8 秋
秋
また中庭の手入れをしている。やはり枯れてしまった花を、オリヴィアはまとめている。
乾いたような、実りの香りがする。どこかでリスが、どんぐりをいっぱいにため込んでいることだろう。
「おはようございます」
「おはようございます、ヨーゼフさん」
「……新しい苗を植えますか」
「いいえ。もう新しいのはやめにいたします。……あと1月2月のことですし」
「……」
ふと顔を上げた。屋敷の一角に、誰かの影がある。
その背の高さ、動きを見てくすりと笑う。
「クラース様ね」
「ええ、あそこはオールステット家、主の部屋なのでございます」
「……」
はっとオリヴィアは顔を上げた。
花が好きだったカミラ。
よく中庭で、手入れをしていたカミラ。
ここからは、夫の部屋が、よく見える。
「……本当に好きだったのは」
「……」
好きだったのは。カミラが本当に見ていたかったのは、何の姿だったのか。
やがて三人の紳士たちが、正装して現れた。
「オリヴィア。今日は戻りが夜になると思う。心細いと思うけど、何かあったらすぐにジェフリーやヨーゼフに言うのだよ」
「はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ああ。薔薇の棘に気を付けて」
「もうあんなヘマはいたしませんわ」
あのあと買ってもらった分厚い革の手袋をした手を、オリヴィアは笑いながら握って開いてみせる。クラースが眩しそうな顔で微笑んだ。
「では」
「お帰りをお待ちしております」
馬車を見送る。ヨーゼフは静かに、薪を持って裏口に消えていった。
しばし無心で手を動かした。
そろそろお掃除に、と思ったところで、門の前に誰かが立っていることに気が付いた。
ご婦人である。40代の中頃か。抑えたように地味な色合いだが、どれも質のいい服を身に纏っている。
「もし」
「……」
女が顔を上げた。
奥深い深い茶の目。派手ではないが整った、賢そうな顔。
誰かに似ている、と思ってから気付く。似ているどころじゃない。コニーにそっくりだ。
「クラース=オールスタットの妻、オリヴィアでございます」
オリヴィアは丁寧にお辞儀をした。女が目を見開き、まじまじとオリヴィアを見る。
「こんな恰好で申し訳ございません。また、門を開ける権限がございませんことをお許しください」
「……籠の鳥というわけかしら」
「望んで籠に入った鳥でございます」
痛ましそうにわずかに眉を寄せたあと、すぐにそれを表情から消し、彼女は冷たい顔に戻った。
理性的で心を隠すのに慣れた人。だが、冷たい人ではないと、オリヴィアは判断する。
「こちらでお世話になっております、コニー=アンドリューの姉アマンダでございます。弟は中におりますかしら」
「あいにく外出中でございます。申し訳ございません」
「そう……」
嘘ではないか、とオリヴィアを探っている。オリヴィアは微笑みを崩さない。
化かし合いに慣れた人は、そこに作りものの皮があることにすぐ気づく。この人もまたクラースとは反対側、オリヴィアと同じ側の人間だ。
「弟は、こちらではいかがでございますか」
「いかがと申しますと」
「……楽しくやっておりますでしょうか」
「わたくしには、そのように見えますわ」
「……」
そっと、その目が屋敷を見た。
「『呪われのオールステット』。それでもその名は地に落ちてはおりません。常に天才を生む、格式高きオールステットの中で、あの子は苦しんではおりませんでしょうか。己の極めたい道で、常に自分よりも優れた者が横にいるというのはとても苦しいものです。あれでもあの子は研究所にいたとき、天才と呼ばれたこともあったのですよ」
「……」
「わたくしの夫は研究所の役員でございます。あの子が望むならばいつだって帰せるというのに、あの子は首を縦に振りません。何か、意地になっているのではと、ときどきこうして様子を見に来るのですが、最近はもう顔を見せもいたしませんの。いい歳をして、姉が、出しゃばることではないとは承知しております」
相手がどうせ死ぬ女だから、この人は本心を語っている。年の離れた姉弟。この方は、弟を愛しているのだ。
「……わたくしの意見ではございますが」
「はい」
「わたくしはコニー様に、このお屋敷にいていただきたいと思っております」
「……」
「我が夫クラースは、コニー様を助手として、友人として、非常に頼りにしております。おそらくコニー様がいらっしゃらなかったら、正しい順番で仕事をすることもできず、ごはんもまともに食べず、服さえも選べません。天才的と言われるところがあったとしても、お恥ずかしながら子供のようなところも、多く残す者でございますゆえ」
「そこは奥様が……」
言いかけ、飲み込んだ。そう、オリヴィアは12月に死ぬ。
オリヴィアは微笑んだ。
「本当に、お二人は仲良しでございますのよ。ときどきわたくし、嫉妬することさえございます。彼らの間には長年培った絆と、信頼と、尊敬がありますわ。互いのできること、できないことを認め合い、支え合っておられます。オールステットの名は、きっと今までもこうしてオールステットではないたくさんの方によって支えられたからこそ今にまで続いてきたのでございましょう。コニー様には今日のこと、アマンダ様のお心を、お伝えしてもよろしいでしょうか」
「……また姉さんのお節介か。うんざりだと申しましてよ」
「他人の口から聞くことで、かえって素直に聞けることもございますわ」
「……そうね」
そっといたわるように、その目がオリヴィアを見た。
「あなたとゆっくりお茶がしてみたかった。きっと下にご兄弟がおありね」
「はい。まだ小さい天使が2人」
「あの子も昔は天使だったわ」
「そうでしょう」
女たちは笑い合った。
秋の香りを背に、淑女は去っていった。
門の前、オリヴィアは立ち尽くしてその背中を見守っている。
後日、姉の訪問と、その真意を伝えると、コニーは手のひらで顔を覆った。
「恥ずかしいなあもう。姉の中で私は、いつまで洟垂れ小僧のままなんですかね」
「ずっとです。コニー様」
オリヴィアは微笑む。
「ずっと。もう大人になったのだと言いたいならば言わなくては伝わりません。お姉さまがこわいからと言って逃げ回っているうちは、あなた様はいつまでも立派な洟垂れ小僧のままですわ」
ふっとコニーが笑った。
「世間知の違いかな。奥様はときどき、年上の女性のようになりますね」
「あら失礼な。耳年増なだけの、花の17歳でございます」
茶を飲み、コニーは諦めたように微笑む。
「ひさびさに話してみようか。そんな気になりましたよ。いつまでも洟を垂らしていると思われるのも癪だ」
「きっとお喜びになりますわ」
大人になった弟の口からその真意を聞けたならば、あの人は無理やりにそれを歪めようとはしないだろう。
彼女はただ、心配しているだけ。弟が籠の中で苦しんでいるならば、その扉を開けてやりたいだけなのだ。
「……秋ですね」
「ええ、もうすぐ冬」
「……」
窓を枯葉の混ざる風が叩く。
時が、静かに移ろっていく。




