躍る影
「これは確かに心をやられるな」
コールター伯はつぶやいた。どうやらだいぶ落ち着いたようだ。
トレントフォースでエイミーが、ノアのお父さんの姿をした虚族を見てふらふらと惹かれそうになった時、私は冷静だった。ハンナの時は、行動するような余裕はなかった。
だが、こうして身近な人が、虚族に影響を受けているさまを見ると、なるほど、見えてしまうということがいかに人にとって大きいのかということがよくわかった。
「コールター伯、どうしますか」
ギルが静かに呼びかけた。
「ニコラス殿下に虚族を見せるという当初の目的は達成されました。あとは、虚族を」
ギルはそう言うとまっすぐに老人の姿をした虚族のほうを見、自分の腰にあるローダライトの剣に目をやった。
「倒しますか」
「それは」
虚族の写す姿がコールター伯の知り合いだったと、わかっていてそう言えるギルはすごいと思う。
「島にいる虚族はかなり少ないようです。目に見える範囲の虚族を倒せば、このまま島から出ることも可能ではないですか。寒いなか一晩中幼い子を外に出しておくことはよいこととは思われませんが。戻せるなら戻したいと思うのです」
しかも、臨機応変である。私はアリスターに似たその横顔を感心して見つめた。
「倒すか倒さないかはともかく、今戻ることを考えない方がいいと思います。人型の虚族を見てしまうとつい、虚族はそういうものだと思ってしまいますが、小さい生き物を取り込んだ虚族もいます。ほら」
兄さまが指さしたところは地面で、ネズミのような小さいものが明かりの中動いていた。そして上に目をやると、確かに鳥のようなものが音を立てずに空を舞っている。
「確かに、舟に乗り込むときが最も危険だな。すまなかった。ルーク殿、ギル殿。殿下方がかまわなければ、いや、小さい子らが大丈夫というのであれば、あれを、虚族を」
コールター伯は一度静かに息をすいこんだ。
「倒してはもらえまいか」
兄さまは私の手をそっと放すと、ハンスに目をやり頷いた。
「リア様は、ニコラス殿下と手をつないで座っていてください」
ハンスが指示を出す。ハンスは両手を空けなくてはいけないから、わたしと手をつなぐことはできないのだ。ギルもニコの手を離すと、アルバート殿下を見、改めて確認した。
「これから虚族を倒しますが、ニコラス殿下に見せて大丈夫ですか」
「なぜそなたらはリアは大丈夫かと気にかけぬのだ」
アルバート殿下が苛立ったようにそう言った。ギルは私の方をちらりと見ると、アルバート殿下に視線を戻した。
「リアは辺境でハンターと共に狩りに参加していたと言います。虚族を倒す様子は既に見たことがある。だったら、ここでわざわざテントの中に隠すより、我々の目の届くところにいたほうが安心です。しかし、ニコラス殿下は何もかもが初めてのことですから」
「せっかくここまで来たのだ。最後まで見せてやりたい」
「承知いたしました」
いくら兄さまも狩りの経験があると言っても、まだ12歳だ。15歳の、背の高さは大人並みのギルが判断してくれる様子はとても頼もしいものだった。しかし、コールター伯の部下には、この島専用の狩人とかはいなかったのだろうか。いなかったんだろうな、と、浮かんだ疑問にすぐ答えを出す。いたら、コールター伯に何らかの報告が行っていたと思うから。
ギルと兄さまの二人は、結界ギリギリまで進むと、ローダライトの剣を構えた。結界の端は、虚族がはじかれているのですぐにわかる。
ゆらゆらと手を伸ばす虚族を、ギルが斜めに切り裂く。
ひゅっと息を呑む声は大人から聞こえる。ニコは私の手を握って静かに座っている。
斜めに切り裂かれた虚族は、斬られたところからずれるように一瞬姿を留めたが、やがて内側に縮むように魔石となって落ちた。
「なんということだ……やはり虚族だったのか」
コールター伯のつぶやきが聞こえる。いくら説明されても、心が納得しない、ということをよく表していると思う。ニコは大丈夫だと思うが、アルバート殿下もわかってくれただろうか。
兄さまと、ギルと、交互に前に出ながら虚族を切り裂いていく。大きいものから順番にだ。やがて目に見えるところに、動く虚族がいなくなり、兄さまたちは後ろに下がってきた。
「魔石は明日拾った方がいい。でも、ほら」
ギルがどうやら一つだけ拾ってきた魔石を、ニコに手渡す。けっこうな大きさだ。ニコは私の手を離すと、両手でそれを受け取った。
「ませき。いつもみているませきは、このようにしてわたしのもとにくるのだな」
「そうですよ、ニコ殿下。キングダムには本来虚族はいないので、辺境のハンターが狩ったものを、キングダムがたくさん買い付けているのです」
「そうか」
さっきまで虚族の姿をしていた魔石を、気持ち悪いと思う者もいるが、どうやらニコはそうではないらしい。
「ギルバート、ルーク、ご苦労であった。さて、それでは子どもたちはそろそろ休む時間だ」
アルバート殿下の声に、ニコはギルに魔石を返して立ち上がった。さて、私もテントに行かなくては。私は手間をかけないいい子なのである。寒さで少しこわばった体で慎重に立ち上がると、ニコはすたすたと先にテントの方へ行こうとしていた。
子ども同士なんだから、待ってくれてもいいでしょ。手を貸してくれとまでは言わないけれども。私はちょっと口を尖らせた。別にすたすた歩けるのがうらやましいというわけではないんだからね。
やっと起き上がって、私もテントの方へ行こうとすると、ニコはテントに入ろうとして、ふと立ち止まり、湖のほうを見た。私もつられて湖のほうを見た。
夜の食事だろうか、こちらの明かりにうろこをきらめかせる魚が湖の上に跳ねていた。
ニコはそれを見つけると、目をきらめかせて湖のほうに歩いて行った。桶の中でお魚を触らせてもらったのはつい昨日のことだ。もしかしてさわれないかと思うのは当然のことだろう。
私は走らなければと思うのに、焦りのために体が動かなかった。虚族を倒した安心感で、皆がニコから目を離しているのだ。
ニコ、気づいて。その魚は、跳ねているのにどうして水音がしないのか。水面に触れることなく舞う魚の正体に。
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