お疲れの王子様
そこから出発まで私がファーランドの一行に煩わされることはなかった。
せめてジャスパーは私たちとすごすかもと思ったがそんなこともなく、逆に兄さまとギルはずっと一行につきっきりで、せっかく春休みに入ったというのに私たちとすごす時間もなかった。
ニコも王子だというのに特に参加することもないようだ。
「まあ、かりにもいっこくの王子にようじのせわをさせるわけにもいかぬということだろう」
ニコはまったく気にもしていない。
「じぶんでようじとか言っちゃう? ニコ、おかしいわ」
そしてクリスに笑われているが、確かに五歳に近いとはいえまだ四歳、父親と近い世代の王族と交流するというのがそもそもおかしいのだ。私もニコと同じように余計な仕事をせずにのんびりできる、はずだったのだが。
「やれやれ、本当にうっとうしいったらないね。ただでさえ忙しいのにこちらの仕事を増やしてくれてさ。勝手にウェスターに行けばいいじゃないか。なんならうちを横切らないで、トレントフォース側から直接行ってくれたらよかったのに」
「そうでしゅか」
そう返事をする以外どうしたらいいというのだ。ファーランドの王子の相手をしないで済む代わりに、自国の王子の相手をしなければならない羽目になっている私である。しかも四歳の子持ちである。うち、とはつまりキングダムであるところがさすがだ。
「父上はしごとをしなくてもいいのか?」
ニコはお父様だからか遠慮がない。ランバート殿下が椅子の上にだらりと伸びた。
「ニコ、私はずっとイースターで頑張ってきたんだよ。少しは休ませておくれ」
「わたしは父上がいてくれるならうれしいが。いっしょにけっかいでもつくろうか」
「久しぶりに息子とゆっくりできると思えば、不穏な会話だよ」
どうやらとてもお疲れのようだ。こういう時は甘やかすに限る。私はお父様世代の扱いには慣れているのだ。
私は控えているメイドに目で合図した。
「おひるのまえだけど、おちゃとおやつをみんなぶん、おねがい」
「承知いたしました、リーリア様」
メイドはすぐに手配を始めた。
「私が留守の間に、リアがいつの間にか王子宮の主みたいになっているし。もう片言じゃないし」
「ぬしってなんですか、ランおじさま」
クリス、そこは深く突っ込まないでもらいたい。
「そこを支配する親玉ってことかな」
「あら」
クリスがニコニコと笑った。
「ここをいごこちよくしてくれているのはニコだし、わたしとリアはそれでとても楽しいし、それならぬしって言ったらニコのほうかしら」
「わたしがぬしか。なんだかかっこいいではないか」
ニコが喜んでいてかわいい。もちろんクリスもかわいくてほっこりする。幼児をからかう不届き者、純粋な幼児に反撃を受けて撃沈するの巻である。私はふふんと鼻で笑った。
「ほら、今親玉らしく私のことをあざ笑ったよね?」
私はさっと横を向いた。おそらく気がついたのはランバート殿下とハンスだけである。
「父上、つかれているんだな」
ニコがランバート殿下の膝をポンポンと叩いている。
「リア様、お茶のご用意ができました」
「ありがと」
メイドはテーブルの横にカートを置いてしずしずと下がった。
「ニコ、ナプキンを」
「わかった!」
「クリスは、おちゃを」
「わたししかいないものね」
連携は慣れたものである。私は主らしくてきぱきと指示を出した。ニコはカートの下からナプキンを取ると、ランバート殿下の膝によじ登り、首元に差し込んで広げた。
「ええ、ニコ、いったいなにをするんだい」
「父上はしずかにすわっていてくれればよい」
クリスは私たちの中では一番背が高いので、カートの上で優雅にお茶をカップに注ぐ役割だ。そしてその横でお菓子の皿をせっせとテーブルに運んでいるのが私である。
「お茶が入ったわ、ランおじさま」
「うむ」
お砂糖とミルクがたっぷり入ったクリス特製のお茶の入ったカップをソーサーの上に乗せて、ニコが慎重にランバート殿下の元に運ぶ。カップがカタカタなっているが、落とすほど不安定ではない。
「に、ニコ、それはメイドにやらせればいい。危ないぞ」
「だいじょうぶだ、父上。このくらいなれているからな」
「慣れているってどういうことなの?」
ランバート殿下は嘆いているが、むしろ成長を褒めてもらいたいところだ。私たちはお茶の時も作法を習うが、いつもいつもきちんとしていると飽きてしまうので、時々は自分たちでいろいろやらせてもらっているのだ。
「ほら、父上。おいしいぞ。クリスのいれたおちゃはこくてあまい」
「あ、ああ。ありがとう」
ちなみに私のいれるお茶は薄めでお砂糖もミルクも少々といったところだ。ランバート殿下はおそるおそるお茶を一口飲んだ。
「……うまい」
「つかれているときは、とくに甘いのがいいんですって。スタンおじさまもよろこぶのよ」
「そうか、リスバーンが」
ラン殿下はお茶の甘さにつられたように優しく微笑んだ。確かに、クリスの家での様子がうかがえて笑ましいと思う。
「ほら、父上」
ニコがクッキーを持ってラン殿下の口元に差し出した。私はと言えば、ニコの横でクッキーのお皿を持ってお代わりの準備をしているところだ。
「これをたべろというのかい? 自分で食べるよ」
「いいから。ほら、父上」
「ええ……」
抵抗していたラン殿下はニコの圧に負けてクッキーを口にした。口元からポロリとクッキーのかけらが落ちるが、誰もそれを指摘したりなんかしない。
「ランおじさま、お茶を一口よ」
「う、うん」
そうしてお茶を一口、クッキーを一口と次々と詰め込まれたラン殿下は、ついに降参した。
「ありがとう、もう十分いただいたよ。お茶もクッキーもおいしかった」
「そうか、父上。よかったな」
ニコは再びランバート殿下の膝に登ると、ナプキンで口元をごしごしと拭き、襟元から外した。私もクッキーのお皿を慎重にテーブルに戻す。
ニコもテーブルの上にナプキンを戻すと、ラン殿下のお腹をさすさすとさすってみている。
「うむ。なかなかいいおなかになった」
「くすぐったいよ、ニコ」
ラン殿下はおかしそうに体をねじっている。
「つかれたときは、こうしてここをいっぱいにすると、心がいっぱいになる。そうしたら、たいていのことはなんとかなるものだ」
「そうか」
ラン殿下はそんなニコをよっと勢いをつけて膝の上に抱き上げた。ニコはなかなか密度のある子どもだから、重そうだ。
「それはリアに教わったのかい」
「ああ。おなかいっぱいでなかよしといっしょにいたら、げんきになるのだ」
「そうか。そうだね。私も元気になった気がするよ」
ラン殿下はニコのお腹に腕を回して、髪の中にそっと顔を埋めた。
「この子たちのため。そう思えばなんとかなるか。身勝手な辺境のためになんで身を粉にして働かねばならないのかと思っていたところだったが」
私ははっとした。そういえば、キングダムの王族、つまりニコのお父様がイースターに出て戦争の後始末をしていたという事実と、目の前のラン殿下がその本人だったということがまったく結びついていなかった。お父様もお疲れだが、今まで他国に出たことのなかったランバート殿下が、イースターの中心となって政務に励んだとなれば、それは疲れもするだろう。
「確かにキングダムには結界があり、虚族の出ない生活ができているかもしれないが、それは万能ではないし、結局は為政者が国をきちんと治め、民が自分で活動しなければ豊かにはならない。結界がありさえすればうちの国も、という言葉は聞き飽きた」
絞り出すような言葉を私たちが聞いてよかったのか。
「王族と四侯、一部の者の力に頼らねば成り立たぬ国のほうがおかしいのかもしれないね。わかっていたことだけれど」
お父様がずいぶん前に言っていた言葉と同じだ。きっと王族も四侯も一度は通る道なのだろう。あまり考えないようにしていたのかもしれないが、イースターで結界のない国の現実と向き合ったことで、自覚せざるを得なかったということか。
レミントンのように闇に堕ちねばいいがと、ひっそりと願う。
私は意思を持って、そしてクリスはおそらく思いやりの気持ちで、ニコを膝に乗せているラン殿下にそっと寄り添った。
「君たちより、辺境に育った彼らのほうが甘ったれなのはなぜなんだろうね」
「おしごとがんばってるおとうさまをみていたら、わがままいえないもの」
四侯がどれだけ頑張っているから国が回っているのか、忙しい父親を見ていたらわがままなど言えるわけがない。マールライトがほしいなどわがままなうちには入らないと言っておこう。
ランおじさまはくっくっと笑って体を揺らした。どうやら私と同じことを頭に思いうかべたらしい。
「わがままなんて言えないって? 娘がほしいと言ったから鉱山を買うと、表情も変えずに言っていたけどね、リアのお父様は」
「こうざんはいらないっていったのに」
私はガクリと肩を落とした。
「ハハハ。侯はやる気になればいくらでも仕事のできる男だからね。きっと鉱山を手に入れるんじゃないかなあ」
ランおじさまがそれで楽しいならまあいいかと思う。
「さて、それはキングダムの中では難しいだろうから、ファーランドか、ウェスターか。ファーランドなら、ちょっとばかり高い関税をかけてやろうか。それとも身分証を出すのを遅らせてやろうか。肝心な時には手助けを寄こさず、甘えるだけの国には痛い目を見せてもいいよねえ」
「だめでしょ」
既に闇落ちしている可能性を感じて震えそうな私である。
「かんぜいがどういうものかわからぬが、いせいしゃがふこうへいなことをしてはならぬと言っていたのは父上だぞ」
「わかった、わかったよ」
ランおじさまはニコを膝からそっと下ろすと、三人並んで自分を見上げる私たちを順番に優しく見つめ、胸に右手をそっと当てた。
「結界より大切な、キングダムの良心たちがここにいる限り、為政者として正しくあると誓うよ。ニコ、リア」
ランおじさまは私たち二人に呼び掛けた。ということは今回の件だろう。私は気を引き締めてランバート殿下を見つめた。
「私は君たちがウェスターに行くことには反対だった」
ウェスターの招待に応じて私たちを行かせることを決めたのは陛下であって自分ではないと、そういうことのようだ。
「だから、体を大切にして、無茶をせず、必ず戻ってきておくれ」
「はい」
「はい」
私たちはしっかり頷いた。
「そしてクリス、二人がいない間、時々は城にお茶をいれに来てくれるかい」
「はい。いつでも」
にっこり笑ったクリスに優しく頷いて、ランバート殿下は部屋を出ていった。
残された私たちはどうしたか。
「さあ、リア、クリス」
「そうね、わたしたちもお茶にしましょ」
「うん!」
その日はさすがの私もお昼を残してしまいお父様に心配されてしまったのだった。




