到着
普段の私ならこういう時、きちんと、
「はなしぇ!」
と言ったと思う。しかし、この六歳になるローク君は、私の言うことを一切聞かないのである。言っても無駄だと知っている私は、死んだ魚のようにだらりとつかまったままだ。
「ニコ殿下もいた! こんなせまくるしい所にいないで、外であそぼうぜ!」
「ロークどの。そとであそぶのはかまわぬ。しかし、そのまえにリアをはなせ。ちいさいこはたいせつにしなければならん」
「え? なんで?」
なんでではない。私は一層だるさが増した。ファーランドの子どもは、言葉が理解できないのだろうか。
「なんでではない。リアがくるしそうではないか」
ニコ殿下の言葉に、ロークは手に抱えた私の方を見たのだろう。私にはお腹に回った手しか見えないが。
「だってこいつ、すぐにげるじゃん」
「いやだからにげるのだ。それにこいつではない。リアどのと、ちゃんとそうよぶべきであろう」
三歳が六歳にこれである。キングダムの未来は明るい気がする。
「ちぇ。しかたない」
助かった。ロークが手を離してくれたので、私はハンスのほうにふらふらと歩いて行った。ハンスはまた私が捕まらないようにひょいと抱き上げてくれた。本当は、両手がふさがるから護衛は私を抱いてはいけないのだが、この場合ロークから私を守るにはこれしかない。
「ふう。めんどう」
「リア様、本音が漏れてますぜ。ほら、幼児のふり、幼児のふり」
思わずため息をついた私にハンスが小声で諭した。
「はんす、りあはようじでしゅ」
「そうだったなあ」
そうだったじゃないよ。どうやら楽しく遊んでいると誤解されているようで、周りもあまり手を出してくれないから、心底疲れるのである。
「リア様の周りにはニコ殿下を始めとして、お利口な人しかいねえからなあ。これも人生経験だろ」
「そんなけいけんいりゃない」
私はハンスの顎の下でぶつぶつつぶやいた。
「けど、リア様も自業自得だよな。面白い遊びを教えるから、すっかり懐かれちまって」
「ふう」
私はまたため息をついて、最初の出会いを思い返した。
私たちはいろいろあったコールター伯の屋敷を出てから、上機嫌のラグ竜と共に楽しくおじいさまの屋敷に向かった。少し素直になったアルバート殿下は、休憩の間もニコと遊んだり話したりして楽しそうだ。何よりニコが楽しそうでよかった。
ニコを取られてさみしくないかって? 私には兄さまがいるから全然かまわないのである。普段は寮にいて週末しか一緒にいられないので、何かと理由をつけては兄さまの側にいるようにしているのだが、特に何をしなくても楽しい。側にいて歌ったり踊ったりしているだけでもいい。家族とはいいものである。
「ふんふんふーん」
「その奇妙な動きは一体なんだ?」
ギルはしばらく私を眺めてぽつりとつぶやいたのだが、失礼ではないか? 私は一生懸命説明してあげた。
「たのちいきもちでしゅ」
「楽しい気持ち」
「もうしゅぐおじいしゃまのおうち」
「ネヴィル伯の家か」
それがこの流れるような楽しい踊りに表されているのである。ギルは腕を組んで首を傾げている。
「リアの気持ちが詰まった愛らしい踊りです」
「お前の目はおかしいのか」
にこやかな兄さまと比べてギルはまったくなっていない。私はかわいそうな気持ちでギルのほうを眺めた。
「なんでおかしな踊りを理解できない俺が一番の間抜けみたいな目で見られるんだ。納得できないぞ」
「修行が足りないのではないですか」
「なんでだ」
兄さまがニコニコしているのならそれでいい。
しかし、おじいさまの屋敷につく大分前に、屋敷から早馬ならぬ早竜がやってきた。ファーランドから予期せぬ客人が来ているというのだ。
正直なところ、私は甘く見ていた。この前の貴族の屋敷でも、私にはお相手はいなかったし、今回も最低は六歳だという。兄さまやギルは人当たりがいいし、皆が交流している間に、おかあさまの気配がわかるものを見せてもらおうと思っていたのだ。きっと肖像画もあるだろう。
竜に乗って登場というわけにはいかないので、屋敷のしばらく前できちんと竜車に乗り換えた。
「おかあしゃまのえ、ありゅ?」
「クレアお母様の絵なら、こないだ行った時にはいくつか飾ってあったと思います。特に階段の踊り場から見えるところに、よく見えるように一枚飾ってありますから、まずそれを楽しみにしておくといいですよ」
「たのちみ」
おかあさまはどんな顔をしているんだろう。
「花を抱えて笑っている絵なのですよ。色あいこそ違っても、本当にリアにそっくりで」
兄さまは目を細めて遠くを見るような顔をした。
「確かにな。早春のシロハルマチグサの小さな花束を抱えて、どんなにはかない人かと思う絵なんだが、リアを知ってからもう一度見ると、いたずらな人に見えてくるから不思議だよな」
そう言えばギルも、去年の夏、おじいさまの屋敷に来たことがあるのだった。それにしても、やはり失礼な発言ではないか?
そんな話をしている間に、やがて竜車は平原の真ん中にポツンとある屋敷に近付いていく。よく見ると、屋敷から少し離れたところに等間隔に四つ、塔のようなものが立っている。その塔のあたりから手前に町が広がっているようだ。
「にいしゃま、あれは?」
「よく気が付きましたね。あれは物見の塔だそうです。平原で周りに囲いを作ることができないため、遠くを見張るために作られたのだとか。今でも交代で四方を見張っているそうですよ」
それはかっこいい。そして町の入り口から屋敷までは、広い一本道だ。縦横に碁盤の目のようにきれいに道が作られており、その両側にはたくさんの家が並んでいるし、人の行き来も多い。
「このあたりの中心の町です。王都ほどではありませんが、にぎわっていますよね」
「ファーランドとの交易の中継地点のようなところだからな」
二人は私にもわかるようにわざわざ説明してくれている。
「今は急ぎますが、滞在の間に、領民に一度お披露目のパレードがあるかもしれません。私たちはともかく、非公式とはいえ王族の訪問は珍しいことですからね」
ニコは大変だなあと他人事のように思う私であった。
町を抜けると、広場のような前庭があり、そしておじいさまの屋敷が建っていた。
「おおきい」
「うちと変わらぬほど、いや、うちよりも広いのではないでしょうか」
「北の国境の領地を守るためなんだろうな」
もう少し大きくなったら、キングダムの歴史も習うだろう。なんだかいろいろありそうだ。
そして先に下りた兄さまに支えられて馬車を下りると、そこには屋敷の人たちと思われる人に加えて、明らかにファーランドの人達だろうと思われる年若い一団が待ち受けていたのだった。




