第58話
『レフトバーニア酸素圧縮開始、二次元ベクトルノズル動作確認チェック』
「チェック、オールクリア。いつでもご自由に」
俺はノーレアの中で興奮と緊張で心臓がバクバクと高鳴っていた。
ノーレアの背部ハードポイントに背負われたF‐12低軌道飛行ユニット“ウリエル”はけたたましい轟音を上げながら空気圧縮を行い、火入れのそれを待っていた。
この低軌道飛行ユニットは革新的な装置で、従来の化石燃料消費型のジェットエンジンとは違い未来技術が詰め込まれていた。
まあ未来技術と言っても第二次ルネサンス期にその技術が確立された従前たる再現可能な技術で、未だ失われない再現可能な技術をつぎ込まれて作られている。
このウリエルは化石燃料を使用しない。なら燃料の代わりなる物は何か、それは俺達のみの回りに溢れている二つのモノ。即ち空気と電気の二種だけ。
そう、これはマイクロ波プラズマ・ジェットエンジンでその二つだけで従来の化石燃料ジェットエンジン並みの推進力を得る事ができ、尚且つドラゴに積載すると言う無茶を可能にしドラゴ・レースの機体ニーズであるジェットエンジンの小型化も可能にした化け物だった。
『MMRTG発電量10000kワットで安定。形状記憶可塑性翼、運動パロメーターオールクリア。カウントダウンに入る』
このマイクロ波プラズマ・ジェットエンジンは基本的に空気圧縮用に設備されたファンとマイクロ波発生器と簡易的な発電機の三つのモジュールで構成されている。
圧縮空気とマイクロ波を衝突させプラズマを生成し推進力を得るのだが、これらの問題点としては蓄電量の少ないバッテリーや、発電量の足りない発電機を積載した場合に空気圧縮ファンもマイクロ波発生器も作動しないという問題点がある。
化石燃料は偉大だ、たった一リットルで41.16MJ程のエネルギーを発生させる。ワット換算で11.43kWhになる。もっと分かりやすく言うのなら軽自動車が31キロ走る。
さて問題だ。これらを解決するには発電装置、蓄電装置を積載すべきか。
ガソリンのエネルギー密度は一リットルでリチウムイオンバッテリー50リットルにも相当し、もし64リットルガソリン車のガソリンを電気で賄おうとするなら、3200リットルのバッテリーを積載する事になる。重さにして5.5トンに相当する。
ドラゴ・レースにそのような超重量級の荷物は積載できない。
蓄電池が無理なら、発電機は? 。従来の発電方式? 。馬鹿たなぁ、それなら普通にジェットエンジンを積んだ方が早い。
R.G.I社の開発チームが頭を悩ませて辿り着いた方法は──馬鹿げているという他なかった。
MMRTG、多目的放射性同位体熱電気転換器の積載と言うとち狂った発想に行きついた。
多目的放射性同位体熱電気転換器、元々は宇宙開発プログラムで使用される無人探査機用の発電機であったが、これらをプルトニウム3144と言う常温で融解する同位元素用い一グラム当たりをガソリン5000リットルに相当するエネルギー密度を持った非常に不安定な物質を使った物で、サイズで言うのなら小型テレビ台の大きさで一般的な発電機1万台の発電能力を持ったモノだ。
問題があるとするのなら、この箱が原子力発電並みの危なっかしい発電を行っている事だろう。
何度も言うようだがMMRTGは宇宙探査機の動力源だ。
自然崩壊するプルトニウム3144の放射エネルギーを熱の形で受け取り発電している。そして万が一この箱、プルトニウム3144を封入密閉し遮断しているこのペレットが破裂すると周囲の人間は全滅する。
これは比喩でも何でもない、この箱は云わば超小型の中性子爆弾と同じような威力がある。
これは非常に危険な賭けだ。ドラゴ・レース用に開発された装置ではない為、ハッキリ言って不安要素の塊だ。
ドラゴ・レースは乱戦のドックファイトもあり得る。体当たり、空中格闘、墜落と追突と言う衝撃に事欠かない。毎年毎レース一機はスクラップ機体が出ていて、どれも惨憺たる状態だ。
フレームは歪み機体四肢は捥げ、機体は燃料で炎上し搭乗員は燃料でカリッといい具合に焼き上がったローストターキー状態。
そんな過酷の環境に|多目的放射性同位体熱電気転換器《MMRTG》を背負って飛ぼうなど、自殺よりも質の悪い破滅行動だ。
『リニアカタパルト通電開始。プラズマジェット、点火』
鼓膜を裂くような甲高い音が背中から聞こえ、途轍もないパワーを感じさせる力強い振動を感じる。
俺は電磁カタパルトの取っ手を握り冷や汗を掻きながら、姿勢を安定させる。
離陸の為の揚力を蓄え、俺はノーレアの体勢を射出姿勢に移した。
『5・4・3・2・1──ダッシュ』
管制官のゴーサインに合わせ電磁カタパルトが射出され、途轍もない重力加速度が俺の体に圧し掛かって来た。
「ぐっ──!」
途轍もない速さで電磁カタパルトが俺を弾き出し、その速度のまま背負ったウリエルが適切な姿勢制御体勢を取る。
空中に投げ出され何もできぬままウリエルの姿勢制御に任せ俺は空を舞っていた。
六翼形状記憶可塑性翼の材質は金属製なのだがそれを思わせない程、グニグニと変形している。
それもその筈、この羽根の内部には第二種筋肉アクチュエータ群と同じ人工筋肉が使用されていて柔軟性に富んでいる。そして装甲には記憶可塑軟性金属、マグネシウムとチタン、純アルミニウムを混ぜ合わせた合金で耐衝撃性に非常に富んだ衝撃特性を持ち翼の一枚一枚はオーニソロジーを参考にしている為静穏性と空気抵抗低減を実現している。申し訳程度に気流制御用にフィルデバイスが接着されているから失速などは起こりえないと試験テストで証明されている。
ウリエルは中々の優れモノだ。だが、ドラゴ・レースとなれば話は別だ。
『次、3バンクR。100m』
「──了解!」
俺はウリエルのコントロール主腕装着卓を強く握り、左へと強く舵を切った。
ウリエルは自動操縦機能が付いているが、ドラゴ・レースで機械任せの操縦は命取りだし、何より順位が低くなる事だろう。
人の意思の介在する操縦をしないとレースは勝てない。
『a140、タイムリング』
タイムリングとはドラゴ・レースに措ける道標である。競馬で言う所のハロン棒であり、マップにマーカーされたそこを通過しないとタイムに約20秒追加される。
ドラゴ・レースで20秒は大きい。1秒、0.5秒でも大きく順位に響く。何せ速度がモノを言う競技だ。一分一秒とて無駄には出来ない。
『タイムリング通過。ダイブ、70度降下、レッドアウト警戒』
体を錐揉ませ回転させ機首を降下姿勢にして地面に向かい降りる。
重力に引っ張られ自由落下の速度とジェットの推進力が加わり、全身の血が一気に上に、頭に血が溜まっていく感覚がある。
視野が端から徐々に赤みを帯び、終いには世界の色が徐々に紅に染まっていく。
まずい、レッドアウトの症状だ。
ドラゴ・レーサーは基本的に耐Gスーツのような上等なものは着ない。と言うより着れない。操縦席、ドラゴ内部に十分なスペースが無い為耐Gスーツを着たならパツパツになり操縦も儘ならない。
その為、基本的にレーサーたちは市販のドラゴパイロットスーツで間に合わせている。一流の航空機企業は軟殻に耐G機能を付加しようと研究しているそうだが、それも困難を極めているそうな。
R.G.I社もそう言った耐G機能を備えた軟殻を開発中だが、少なくとも俺達が着られるころにはレースを卒業している事だろう。
何にしろ、いまはこのレッドアウトを悪化させない事が懸命だ。
レッドアウトは悪化すると脳鬱血を引き起こす。視界の赤色化、そして眩暈や頭痛、網膜静脈閉塞を伴う航空機症状だ。この状態が長時間続けば下手をすれば永久的な視覚障害が起こってしまう。
気合どうこうで克服する事はできない、何故ならこれは自然現象だからだ。ガッツで何でも解決できる気合の入った根性バカでもこれは回避できない。
俺は機首を引き上げ既定ルートのかなり上で飛行体勢を水平に戻しスピードを落とした。
だがその隣を途轍もない速度で駆け抜けていく者がいた。
『倉敷っち。遅いよ!』
急降下ダイブで得た速力を存分に生かし、尚且つエンジン出力は最大限にして走り抜けていく柊であった。
途轍もないテクニックだった。素人の俺でも一目で判る凄まじい奔り。
アイツの親父がドラゴ・レーサーであるのは知っていたが、ここまで適正があると言うのはある意味では『天才』、天稟の才だ。
『一番機。規定速度超過、速度を落としてください』
『冗談! 。こんなハエが止まった速度じゃ赤いのに勝てないよ!』
どんどん速度を上げていく。アイツ、鉄で出来てるんじゃないか? 。
あまりにも速い速度だ。あの速度ではレッドアウトよりもひどい症状が現れても可笑しくはない。グレイアウトを経てブラックアウト、即ち失神を起こし墜落もあり得る。
俺は声を掛けようとするが、その前に葛藤さんが叫んで喚いていた。
『比嘉! 。速度を落とせ! 。機体が持たないぞ!』
『D・O・Dに出場するんでしょ! 。野良レースでも平気でトップを取れるくらいじゃないと出場も儘ならないよ!』
柊の言も尤もだが、しかしながら問題は山ほどある。
第一に、この低軌道飛行ユニット“ウリエル”は試作品であり、俺達はテストパイロット。有り体に言えば実験台だった。だから機体の安全は保障されない。
『一番機のバーニアに異常振動を検知! 。テスト終了! 。直ちに着陸行動に──』
次の瞬間、柊の装備したウリエルのエンジンユニット部から出火した。
爆発とまではいかないまでも、致命的な火の手が上がっている。
ボンッ! 、とパラシュートの付いたモノが射出される。
安全対策の為にMMRTGを切り離したのだ。あれが破損すれば搭乗員どころか周囲の環境にも致命的な損害が出る。
当然の対策であり当たり前の処置だ。俺達もそれは承知している。
『比嘉! 。ユニットを捨てろ墜落するぞ!』
『わかってる!』
柊の装備するウリエルが機体から切り離され、緊急着陸用のパラシュート降下をしようとするが、ダメだ。
俺の目にはソレが見えていた。パラシュートが──絡まっている。
あのままだと墜落する。
「──くっそ!」
俺はアフターバーナーを吹かし、柊の機体に直行する。
相対距離と速度。ちょっとでも計算が狂えば柊と衝突し大惨事になるのは目に見えていた。
だがやるしかなかった。やらねばならないのではない。消極的な考えで救出を選択していた。
それもその筈でもう柊は、見捨てるには無理な程に価値とlikeを持っていたからだった。
アイツ一人の人的損失は、何ものにも代えがたい価値があり過ぎる。失う事は許されなかった。
きっと俺はアレが柊でなかったのなら見捨てていた事だろう。薄情だと思うか? 。ああ、薄情だろう。だって救出する価値がそいつにないんだから。
これは利益的な釣り合いの問題だ。
柊を失うと今後ホーク・ディード社に多大な不利益が齎される。だからそれを回避する為だ。決して疚しい気持ちを持って助けるのではなかった。
落下速度と俺の速度。相互の速度を合わせ空中で柊を──キャッチ。
「無茶し過ぎだ、馬鹿が。その機体滅茶苦茶likeが掛かってるんだぞ」
『ごめーん。調子に乗り過ぎた……』
俺は柊を抱えたままゆっくりと着陸態勢に入った。
着陸先はパールハーバー・ヒッカム統合基地で、ホーク・ディード社がアメリカ空軍から業務委託を受け共同運営をしている数少ない基地であり、そしてそこは二つの国の軍隊がいる場所だった。
アメリカ軍と日本国防自衛軍の二軍が日米共同新戦術教導開発隊と言う、ドラゴを用いた軍事訓練を行う場所になっているヒッカム統合基地は日米の輝かしいドラゴの戦術の象徴だった。
柊を降ろし、俺も着陸しウリエルを切り離し背部ハッチを開いて新鮮な空気を吸う。
南国の島であるはずの真珠湾であるが、しかしながら地球の平均気温が近年著しく低下している現在、南の島と言うのも南国の様相はあまり見られなかった。
ノーレアを脱ぎ、俺は煙草を咥えて火を付けた。
そんな中途轍もない剣幕の怒号が聞える。
「元気なこった……」
柊が正座させられ葛藤さんにこっぴどく怒られている。
凄まじい奔りだった柊だが、人命の掛かった訓練に無茶を持ち込むのはお堅い葛藤さんの前では御法度だ。何より、無茶をすれば機体を失う事になるし、下手をすれば放射能物質を巻き散らかす事になる。
だが、柊の無茶もある意味では納得できる。
俺達がなぜ太平洋のど真ん中にある島に来ているかと言うと、班長の無茶ぶりから端を発していた。
俺達は、ハワイ・レーシングに出場する事になっていたからだ。




