兄さまのお母様
私はといえば、今まで物理的な危険はあったものの、優しい世界の中で生きてきたんだなあとしみじみと感じていた。自分に言われているわけではないものの、このやり取りはちょっと怖い。
「リア、せっかく楽しんでいるところだが」
ジュリアおばさまの抱っこは楽しんでいるけれど、怖い会話は特に楽しんでいない。
「さすがに四侯がこれだけ集まっている上に、王家まで顔を出しているとあっては他の人は挨拶に来づらいだろう。少し場所を移そうか」
お父様に頷いたが、私はテーブルの上を名残惜しそうにちらっと見た。
「もちろん、飲み物も飲もうな」
「あい!」
ジュリアおばさまから下に降ろしてもらうと、飲み物をとってもらって、こぼさないよう見守られながら飲むことができた。もちろん、うっかり間違って私にジュースをかけようとする人などいなかった。
「さあ、大人の間を歩くと危ないからな」
飲み終わると、すぐにお父様に抱き上げられた。そうして少しずつ移動しながら、今度は兄さまも一緒にいろいろな人と挨拶をしたが、正直途中からどうでもよくなって適当になったのは仕方ないと思う。とりあえず、にこにこしておけばよいのだ。
いつの間にか一周回ったのか、またギルの家族と合流した。優しいジュリアおば様とスタンおじ様ともだが、ギルと合流できてちょっとほっとしたのは内緒である。
ジュリアおばさまは私を優しく見て手を伸ばしたので、私はまたおばさまに抱っこされた。ちょっと嬉しい。しかしおばさまは、私を揺らしながら何気なく言った。
「ルーク、ダイアナが来ていたわよ」
「ジュリア様、来るという話は聞いております」
「そう」
それで話がすんでしまい、なんとなく気まずい沈黙が訪れた。ダイアナとは兄さまの本当のお母さんのことだろうか。
しかし、それを合図にしたかのように、部屋の向こう側からゆっくりと女の人が歩いてきたのが見えた。金の髪に緑の瞳、年はお父様と同じくらい、つまりジュリアおばさまと同じか少し若いくらいだろうか、落ち着いた雰囲気はあるものの、ひときわ美しい人だった。
「ダイアナお母様……」
兄さまが思わず口にした。その兄さまの肩に、お父様の手がそっと回り、引き寄せる。お父様を見上げる兄さまの目には、信頼があった。
お父様と仲が悪く、離婚して別の人に嫁いだという。兄さまをあまりかまわなかったということを遠巻きに聞いたことがあるが、私の知っていることはそれだけだ。高く結い上げた金色の髪を揺らしながら歩いてきたその人は、兄さまの前で止まった。
「ルーク、夏以来ね」
夏、と言えば私が辺境にいた頃だ。夏に一度会っているということなのだろう。私はジュリアおばさまに抱かれて横からそのダイアナという人を見ていたが、その目には確かに兄さまに会えて嬉しいという気持ちがあふれていた。
「ダイアナお母様」
「12歳のお誕生日おめでとう、ルーク」
「ありがとうございます」
ぎこちないながらも、ちゃんと温かい空気が流れていてほっとした。しかし、ダイアナという人の目はほんの少し気まずそうにすぐ兄さまから離れ、私のほうに向かった。その目が少し大きく見開かれた。
「まあ、ルークと同じ瞳ね」
兄さまと同じ。お父様ではなく。
「あなたが今日の主役の一人ね。お誕生日おめでとう。私はダイアナよ。ルークの母親の」
「りーりあ・おーるばんすでしゅ。だいあなおばしゃま」
「まあ、かわいらしい。おばさまにも来るかしら」
おばさまという言葉に抵抗もない。子どもをかわいいと思える。そうやって私に手を伸ばすくらいには子ども好き。それなら、なぜ兄さまを置いて行ったのか。
もちろん、四侯の跡取りだからだ。連れて行きたくても連れていけなかったのだろう。本当のところはわからない。でも、私には、今、兄さまとお父様から逃げているように、その時も逃げてしまったのだろうというように思えたのだった。
「だいあなおばしゃま」
「なあに?」
「そのては、にいしゃまに」
「え……」
お父様が最初間違えたように、ダイアナおばさまも間違っている。何も言わないから、自分から来ないから、だから求めていないと思うのは間違いなのだ。
「にいしゃまの、おかあしゃま。いちばんは、にいしゃまに」
なぜだろう、私を抱いているジュリアおばさまの手の力が強くなった。
「ルークに」
いいのかしらと言うようにダイアナおばさまの目が兄さまに向かった。ずっとダイアナおばさまをじっと見ている兄さまのほうに。
「お母様、あなたを抱いてもいいのかしら、ルーク」
お父様は何も言ってはいけません。私は何か言いたそうなお父様を目で黙らせた。
「お母様がそうしたいなら」
兄さまはちょっとうつむいた。ダイアナおばさまが恐る恐る兄さまに近寄り、手を伸ばす。一度伸ばした手を引っ込めもう一度のばすと、今度はちゃんと抱きしめた。
お父様と比べると小さい子どもに見えていた兄さまは、少し背の低いダイアナおばさまに抱かれるとあまり身長も変わらず、だいぶ大きく見える。
「大きくなったわ。大きくなったけれど、少し私に似たのかしら。あの頃のディーンと比べるとずいぶん優しいわ、ルークは」
「私には自分が優しいかどうかはわかりませんが」
優しくあろうとしているのだということを私は知っている。それからお父様はもう少し黙っていて。まだ何か言いたそうなお父様に私は首を振った。
「お父様は優しくはなかったのですか?」
そこを突っ込んだら駄目だと思う。
「何を言っても何をしても全然興味を持ってくれなくて、意地悪だったわ」
「意地悪かどうかはわかりませんが、興味のないことにはまったく無関心なのは変わりませんよ、お父様は」
「二人目の子どもを持っても変わらないのね」
今度こそ何か言いそうなお父様に、私は手を伸ばした。
「おとうしゃま」
「リア」
二日ぶりに抱いたみたいな顔をしないでほしい。
「あっちのじゅーちゅのみたい」
「では行くか。ルーク」
「大丈夫です。リアを連れて行ってやってください」
「そうか。ではダイアナ、ゆっくりしていってくれ」
「ありがとう」
そのまま兄さまとダイアナおばさまを残して、私たちは少し向こうにあるテーブルに移動した。何か二人で話しているな。よかった。
「リア、ジュリアにはもっと早く会わせればよかったな」
「あい」
でも、ということは会わせないようにしていたということだろうか。
「適切な乳母をつけるべきだったがタイミングがずれ、そのうち母親を恋しがるようになるかもしれぬからと、ついその世代の女性を遠ざけてしまってな」
なんと。では、もしかしてだが。
「にこのおかあしゃま」
「あえて出てこないようにしてもらっていたのだ。クレアを、お前の母親を奪った私だが、お前が母を恋しがって泣くかもしれないと思うと怖かった」
それでおじさまばかり周りにいたのか。私はちょっとあきれてしまった。しかしどう言っていいものやらわからない。
「りあ、だいじょうぶ。じゅりあおばしゃま、だいあなおばしゃましゅきよ」
「ダイアナもか。奇特なことだ」
ダイアナおばさまはかわいい人だったではないか。どうもお父様は、女の人を見る目がないような気がする。私のお母様と結婚できたのは奇跡だったのではないか。
そしてお父様は、わたしがアンジェおばさまを好きだと言わなかったことには気が付いていないのだった。
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