星の心臓
やはり、あの女は生きていた。
いや、既に死んでいる人間に”生きていた”というのもおかしな話か。死んでも死にきれず、未練を残したままこの世界を彷徨う虚ろな亡霊。死ぬべき場所を見つけられていない、という意味では私とあの女は同類と言っていいが……逆に言うと、共通点はそこだけだ。
制御室の壊れた壁の向こうから、ふわりと宙に浮かんでこちらを見下ろすフィオナ。その姿は組織に居た時の大人の姿ではなく、真っ白なワンピースを身に纏った幼女のそれだった。大昔に役目を終え、長い間放置されていたミサイルサイロ。その中にふわりと浮かび佇む姿は幻想的で、芸術作品のようにも思えるかもしれない。これであの女が私にとっての怨敵でなければ、この光景に見惚れていた事だろう。
自分の勝利を信じて疑わないような、私たちを見下すような目。笑みの中に含まれるそれに気付いた途端、湧き上がる憤怒を辛うじて押さえつけていた最後の枷が一気に外れたのが自分でもよく分かった。
地底から湧き上がるマグマの奔流を誰も止める事が出来ないように、その怒りは私にすら止める事は出来なかった。祖先を利用し、我らを騙し続け、ついには力也の復讐すら自分自身の計画のために利用し彼を弄んだ女。この復讐心を叩きつける敵としては十分すぎた。
気が付いた頃には、私は大きく跳躍していた。無論、それだけではフィオナの場所までは届かない。足りない分の高さを補うため、壁面を蹴って更に跳躍。それを繰り返し、ミサイルサイロの底で制止しようとするオリヴィエの声すらも置き去りにして、フィオナの佇む場所まで一気に駆け上がる。
『―――』
「―――死ね」
その一言で十分だった。
今更、対話をするつもりなどない。元よりここに来た時点でやる事は決まっている。この女とお互いの計画について話し合い、説き伏せるつもりなど毛頭ないのだ。
対話など不要。言葉など不要。
今ここで必要になるのは、敵を蹂躙する圧倒的な力―――ただそれだけだった。
対物破砕槌を思い切り振り下ろそうとしたところで、両腕の感覚が無い事に気付く。力を込めようとしても反応が無く、柄を握っているという感触も無い。一体何があったのかは、頬に降りかかった鉄臭い飛沫と―――視界の端を過っていった、見覚えのある両腕が教えてくれた。
私の両腕だった。
舞い散る血飛沫の向こう、私の勝ちですと言わんばかりに笑みを浮かべているフィオナが見える。
不可視の斬撃―――南カフリアでやっていた攻撃だ。結局、あの正体が何なのかは未だ不明だが、そんな事はどうでもいい。
両腕が無いというのならば、残った肉体で討ち取るまでの事。
回転しながら落下してきた対物破砕槌の柄を加え、壁を蹴って跳躍。それと並行しながら両腕を再生させていくが、速度が遅い。遅すぎる。まだ断面から骨が生え、その表面を筋肉繊維が覆いつつある段階だった。
さすがに両腕を失いつつも反撃してくるのは予想外だったようで、余裕のあったフィオナの顔に驚愕の表情が浮かんだ。
それはそうだ、どんな対価を払おうと貴様を殺す―――フィオナのやってきた事が明るみに出た時点で、私はそう誓っていた。
一族の名に泥を塗った……祖先たちの偉業を利用していた。それだけでもかなり憎たらしいのだが、何より許せないのは夫の復讐さえも利用していた事だ。
力也は復讐に取りつかれた男だった。最愛の家族たる妹の復讐を果たすため、自身の欠損した身体を機械で補ってまで戦いに赴いた。そんな復讐の鬼でも、結婚して子供が生まれてからは人間らしさを見せた。妻を愛し、我が子を愛おしそうに抱き上げる姿は、ウェーダンの悪魔と呼ばれた男とは思えぬほど”人間であり過ぎた”。
彼とて人間だったのだ。復讐のため、輪廻にインプットされた目的を全うするための機械ではない。
そんな男を何年も間近で見守ってきた私だからこそ、あの男が選んでくれた女であるからこそ、最愛の夫を利用されていたという事実はこの怒りをどこまでも増幅させる。
この女だけは地獄に落とす。例えこの命を対価にしたとしても、絶対に。
首を振り払い、口に咥えた対物破砕槌を制御室へと放り投げた。ぶんっ、とまるでブーメランのように回転しながら、最新技術で製造された鬼の金棒を思わせる棍棒が、壁の吹き飛んだ制御室の中へと吸い込まれていく。
戦車砲が直撃したかのように、制御室の中で土煙が舞い上がった。壁の砕ける音が連鎖し、ミサイルサイロの壁面に穿たれた制御室が崩落を始める。
霊体相手に物理攻撃―――正気の沙汰とは思えんが、今の私の殺意を対物破砕槌に素材として使われているメモリークォーツは拾っている筈だ。思考を現実のものとする物質だというのならば、もはやそこに霊体だの物理攻撃だの、そういった相性は問題ではない。
だが―――手応えは無い。
『まったく、人の話を聞かない獣ですね』
「―――」
後方から響く、呆れたような幼女の声。
振り向くまでもなく、背中から腹へとかけて鋭い痛みが走った。刃物を突き立てられ、身体を貫かれたかのような痛み。実際そうなのだろうが、傷口を見下ろす限りではそこには何もない。ただただ、肉体に穿たれた風穴があるだけだった。
『地に伏せなさい』
可愛らしくも重々しい一言。
それと同時に、フィオナは手にした不可視の得物から手を離す。両腕の再生を終えつつあった私は抵抗する事すらできぬまま、血を吐きながらミサイルサイロの底へ。
「団長!」
落下する直前に外殻を展開。黒い外殻が表皮を覆った直後、身体中を重く鈍い衝撃が苛んだ。外殻が割れ、全身の骨が砕け折れてしまったのではないかと錯覚してしまうほどの衝撃。喰いしばった歯の隙間から、逆流してきた血が溢れ出る。
傷口を再生させながら起き上がる。あんな女に地に落とされ黙ってられるものか。
『人の話はよく聞くものですよ、セシリアさん』
「黙れ」
息を吐き、肩から余計な力を抜きながら、身の内より溢れ出る怒りをコントロールする。
落ち着け。この視野の狭さが弱点だと父上から指摘されていたではないか。こういう時こそ落ち着き、視野を広くするのだ。怒りはすれども振り回されるな、セシリア。
ふわりとフィオナがミサイルサイロの底へと降りてきた。オリヴィエがRPK-203を向けるが、彼女はそれを意に介さない。
『南カフリアで私が負けたのは正直言って意外でした……まあ、あの時は”邪魔者”も居ましたが、それを差し引いても貴女の勝ちです。そこは認めましょう』
「お前はまた負けるのだ、この私に」
『それはどうでしょうね? まあ、そんな事はどうでもいいのです』
勝ち負けなどどうでもいい、とでも言うかのように、フィオナは笑みを浮かべた。それはまるで元気に外で遊び回る我が子を見守っているかのような優しさがあったが、その一方で相手を見下す差別的なニュアンスも含まれているのが良く分かる。
あくまでも自分は別格なのだ。弁えろ、弱者共。そう訴えかけているかのようだ。
『目的は分かっています。私の命と、L.A.U.R.A.の破壊でしょう?』
「……」
『良いでしょう……ついてきなさい』
くるりと踵を返し、フィオナはミサイルサイロの底、その奥にある防爆扉の方へと進み始めた。背を向けるとはずいぶん余裕があるものだと思ったが、ここで飛びかからなかったのは正解だろう。
周囲にはいつの間にか、大量の戦闘人形が姿を現していた。個体によって装備している武器は異なるが、大半が銃剣付きのAK-12を手にしている。騎士の鎧を思わせる姿なのもあって、それはまるで自らの仕える姫を守ろうとする古き時代の騎士たちにも思えた。
とりあえず、今は彼女についていく方が良いかもしれない。ここで無数の戦闘人形に加え、フィオナと消耗戦を繰り広げた後にL.A.U.R.A.を探すとなると、かなりの労力がかかるのは想像に難くない。
第一、そうなるとオリヴィエを守りながら戦う羽目になる。
復讐を果たしつつ、彼女の命もきっちりと守る―――それを両立する自信は、申し訳ないが今の私には無かった。
罪人を処刑台まで見送る騎士たちのように、私たちをじっと見つめる戦闘人形。だが、首を撥ねられるのは我々ではない。意気揚々と前を進むあの幼女の方だ。圧倒的戦力を見せつけて説き伏せるつもりなのかもしれないが、そんな言葉に耳を貸すつもりはない。
従わなければ戦争だというのであれば、望むところだ。こちらはそのために軍拡を推し進めてきた。大躍進計画はこのためにあったのだから。
防爆扉を潜った先には大型のエレベーターがあった。無論、人間を乗せるためのものではない。巨大な機材をどこかへ搬入するための、貨物用エレベーターのようだ。広大で、まるでダンスフロアのような広さだが、そこに華やかさなどは微塵もない。あくまでも機材を乗せ運搬するだけの代物であるが故に、不要な要素は全て切り捨てられている。
『冷戦……私の望んだ世界になりました』
エレベーターの扉が閉まり、重々しい音を響かせて動き始めると、フィオナはぽつりと呟いた。
『人類を滅亡に導く力……大量破壊兵器を手に、大国同士が睨み合う一触即発の時代。けれどもその恐怖が抑止力となり、世界大戦を永遠に封じる』
彼女の言いたいことは理解できる。
結局、地球上に居る全ての人間の意志を一つに束ねる事など不可能なのだ。言語が違えば文化も違い、価値観も違う。ある民族にとって良い事でも、他の民族にとっては忌むべき行為に見えるように、自分たちとは異なる存在を認め、溶けあうのにはかなりの苦労が伴う。
同じ民族の中ですら、そういった対立があるのだ。小さな共同体であれ、学校生活を送るクラスメイトたちであれ、他の人間と共に生活する以上対立のリスクは常にある。
それが国家レベルにもなれば猶更だ。
結局、この世界から戦争が無くなる事は決してない。地球上に住む全人類が一緒に手を繋いで、ニコニコ仲良く暮らしましょうというのは理想論でしかないのだ。
では、戦争をこの世界から無くすには? 人類の中から憎しみを取り除き、平和な世界を作るには?
その困難な問いに対する私とフィオナの回答は、一字一句違うことなく同じだった。
「人類滅亡の一歩手前で成り立つ、強制的な世界平和……強力な軍事力が、核兵器がそれを成す」
『良く分かっていますね』
結局、私もこの結論に行きついた。
というのも、ある時ふと考えたのだ。『人間から敵を取り除いたら最後には何が残るのか』と。
人間にとっての敵……憎悪を向けるべき対象。
周辺の敵を滅ぼし、大きく成長した大国の歴史を見てみればそれは明らかだった。仲間の離反、権力争い、内紛……。
結局、敵を全て滅ぼしたところで、今度は『身内が新たな敵になる』というだけだった。敵を滅ぼして栄華を手にしても、それは長くは続かない。
『人間は敵が居ない状況に耐えられない』。これが私の結論であり、歴史が証明している事実だ。
『人間というのは難しいものです。完全な平和を願っていながら、憎むべき敵もまた必要になる。平和とは尊いものなのでしょうが、過度になればそれは安寧を崩す毒になる』
「だから憎むべき敵を作って世界を分断し、互いに憎しみ合う」
『けれども手を出せば滅亡へ繋がる核戦争が始まるが故に手は出せない』
「滅亡の一歩手前での強制的平和……」
狂っている。
こんな狂った結論に至らなければならない人類という種族全体が。
どいつもこいつも、狂っている。
無論、私もだ。
『世界は思い描いた通りになりました。西側と東側、肥大化した軍事力が衝突の一歩手前で睨み合う不安定な世界情勢……でも、これで計画が完成したわけではありません。核兵器ですら、いずれは時代遅れになる。そうなった時に新たな抑止力となる兵器が必要になる』
「それが戦闘人形だとでも?」
『ご名答』
言葉を交わす間にも、エレベーターは下へ下へと降りていく。
地の底へ。世界の底へ。
深く深く、先人たちの骸が眠る大地の底へ。
一体どこまで降りていくのか―――こんな地下深くにいったい、何の設備があるというのか。
『冷戦とは炎のようなものです。それを絶やさぬよう、薪をくべる必要がある……抑止力となり得る薪を、ね』
「戦闘人形を散々我々に差し向けたのも、そのためか」
『その通り。知ってると思いますが、あの子たちは賢いのです。強い相手と戦うと、そのデータをフィードバックしより強くなる。それを繰り返していくうちに、やがて最強の存在になる』
誰も勝てぬ最強の兵器。
ついこの前まで通用していた攻撃は意味を為さなくなり、どんな効率的な作戦も打ち破られる。しかも相手は機械、人間と違って疲れを知らない。死の恐怖を知らない。限度を知らない。インプットされた命令の導くままに殺戮を続ける、まさに悪魔のような存在。
「その雛型に力也を選んだのは何故だ」
『?』
ひとつ、それだけが気になっていた。
死んだ彼には悪いが―――力也と私が戦えば、勝つのは彼ではなく私の方だ。様々な戦闘を経験させ、学習させる余地を欲したというのならば力也でも良いかもしれないが、選択肢は他にもあったはずである。
「完全な最強の大量破壊兵器。それが終着点だというのなら、そのスタートラインに何故、越えるべきハードルを数多く抱える力也を選んだ?」
モルモットに仕立て上げやすかったからか? 復讐心を利用しやすかったから? それならば私も当てはまる筈だ。いや、むしろ感情的になりやすく視野の狭い私の方が、傀儡にするには都合が良かったはずだ。
それが、何故……?
『―――リキヤとは、古代語で”滅びの使徒”を意味する言葉』
「なに?」
『世界を滅ぼす存在が現れる時、滅びの使徒は姿を現す。そして滅びの目を摘み取り、世界を救う』
リキヤとは、異世界から召喚される勇者たちの総称だ。少なくとも私が聞いた伝承ではそういう事になっている。
世界が滅亡に迫った時、異世界より召喚されこの世界を救っていく勇者たち。しかし、自分たちの世界の運命を異世界の勇者に委ねるこの仕組みに憤った輪廻が、そのルールを破壊した―――それが”輪廻の大災厄”と呼ばれる、100年前の災厄の真相だ。
これはテンプル騎士団の記録にも正確に残っている。
それを”滅びの使徒”だと?
『……あなたたちは、”リキヤ”を分かっていない』
「どういうことだ」
『あれは勇者などではないのです』
―――リキヤに備えよ。
幼少の頃から、父上が何度も言い聞かせてくれた言葉。祖先の代、タクヤ・ハヤカワの時代から語り継がれてきた警告。しかしそれが何を意味するのか、歴代当主の中で理解していた者はおそらく誰もいないだろう。
タクヤを除いて。
『災厄の芽を摘み取る暴力装置……それがリキヤの本質』
「暴力装置……?」
ゴウン、とエレベーターが動きを止めた。どうやら到着したらしい……L.A.U.R.A.の眠る地の底に。
扉が開き、その向こうの風景が露になる。地の底……タンプル搭の地下要塞よりも深い場所に、限りなくマントルに近い場所にある筈の空間だというのに、そこには空があった。蒼く、深く、どこまでも広がる空。その下には蒼い花が咲き乱れる大地がある。
地下とは思えぬ幻想的な空間だった。
よく見ると、蒼い花の花弁は薄い結晶でできているようだった。蒼い結晶の花……おそらく、ここにあるのは全てメモリークォーツなのだろう。地の底で咲き乱れる花たち。その中には墓石にも似た石碑があり、表面には古代文字がびっしりと刻まれている。
解読は叶わないが……何かの記録、というのは分かった。
「ここはいったい……?」
『”世界核”です』
「世界核?」
『地の底に存在する、全ての記録が保管された場所です』
やがて―――花畑の中心に、巨大な樹が見えてくる。
地底に存在するこの空間を支えるかのように、空へ―――偽物の空へと伸びる巨大な樹。巨人すら小人に見えるほどの太さの枝から咲き乱れるのは、蒼い桜の花だった。
いや、違う。空だ。今まで空だと思っていた蒼い空間は、全てあの巨大な樹から伸びる枝と、そこから咲き乱れる蒼い花弁たちだったのだ。
その樹の根元に、見慣れた巨人が佇んでいる。
シリコン製の白い人工皮膚と、燃え盛る炎のような、迸る鮮血のような赤毛。それはお尻の辺りまで伸びていて、蒼い花畑の中に対になる色合いのアクセントを加えている。
L.A.U.R.A.……戦闘人形たちの親玉であり、制御装置だった。
その姿はかつてのハヤカワ家当主の片割れである、鮮血の魔女”ラウラ・ハヤカワ”を模しているとされている。確かに記録に残る彼女の姿とサイズを除けば瓜二つであるが、今のL.A.U.R.A.には機械では絶対に有り得ない特徴があった。
モデルを思わせるすらりとしたお腹―――以前はそうであった筈のそこが、膨らんでいるのである。
まるで、赤子を孕んだ母親のように。
「これはいったい……?」
『私は貴女の復讐心を肯定します。戦いを望むのであれば相手になりましょう。ですがその前に……選択の前に、せめてお話しします』
佇むL.A.U.R.A.を凝視し驚愕している私の方を振り向いたフィオナの顔からは、先ほどの笑みが消えていた。
『全て教えて差し上げましょう。この世界の仕組みと―――”リキヤの本当の正体”を』




