竜と私
そんなことを現実逃避に考えていても、竜はリズミカルに二本足でとっとっと走り、お父様と兄さまから遠ざかる。
「はんな」
「なんでしょう」
「なんで、りゅう、ちゅいていくの」
「ああ、それは」
ハンナが落ち着いたころに、私はいろいろ聞いてみることにした。実は私たちの乗っている竜にはひもも何もついていない。それなのにちゃんと前の竜についていくのだ。それより大事なことがあるだろうって? 幼児は興味を持ったことから聞くべきだ。
「ラグ竜は、群れで暮らすそうです。2頭以上いれば、どちらかがリーダーになって、他のものはそのリーダーにちゃんとついていくのですよ」
「ほあ」
そんな習性があったとは。では、竜を暴走させるとか、竜の注意を引いて進路をそらさせるとかはだめだな。もっとも少女と幼児じゃそんな荒業もできないけれど。
「とおく、いちゅも、りゅう、ちゅかう?」
「遠く? いえ、竜は使いますが普通は4つ足でもっとのんびり移動する、ダブ竜という竜で竜車を使います。ラグ竜は最速の竜で、スピードを楽しむためや急ぎの用の時に使うものなのですよ」
ハンナはいつものように律義に答えてくれる。最速ということは、屋敷の者がすぐに気づいて追いかけてこなければ私たちに追いつかないということになる。これはまずい。途中で休んだ時に、なるべく長くトイレに行くとか、駄々をこねるとか、時間稼ぎをするしかないか。
もっともこれを実行したら、ご飯を途中で取り上げられて急がされたので意味がなかった。
なぜ町の手前で休んだかはすぐにわかった。竜を素早く替えるためだ。初めて見る屋敷の外の町は、とても刺激的だった。朝早くはあったが道のそこここで近隣の農家の人らしき人が春の野菜を売っていたり、冬越しの果物を売っていたりする。
「辺境産の新鮮な果物だよ」
という声には思わずそちらを見てしまったほどだ。
「辺境まで10日もかかるのに、新鮮なわけないだろう!」
「ちげえねえ」
などと笑いが起きていた。朝早くから仕事に行く人のために、屋台も出ている。いい匂いだ。私は思わず言った。
「あれ、ほちい」
「リーリア様、いけません、屋台のものなど不潔です」
不潔も何も、そもそも男はそんなもの買ってはくれないのだった。町で食事などしていたら目立つし、時間もかかる。だから急いで竜を替えると、男はまた竜を急がせる。ずっと抱っこで揺られている私も疲れるが、移動に慣れていないハンナも疲れているようだった。
その日、また味気ないパンと水のお昼を取ると、休憩引き延ばし作戦は阻止され、すぐにまた竜に乗せられた。午後の日差しの中でうとうとしていると、ハンナがぼうっとしながらぶつぶつと独り言を言い始めた。
「マシューは薬をもらえたかしら。なぜ私まで連れてこられたのかしら。どうして私はリーリア様を……でもマシューの薬が……それにレミントンには逆らったら母さんが仕事を……」
私はそのハンナの話をうとうとしながらもしっかり聞いていた。マシュー。お母さん。ハンナは私の前で家族の話などしなかった。でも子供の世話は慣れていて、私の言いたいこともよくわかって、まじめに相手をしてくれた。
「マシュー……母さん」
私は抱っこされているハンナにそっとよりそった。ハンナは無意識に私を抱きしめ、ゆらゆらと揺らす。一緒に少し眠ったらいい。もう半日以上竜に揺られているのだから。そうして一眠りして目が覚めると、竜はまだ、とっとっと走っている。ハンナは眠っているようだ。
私は寝る前に聞いた話を思い出す。どうやら、ハンナは脅されているらしい。お母さんの仕事と、マシューの薬代のためだろうか。レミントンとは、家名だろうか。
こないだ自分の家名がオールバンスだということは知った。リーリア・オールバンス。兄さまがルーク・オールバンス。お父様がディーン・オールバンス。結界を支える魔力を持つ家系だという。
情報が少なすぎる。できることをするしかないが、幼い体では何もしようがない。やがて、夕闇が訪れ、また向こうに町の見える街道沿いのところでラグ竜は停まった。
「ここで食事をとり、仮眠をとれ。次の町でまた竜を替える」
私たちも揺られっぱなしだが、男もほぼ丸一日ラグ竜に乗りっぱなしだ。さすがに疲労の色が濃い。私とハンナは素直に食事を取り、トイレに行こうとしたら、なぜか竜に邪魔をされた。
「ちっこ、いくの」
この際恥ずかしいとか言っていられない。私は竜に訴えたが、竜がまた邪魔をする。
「群れ認定されたようだな。たまにそういうことがあると聞いている。危ないから遠くに行くなと言ってるんだろうよ」
男がくっくっと笑っている。冗談ではない。漏らしたらどうしてくれる。
「俺が少し遠くに行くから、その間に済ませるがいい」
絶望的だが、そうするしかない。竜に見守られながら用をすますという大変珍しい経験をした私は、ちょっと機嫌が悪い。ハンナはちゃんと遠くに行かせてもらったのに。しかし、男は構わず荷物から毛布を出したので、私たちは横たわれることに感謝しながら少しの眠りについたのだった。
「そろそろ起きろ」
男に起こされた私とハンナだったが、当然体は重かった。それでもかごの中で寝るよりはましだ。
「小さいのは元気だな、よし」
そう言うとまたかごに乗せられ、次の町に向かった。
二つ目の町は、一つ目の町より大きく、一層にぎやかだった。だいぶ寝たと思ったがまだ真夜中ではないようだ。男は、また酒場のようなところに向かった。裏口のドアを四回たたく。
「やっと来たか、遅いぞ」
「女子どもだぞ。少しは休ませないともたん」
「ちっ、仕方ない。しかしそろそろキングダムの護衛隊が動き始めているはずだ。ここからは休んでいる暇はないな」
男たちは時折こちらを見ながら何かを話し合っている。ここまで私たちを連れて来た男はこちらを振り返ると、
「では俺はここまでだ。次はこいつについていけ」
と言った。
「や」
私はハンナとつないでいた手を離した。1歳の幼児を揺れる竜に乗せて閉じ込めて丸1日だ。もう無理。トイレだって自由じゃないし。
私はそのままくるりと振り返ると、すたすた歩き始めた。とりあえず人の多いほうに行こう。迷子になったと言えば何とかなる。
しかしすぐにつかまってしまった。どうやらすたすた歩けてはいなかったらしい。
「おとなしいいい子じゃなかったのかよ」
「おとなしいじゃねえか。逃げるときでも泣きも騒ぎもしねえ」
一応バタバタしてみたが何の意味もなかった。逃げるのが駄目なら待遇改善だ。
「じゃあ、ありぇ、ほちい」
「なんだと」
「おいちいものほちい」
パンと水だけでは飽き飽きだ。
「お前、さらわれた身で勝手なことを」
「にく! おやちゅ!」
「は、ははっ」
男はついに笑い出した。
「わかった。俺が差し入れてやるから。お前、もうこいつら連れて竜に乗ってろ」
男は交代の男にそう言うと、にぎやかなほうに消え、やがて竜のかごに収まった私たちに、葉っぱのようなものに包まれた何かと飲み物を持ってきてくれた。そしてポンチョのポケットに何かを入れた。
「お前、幸せになれよ」
そう言うと、振り返りもせずに雑踏に消えた。いまさらなにを言うんだ。さらったくせに。と同時に竜が動き出した。
「はんな、あけて」
つつみのなかは、肉を細かく刻んで甘辛く味付けしたものを小麦粉で包んで焼いたおやきのようなものだった。それをハンナと半分こしながら食べる。その間にも竜は走る。私たちは一体どこに行くのだろう。




