保証をしてくれた町長だが、町で一番大きい宿屋は、宿泊はできないらしい。
「なんでそんなことになっているんだ」
「すみません。話の途中で」
町長はよっこらしょと声をかけて体を起こすと、話し始めた。
「もともと大きな宿一つに小さな宿もいくつかあるくらいの町だってことはご存じでしょうが、ある日その大きな宿に、虚族が侵入しましてね」
「なんだと!」
辺境の町は夜には虚族が出る。ウェリントン山脈のそばが一番多いが、海辺のこのあたりも、それなりに出たはずだ。それはつまり、各家の虚族対策はしっかりなされているということにほかならない。
「幸いだったのは、人の起きている時間だったことと、泊まっていた客がハンターだったことでして。侵入してきた虚族はすぐに切り捨てられましたが、いやはや、室内で虚族が出るなどという恐ろしいことは初めての経験でしたよ」
町長が経験したわけではないにしても、身近でそんなことが起きたら恐ろしいだろう。その話をする町長の顔色は先ほど挨拶してくれた時に比べてずいぶん悪くなっていた。
「原因は解明されたのか」
「はい」
町長は大きく頷いた。
「客室の窓枠に使われていたローダライトが欠けていたんですよ」
「ばかな。宿なら特にそういうことは注意しているだろうに」
「もちろんです。ですから、劣化ではなく、明らかに故意にやられたんですわ」
「故意……。いったい誰がなぜそんなことを」
建物の出入り口にローダライトが使われていることで、虚族の侵入を防ぐことができる。だから辺境であっても人はなんとか暮らしてこれたのだ。
逆に言えば、辺境で建物のローダライトを故意に破損することは、大量殺人を意図するのと同じことであり、禁忌である。決してやってはいけないし、やろうと思う人がいるということすら想像できないレベルなのだ。
「幸いと言っちゃあなんだが、小さい宿も町の一般の家も無事でした。だが、修理するためのローダライトの在庫が切れていましてな。ケアリーに買いに行かせているところなんですわ」
「ローダライトはトレントフォースが産地じゃなかったか?」
「トレントフォースまでは二週間かかりますし、この先は道が狭くて危険ですからな。急ぎのものならケアリーのほうが近いし、確実になんでも手に入りますから」
ヒューは少し苦い顔をした。どうやらケアリーの町長が捕まったという情報はまだこの町までは届いていなかったようだ。
「犯人は。疑わしいのは宿に泊まっていたハンターだが」
「いえ。その時町に泊まっていた人はすべて調べましたが、疑わしいものはおりませんでした。犯人がわからないのは私らにとっても不安ですが、今はまめにローダライトを確認する以外できることはないんですわ。それと、ローダライトは多めに買いに行ってもらってます」
不安材料はあるものの、以前泊まった時のように、町長や町の人にも割り振ってもらって、宿を確保することはできた。
「そういえば最近は、ニコ殿下の実験の話ばかりですが、リアのマールライトはどうなりました?」
「それがね」
私はふうとため息をついた。
「ちいさいマールライトは、なかなかへんしつがあんていしなくて」
私はポケットから毎日一時間、変質を試しているマールライトを取り出した。
私の小さい手のひらに収まるくらい小さいマールライトの板だ。
「いつもためしてみてるけど、よるにはへんしつはきえてるの。ほらね?」
私はマールライトに魔力を流してみせた。
「あれ」
昨日まで感じられなかった変質が、今日はできている気がする。
「もういちどまりょくを。うん」
確かに結界の変質ができている。
「ナタリー?」
「いえ、ここはルーク様かと」
「そうだった。にいさま、いま、ませきもってる?」
「持っていますよ」
兄さまは荷物から布の塊を出すと、丁寧に開いた。魔石が小さい順にきちんと並べられている。もちろん、どれも濃い紫だ。
「ニコ殿下のマールライトが発動するのがこのサイズです」
兄さまが大きい魔石を取り上げた。
「ううん、ちいさいほうからやってみる」
「箱がありませんが」
実験の箱は、アリスターが用意してくれている。
「いらないの」
要はマールライトとローダライト、そして魔石が重なればいいのだ。
私は一番小さな魔石をもらい、枕の上にマールライト、ローダライトを重ね、その上にポンと置いた。
「いちばんちいさいの、だめ。つぎ」
にいさまに小さい魔石を渡し、次の魔石をもらう。
「にばんめにちいさいの、だめ。つぎ」
次の魔石は、明かりに使うもので、比較的手に入りやすい大きさだ。
「みっつめにちいさいの。わあ」
枕を中心に小さい結界が立ち上がる。
結界は私をしっかり覆っているが、兄さまは手を伸ばして不思議な顔をしている。
「私を半分だけ結界が覆っています」
「俺のところには来てないです」
「私もです」
少し離れたところにいたハンスとナタリーが報告し、少しずつ近寄ってきた。
「ここだ」
「ここですね」
兄さまを真ん中に、ハンス、ナタリー。
その線をつなぐと、結界の範囲がわかる。
「ちょうど、ひとひとりぶんくらいだ」
「リア。これは……」
まさか成功するとは思わなくて、私も兄さまも戸惑いの気持ちが先に立つ。
しかし、ハンスは違ったようだ。
「リア様。それを俺に渡してくれませんか」
「ハンスに?」
「はい。俺はバートと同じくらいの体格です。俺がベルトのところでこの結界箱、いや、箱じゃないが、それを持ったら、結界が人を中心にどこまで広がるかわかりやすいでしょう」
私は兄さまが頷いたのを確認して、一度魔石を外した。
「さきにマールライト、ローダライト」
ハンスに一つずつ手渡していく。
「これを体の前に持ちますぜ」
ハンスはマールライトとローダライトを重ねたものを、ちょうど腰のベルトの位置で手のひらに載せた。
「そのうえに、ませき。はい」
「載せます」
ふおん、と結界が立ち上がる。
「ナタリー、うえをかくにんして」
「はい」
ナタリーが背伸びし、手を伸ばしてハンスの頭の上で手をひらひらとさせる。
「あ、このくらいです。このくらいで結界が切れています」
ハンスの上15㎝から20㎝くらい、つまりベルトのところから一メートルちょっとということになる。
「半径およそ一メートルの結界ということになりますね」
「俺一人、ちょうどはいるくらいだな。前方は意外と余裕があるが、手を伸ばすと、頭の上は結界から手が出ちまう」
ハンスはそのまま狭い部屋を二歩ほど歩いた。
「歩いても結界に入ったままだ。ルーク様」
振り向いたハンスの顔は呆然としていた。だが私は少しむっとした。そこはルーク様ではなくて、リア様と呼びかけるべきではないのかと。
「これは夜の世界を変えますよ」
「そんなにですか?」
「ええ。ラグ竜ごと覆える結界箱は追跡には便利だが、使う魔石がでかいです。だが、これは大きめの明かりの魔石で使える。確かに結界の範囲は狭いが、おそらく虚族を跳ね飛ばしながら、まるで昼間と同じように歩いて行ける。つまり」
ハンスの喉がごくりと大きく動いた。
「辺境であっても、虚族など、初めから存在しないものとして行動できるってことですぜ」
ハンスと兄さまは、目を見合わせたまま言葉もない。
それを作ったの、私なんですけど。そう声を掛けたくてもとてもかけられる雰囲気ではなかった。
私はそっとナタリーに目を向けた。
ナタリーはナタリーに出来る最大の笑顔でニコリと微笑み、大きく頷いてくれた。
それは作った私が置き去りにされて悲しいこの状況に差す、一筋の光だった。勇気をもらった私は、ハンスと兄さまに割り込んだ。
「ハンス。それ、リアがよいものをつくったってこと?」
いつまでも置いてきぼりではいられない。私の作ったものだからだ。
「それに、まえもいったけど、てのとどきそうなところにきょぞくがいたら、こわくてへいきであるけないよ」
何度も言うが、虚族にやられてしまうのは恐怖心と焦りである。
「普通の民は怖がるだろうが、バートたちのようなハンターやヒューバート殿下の護衛などは大丈夫だと思いますぜ。それに」
ハンスは重ねた結界の仕組みを乗せた手を、腰のベルトのところに移動させた。
「これだけ小さければ、箱と違ってベルトにしっかりとくくりつけることができる。そうすれば、走っても転んでも両手が使えるし、体から結界が外れることはない。問題はこの小さい魔石で一晩結界がもつかどうかってことなんです」
「それは検証してみないといけませんね」
兄さまがそう提案したということは、私の小さなマールライトは、実用実験に入っていいくらいのいいものだということになる。
「でも、ひとばんじゅうおきてるのたいへんよ」
「リア、結界箱は昼でも使えますよ。使う必要がないだけで」
「そうだった」
「じゃあ、リア様」
ハンスが私の前にしゃがみこんだ。
「明日から、俺が使ってみます。どうやってベルトに着けるか考えなきゃなんねえが」
「ハンカチで十分ではありませんか? それか、革ひもを十字に巻くか。あるいは、リア様のぬいぐるみみたいに綿をたくさん詰めたポーチもありでしょう」
ナタリーの提案はとても実用的だった。
「そんなに思いつくなんて、さすがナタリーだな」
「伊達にリア様の専属ではありませんからね」
ナタリーが鼻高々である。ただし、それがなぜ私の専属という言葉に結び付くのかはわからない。
「実践に使うなら、布も革も弱すぎて、マールライトやローダライトが折れちまう可能性があるが、試しならそれで十分だ」
ハンスの言葉になるほどと思う。それで熱や明かりの魔道具も、基本形が木の箱なのかと今ごろ納得である。
「でも、ためしなら、バートがやりたいっていうよ?」
そもそも一人用の結界がほしいと言ったのはバートだ。
ハンスは口元を片方だけ上げて、ニヤリと笑った。とても悪い顔だ。
「バートが欲しがったのは、ラグ竜に乗ったときに乗り手とラグ竜ごと覆える結界箱でしょうが。人一人覆えるやつを求めてはいなかったですよねえ」
「それはそうだけど」
なんだか嬉しそうなハンスに、詭弁ではないかとは言いにくいのだった。
「それに、この実験は、そもそもバートに依頼されたものではなかったはず。リア様が皆にお金を払って、自分でやっていることでしょう」
そうだった。きっかけはバートの依頼だったが、それは一度なしになり、改めて私がある意味趣味で始めた実験なのだ。
「そもそも、バートが欲しがった理由は、ヒューバート殿下のために働きたいからだろ。けど、リア様の作った魔道具なら、まずリア様を守るために俺が使うべきでしょうが」
「う、うん」
珍しいハンスの強い口調に私はちょっと引き気味に返事をした。
「そうでしょう?」
「はい! そうです」
念を押されたので、私は思わず背筋を伸ばした。
「先のことより、今の危険だ。なんで皆こんなにお気楽なんだか」
ぶつぶつ言っているハンスの批判の中に私は入っていないと思う。兄さまがそんな私をみてクスクスと笑っているが、いつもと違うハンスがちょっと怖いので、笑っていないで助けてほしいくらいだ。
「リア様」
「な、なに?」
私はちょっとびくびくと返事をする。
「できるだけたくさん、このマールライトを作ってくれませんか。もちろん、遊んでいる隙間でいいんです」
「うん、わかった」
「ありがとうございます」
ハンスは即席の結界の魔道具から魔石をそっと外し、それを兄さまに、マールライトとローダライトは私に、それぞれ手渡した。
「明日の朝、もう一度預かります。ナタリーはハンカチを貸してくれ」
「まさか持っていないんですか?」
「ハンカチなんて持ってねえよ。俺の持ってるのは手ぬぐいだ。しかも汚れてる」
「まあ、あきれた」
思いがけず、明日からやるべきことが増えてしまったが、少なくとも小さいマールライトはついに変質した。短時間でも、小さい魔石で結界を張ることができることが証明されたのだ。
私は満足した気持ちでぐっすりと眠ることができた。




