結界の外
少年らしい元気さがあるとはいえ、11歳のルークも14歳のギルも相当疲れたらしい。その日は早くに部屋に入って寝てしまった。
本人の希望とはいえ、こんな厳しいことをやらせていいのかという思いはある。しかし、私もルークも、何か、何かが変わるきっかけが欲しかったのだ。
次の日の朝出発し、ついたのは二日目の午後、そろそろ日も陰ろうかと言う時だ。
もう年だろうにと言っても、
「辺境に暮らしているものを馬鹿にするな」
と言ってネヴィル伯も付いてきた。おかげで私たちの到着が遅くなって渋い顔をしていた商人も、ころりと態度を変えた。辺境近くでは、四侯の名は通らないらしい、それはそれで面白いが。
「ここはウェリントン山脈の北部、虚族の出やすい所と言うことでここを選びましたが、本当に結界の間際に虚族が出ますぞ。だからここら付近には人の住む町もない。ハンターでもよほど慎重にやらないと下手をすると命を失う場所なんです」
商人は本当に大丈夫なのかと言うようにネヴィル伯に確認する。もっとも、王都の商人ならもし四侯に何かあったらと考え、恐ろしくて決して受けない依頼でもある。
「なあ、あんた」
この無礼な男が、今日ルークとギルを託すハンターだ。30歳は行っているだろうか。私よりはやや若く、ぼさぼさの黒髪に茶色の瞳をしている。ハンターはおよそ10人ほど。たいてい5、6人で組むハンターだが、それが二つ。年上のほうのパーティのリーダーらしい。
「なんだ」
「本当に結界箱はあるのか」
私は荷物持ちにうなずいて見せた。荷物持ちは、荷物からそっと小箱を出す。大人の手のひら二個分の大きさのそれは、半径三メートルほどの結界を作る。箱を開けて魔石を見せると、男は唾を飲み込んだ。
「ほんとにきくという証拠はどこにある」
「息子の命をかけてまでだます価値などない」
私が静かに言うと、男は初めてルークとギルを見て、思わず眉を上げた。
「本物の、四侯」
今その前に私を見ただろうに。私は少し苛立ったが、その気持ちを抑えた。任せるしかない男がこんな間抜けで、それなのに優秀だというなら、ハンターとはろくなものではない。
ルークらが虚族を待ち受けるのは、結界から私の目の届く場所だ。200メートルほど離れたところには、日も陰りかけ黒々としたウェリントン山脈がそびえる。その場所には、小さなテーブルとルークとギル用の椅子が二つ用意してある。そのテーブルの上に結界箱を置き、結界を拠点に虚族を狩る。
キングダムの結界を出る前に、男がルークとギルに簡単な講義をする。
「いいか、これがローダライトの剣だ。念のため坊主たちにも用意してある。なまくらに見えるが、これでないと虚族は切り裂けない」
「はい」
「結界が本物なら、そこを拠点に戦う。俺の言うことを必ず聞き、結界から動くな。いいな」
「はい」
「では行くぞ」
私も一緒に結界のそばまで行く。しかし、途中で肩を押さえられる。
「グレイセス」
「この先に進めば結界を出てしまいます」
こういう奴だ。ルークとギルは、私に頷くと歩いていく。そしてほんの10歩ほどで動きが止まった。
「さすが魔力もちだな。ここが結界の境目だ」
「空気が変わった」
「そんな風に感じるやつは珍しい。普通はピリッとした何かを感じるだけさ。辺境にいたらいいハンターになったのにな」
男はそう軽口をたたくと、警戒しながらテーブルのある場所にルークとギルを連れていく。結界箱はルークに持たせてある。ルークが結界箱をテーブルの上に置いて、結界箱のカギをかちっと回す。
「うおっ」
という男たちの声が確かにここにも聞こえた。ルークたちも首を振っている。確かに結界は作動したようだ。男たちは歩き回って、3メートルの結界の範囲を確認している。12人中にいるが、半径3メートルというのは案外広い。ほっとしたような雰囲気が広がった。
「閣下、こちらに」
グレイセスが私を抑えているのに飽きたのか、私用の椅子が運ばれてきた。椅子に座り、様子を見る。
と、騒いでいる男たちを尻目に、ルークが、そしてギルがハッと顔を上げて山のほうを見た。私もルークの視線の先を見る。景色が揺らいで見える。暑い日に遠くを見る時のように。
そこでやっと男たちも気が付いた。その時は、もうそれはかなり結界のそばに近付いてきていた。
ヴン、と。結界の中にいてもそんな気配を強く感じる。体を揺らされるような、不快な気配だ。それと同時に揺らぎが実体を持つ。人、そして森の獣か。
少し慌てるハンターを、あのリーダーの男が落ち着かせる。ヴン、と、それが結界に跳ね返される。ほっとしたような気配がした。最初5体くらいだったものが少しずつ森からあらわれ、増えていく。ヴン、とひときわ大きい気配がすると同時に、グレイセスが私の前に出る。
「よい。そのためのキングダムの結界だろう」
「しかし」
「これを見に来たのだ。我らのやっていることが、何のためなのか」
グレイセスが引く。私から10歩ほどのところには、人の格好をしたそれがゆらゆらと揺れ、こちらに手を伸ばそうとしては結界に跳ね返されている。それは次第に数をゆっくり増やす。
「これが、虚族」
「感情も文化もない。ただ発生しては、人の生気を取り込もうとする、自然現象のようなものです」
そのグレイセスの言葉を受け入れるには、あまりにも人間そのままの形だった。
「おや、ハンターたちが狩りを始めた」
その言葉にルークのほうを見る。ハンターたちは結界の範囲を見極めると、交代で剣を振り始めた。人と戦うのとは全く異なる。斜めに大きく切り裂く。すると、虚族は揺らめいて姿を消していく。
「そうして、魔石となって下に落ちるのです」
どうやら調子よく狩れているようで、次第に若いほうのグループが前に出始めた。リーダーの男が何か言っているが、聞いていないようだ。ルークとギルはそれを食い入るようにしっかり見ている。
だんだん若いパーティにつられて、もう一つのパーティも前に出始めた。
「まずいな。このままでは全員結界から出てしまう」
グレイセスのつぶやきに私も同意する。
と、一番前で虚族の相手をしていた若い者が何かに足を取られて転んだ。グレイセスの体が前に動いて、止まる。転んだ男に虚族が集まり、仲間がその虚族に切りかかるという、結界を使う意味のまったくない戦闘が始まった。
「このままでは転んだ男はまずいな」
意外とグレイセスは口数が多いなどと気がそれた時、男の周りで虚族を狩っていた仲間が急に結界に戻ってきた。見捨てるのか。いや。
ルークの前の結界箱をつかむと、そのまま転んだ男のところに走り出した。あっけにとられるルークとギル。叫ぶリーダー。まるで時がゆっくりと流れるように見えたその時、結界がなくなったルークたちのそばに、虚族が押し寄せてきた。




