幼児だってやさぐれる
ラグ竜と言えば、ずっと揺られながら走り続けるものと思っていた私は、ぽくぽくとのんびり進む速度に少し戸惑った。おそらくだが、やはり人をさらって逃亡しているということで昨日までのラグ竜は相当無理して走らせていたのだろう。
それなのに私をかばってくれた。そう思うとハンナのことも思い出してしまうので、無理やり心の奥に封印する。こんな時はどうするか。
私は、ポンチョのポケットから固くなったパンを引っ張り出した。よく考えたら水はもらったが朝ご飯は食べていない。人はお腹がすいたら悲観的になるものだ。
水筒は手の届くところに置いてもらっていた。私は小さくてかたいパンを削るように食べ始めた。もぐもぐ。もぐもぐ。しかし水分がないとつらい。よく考えたら、水筒を開けてくれる人がいない。困った。もぐもぐ。
パンの残りをポケットにしまい、水筒を両手で持って顔を上げると、たくさんの視線が突き刺さった。
どうやらパンを食べるのを見ていたらしい。それならば止まってくれるとか、新しいパンをくれるとかすればいいのではないか。私はイラっとした。そして一番近い人に、
「おみじゅ。あけて」
と水筒を持ち上げて見せた。
「よーし、少し止まるぞ!」
その人は隊列に声をかけた。アリスターが前のほうから竜を急がせてもどってくる。
「ちびがどうかしたか」
「水が飲みたいってよ。って言うか、たぶん腹が減ってる。カチカチのパンをかじってたぞ」
パンがカチカチなのまで見ていたのなら、やっぱりどうにかすべきじゃない?
「バート! ちょっとこいつに飯食わせてもいいか!」
「いいぞ。もうどうせだいぶ遅れてるしなあ」
「助かる」
アリスターは背が低いが、かごを開けて私をぐいっと竜から降ろした。兄さまと違って、力強い。
「すぐ食べられそうなものは、これだけなんだ」
と言って、手にもてるサイズにパンを細長くちぎり、チーズを添え、水筒のふたを開けてくれた。チーズ! 三日間ほとんど水とパンだった私は、チーズにかじりついた。もぐもぐ食べ水を飲んでいる私を、なぜかみんながかたずをのんで見守っている。よし、パンも少し食べていたことだし、満足した。私は残ったチーズを返し、パンはポケットに入れた。アリスターはそれを見て眉を上げた。
「ほしいならいつでもやるから、それは出せ」
「や」
いつでもくれるかどうかまだわからないではないか。私は3日間の間に若干すさんだ幼児になっていた。
「お前、どこぞのお姫さんだろ。なんでそんなに食い物に卑しいんだ……」
近くの男がそうつぶやいた。卑しいのではない。危機管理だ。それにたとえお姫さんでも一歳児は特別なものを食べているわけではない。私はその言葉は聞かなかったことにしてよっと立ち上がった。
「チージュありがと。のりゅ」
「お、おう」
お礼は大切だからね。アリスターは私の行動に一瞬呆気に取られて、それから慌てて竜の背のかごに乗せ直してくれた。
「変な赤んぼだぜ。気味が悪い」
食い物に卑しいと言っていた男がそうつぶやいた。変でもいいのである。変でわがままでなかったら、ここに来るまでに弱っていたかもしれないのだから。
竜がぽくぽくと動き出す中、私は背中の荷物をできるだけ動かし、すっぽりはまれる空間を作った。まだお昼にもなっていないけど、疲れたのだ。それなら、眠るしかないのだから。
「寝ちまったよ」
変な赤んぼと言った男はそうつぶやいた。男たちの向かっている町はトレントフォースと言って、辺境ではあっても実は位置的には王都の真西に位置する。ただし間に急峻なウォルソール山地が挟まっているので、キングダムとは行き来はできないし、キングダム側ではトレントフォースの町の存在すら意識していないだろう。
「どうしたんだ、ミル」
アリスターがまた竜を下げてきた。
「や、赤んぼが寝ちまったと思ってな」
「ああ、リーリアか。変な子供だよな」
「お前もそう思うか」
「ああ」
トレントフォースはそれなりに大きな町で、小さい子供もたくさんいる。アリスターは小さいなりにハンターのはしくれとして、大人に交じって働いてはいるが、小さい子と接する機会も多い。でもこんな、何と言うか、
「落ち着いた、いや、大人びている?」
「それだ! 大人の女でももっとこう、おびえた感じだろ?」
連れが死んだとわかった時こそ泣いたが、そもそも幼児が、人の死を理解できるのか。
「アリスター、お前、この子を引き取るって、大丈夫か」
ミルは赤んぼを見ながら心配そうにそう言った。
「そんなこと言って、ミル、お前らの誰かが引き取ってくれるか」
「それは……」
ミルは詰まった。トレントフォースの仲間たちは、子どもを売り払うような仲間ではない。しかし、薄い色の瞳は貴族のあかし。そんな面倒ごとをわざわざ自分のもとに引き寄せたいとは思わない。
「俺は父親のもとで育てられたわけじゃないけれど、8歳まではキングダムにいた。多少なりとも魔力持ちの扱いはわかる。同胞を見捨てるほど冷たくはなれない」
アリスターは、その目のせいで、キングダムの中を転々として来た。リーリアの紫の瞳は、間違いなく四侯の一つのものだ。アリスターは片手を思わず自分の目にやった。俺の目も、そうだ。夏の空の色。
何かにおびえるように俺を連れて転々とした母。腕のいいレース職人だった母は、どの町に行っても食べるのに困ることはなかったが、誰かに俺の目のことがばれるとすぐに引っ越しをした。
「父さんはいないの?」
という俺に、小さいからと馬鹿にせず、父親が貴族であること、その父親が貴族なのに幸せとは思えないこと、だから俺を父親の家族に渡したくないのだということをきちんと説明してくれた。なぜ幸せになれないかまでは教えてはくれなかったが。
そうして目を隠して生きることにも慣れた。そして目の色がばれると、今まで親切にしてくれていた人の目が変わるのを何度も見てきた。
今住んでいるところでは、あえて目の色をさらし、魔力の高さを売りにして生きている。母さんこそなくなってしまったが、キングダムで暮らしていたころよりよほど自由なんだ。リーリアがどんな暮らしをしていたのかわからないけれど、少なくとも自由には暮らせるはずだ。たぶん。
アリスターはリーリアを抱え上げた時の温かさを思い出す。結局のところ、ぬくもりが欲しいのは自分かもしれなかった。




