私とハンナ
お父様たちは何やら友情を深めているようだったが、幼児には幼児の仕事がある。草があったらむしる。土があったら掘る。虫がいたら追いかける。
「おいおい、一歳の頃って俺たちこんなだったか」
「覚えていませんよ。でもリアは他の赤ちゃんと少し違う気がします」
私はむしった草をつかんだまま、兄さまと兄さまの友達を見て、ふっと笑った。わかってない。わかってないよこの少年たちは。
「にーに、ちゅちはね、たいしぇちゅなの。くしゃもね、こう、しゃわるから、わかりゅ」
兄さまの友達は目を丸くして私の言うことを聞いている。
「タイしぇちゅ? ん? 大切、か。土は大切、草も触るからわかる、ってか」
そう。私はまじめに頷いた。小さい頃は何でも触って確かめるのが大切なのだ。生まれ変わって小さい子どもに戻ったら、土や草や虫が面白くてたまらなくなったからでは決してない。
兄さまの友達はしゃがみこんで私の目をのぞきこんだ。
「なあ、俺はギルバート。リア、ギルバート」
「じる?」
「惜しい! じゃ、ギルでいいぞ。ギル」
「ギル」
「っよし」
ギルバートは私の頭をわしわしと撫でた。グラグラする、グラグラするよ。
「ちょっとギル、私はリアと呼んでいいとは言っていませんよ」
「せっま、心せっま」
「当たり前です。かわいい妹なんですから」
私はおかしくなって思わず兄さまの名前を呼ぶ。
「にーに、にーに」
「なんだい、リア」
兄さまは私を抱き上げた。この人たちは隙あらばすぐ抱き上げようとするのだ。油断大敵。
「や、ありゅく」
「ちょっとだけ。ちょっとだけだから」
もう。こうして学院がお休みの時は、兄さまの他にギルも遊びに来るようになったのだった。
そうして私が一歳と三か月になったころのことだった。季節はもう春である。ある日の夜、ドアがそっと開いた気配で目が覚めた。おや、珍しい。最近はお父様も夜に来ることはめっきり少なくなっていたのだが。
少しぼんやりしていたら、そっと入ってきたのはハンナだった。
「はんな」
「しっ、リーリア様、夜ですから小さい声にしましょうね」
「あーい」
ハンナは私を手早く着替えさせると、冬に着ていた暖かい帽子付きのポンチョも出してきて私に着せた。大きなポケットが二つ付いていてお気に入りのやつだ。
「ハンナ、ねんねよ? なんでふくをきりゅ」
「寒くないようにですよ。まだ夜は冷えますからね」
そう言うと、上着ごと私をさっと抱き上げてとんとんと背中を叩いた。いつものハンナに安心して、つい目が閉じそうになる。
「リーリア様、ねんねしていてよいのですよ」
寝るべきでないような気はしたが、深夜の眠さにはかなわず、私はこてんと眠ってしまった。
それからハンナは音を立てずに廊下に出ると、左右をうかがい、急いで使用人口から外に出た。侯爵家には、リーリアが一歳になる頃から、門と裏門に警備の人が雇われた。しかし、広い敷地には、抜け出るところが実はいくらでもある。ハンナは事前に調べてあった。
誰にも気づかれてはいない。ハンナはリーリアを抱いたまま侯爵家の広い裏庭を横切り、生け垣の隙間から敷地の外に半分出て、そこで左右をうかがう。すると、夜遅くにもかかわらずゆっくりと馬車がやってきた。馬車は動いたまま、手前で一人男が飛び降り、急いでやってきた。
「赤子は」
「こちらです」
「よし、乗れ」
「いえ、私はここでお嬢様を引き渡すようにと言われただけで」
「しのごのうるさい! ここで騒ぎになればお前もつかまるんだ。すぐに乗れ」
そうして男はすぐ横に来た馬車に無理やりリーリアを抱くハンナを押し込んだ。
おびえて縮こまるハンナと男を乗せ、馬車はまるで止まらなかったかのように動き続け、町の繁華街に向かった。町の繁華街は深夜近いというのに、まだ酒を飲む人や娼館へ通う人でにぎわっていた。
そこで目立たぬように馬車は停まると、男はまだ事情が分かっていないハンナを引きずるように馬車を降り、一軒の酒屋の裏口に入った。
「あ、あの、約束が」
「黙れ」
必死でそう言うハンナに冷たくそう言うと、男は、
「女用の厚手のコートを用意できたか。それからラグ竜の準備はできているか」
と酒屋の男に問いただした。
「ああ、二頭な。一頭はかご付きな。しかし、その嬢ちゃんも連れて行くのかい。あ? なんだよ、赤子もいんのか、長時間は厳しいぞ」
「親が病気でな。少しでも元気なうちに嫁さんと子どもを見せておきたいんだよ。一頭はちゃんと従竜だろうな?」
「もちろんだ。だがラグ竜は乗り心地はいいとは言えねえ。急いでいるとはいえ、大事に運んでやりなよ」
「わかった」
ハンナは何が何だかわからないうちに、厚手のコートを着せられ、高速移動用の竜に乗せられ、気が付くと王都の外で真っ暗な中をリーリアと共に揺られていたのだった。幸い、リーリアは揺れの中でもぐっすりと眠っている。
「ただお嬢様を外の人に渡すだけだって、そう言っていたのに……」
ハンナのつぶやきは夜の闇の中に消えた。




