第56話
デラウェア湾で開催されるDFR。『ドラゴ・フライ・レーシング』は数あるドラゴ・レースの中でも海上で開催される数少ないレースだ。
地上で開催されるレースは数多くあるが、海上で開催されるレースは数が少ない。その理由としてはマシントラブルによる墜落でレーサー、ドラゴの搭乗員が溺死するケースが多いからだ。
大抵ドラゴのマシントラブルの大半は中小の民間企業から参加した航空技術の低い企業の連中が大概であり、資金の潤沢にある国営企業や航空機メーカーと繋がりのある大企業向けのレーサーの死亡ケースはあまりないが、しかしながらドラゴにジェットエンジンを積載する為に最小限迄に最小化され簡略化、小型化されたジェットエンジンはマシントラブルの問題を常に抱え続けている。
元よりジェットエンジンというのは大型なものであり、それをドラゴのような人型の、しかも小型な機器に積載しようとすることが間違いなのだが、それを果敢に飛び越え新記録を達成しようと、技術屋たちは必死だ。
「柊、どれが一着で走ってるんだ」
「このレース、タイムレースだから一概にどれが早いかはゴールポストの着いた着順より、周回のタイムが早いのがいいだよ。この番付だと……これ、ブル・ファイターが一番早いね」
俺はタブレット端末でDFRを、このクソ熱い炎天下の中で甲板デッキで干上がる思いでレースの推移を見ていた。
班長が用意したクルーザーボートは確かに快適だが、如何せんアメリカの日差しはきつ過ぎる。汗がダラダラ出てくるし、水を飲んでも飲んでも汗になって出てくる。
今回、俺達バタフライ・ドリームはDFRを観戦しに来た理由としては、研修という名目の行楽の為であった。
班長もホーク・ディード社人事部も俺達の働きには満足しているようで、僅かだが休暇を与えてくれていた。もちろん俺達の体は社外秘のフェムト・マシンの『ピューパ素子』が注入されているから会社から規定範囲のエリア、街のどこに行き何をするかを申告しないといけないが、今回ばっかりはそれが免除されていた。
というのも、この『研修』は俺達を一端のドラゴ・レーサーにする建前も含まれていたから、会社の経費である程度の豪遊が許され、こうして豪華なクルーザーを借り上げ海上に出てドラゴ・レースを楽しむ事が出来ているんだ。
と言っても俺はくそほども楽しくないのだが、柊は楽しそうだ。
「倉敷っちぃ、そんな変な柄のアロハ脱いで水着になれば涼しいのにー」
「別にいだろ。好きなんだよ、達磨柄のアロハ」
俺はオフという事で出来うる限り軽い服装で、下に短パン、上は達磨柄のアロハシャツを着ていた。
柊はフリフリのパイレオビキニを着て楽しそうだった。紙白は白のスクール水着で、班長はパンツスタイルの水着を着ていた。両手に溢れる花がこのクルーザーにはいたが、如何せんこいつ等を抱こうとは微塵も、欠片も発情できない。
姉や妹を抱きたい男はいるか? 。まあ一定数はいるだろうが、大体が憎し可愛しのそれであり、ラブよりもどちらかと言えばライクだろう。柊も紙白も班長もそれでありライクの方で僅かでもムラッはしない。
葛藤さんと言えばこんな炎天下の中で退役者用の軍服で空を駆けるドラゴを睨みつけていた。きっと熱いんだろう、軍服の背中はビッチャビチャに汗で濡れているし、何より足元に無数に置かれた清涼飲料のペットボトル空を見るにどれだけ汗をかいているか物語っていた。
「葛藤さん……それ、せめて上だけでも脱ぎましょうよ。見てるこっちが熱くて茹だってきそうだ」
「俺は……予備役だ……いくら民間に……出向と言っても……身なりは──」
バタンとキューと倒れそうに崩れ落ちた葛藤さんに俺達は案の定かと、大量の経口補水液を持ってきて飲ませる。
「ほら、熱中症でぶっ倒れる寸前じゃないですか。中で休んでてください」
「すまない……」
何と言うか、葛藤さんも肩の力を抜くところは抜くところを弁えて欲しいモノだ。お硬い人間なのは承知の上だが、行楽目的なんだから少しは気を楽に持てばいいのに。
裏のデッキに向かうと、そこには真水のプールがあり班長と紙白が優雅に小っちゃなパラソルの付いたドリンクを飲んでいた。
俺は煙草を取り出して火を付けた。
「葛藤くんはようやくダウンしたかい?」
班長がそう聞いてくるので俺は頷いて、パラソルの日陰に入り胡坐をかく。
「班長。ここに来ていきなり休暇ってどういう風の吹き回しです?」
「いやなに、英気を養うにはやはり何もしない事が一番だからね。まあ、今日の所はドラゴ・レースを観戦しながら一献楽しもうじゃないか♪」
班長がクーラーボックスから取り出したボトルに俺は眼を剥いた。なんと、クリスタルではないか。
酒に詳しくない人間の為に説明しよう。クリスタルとは別に覚せい剤の隠語と言う訳ではない。クリスタルとはルイ・ロデレール社が製造する世界最高級のシャンパンであり、超が付く程の高級品だ。
中身もそうだが、瓶の一つ一つが丁寧に作られていて瓶の底を窪ませる処理をしておらず内容量が多いい。というのも窪ませる理由は様々あるのだがそこは割愛しよう。
瓶にはクリスタルの名前の通りクリスタルガラスを使用しており瓶だけでもかなりの高級品、その中身はもっと高級品。
俺が一生涯のうち一度は飲んでみたかった酒の一つだった。
このご時世高級酒というのは需要が無い。娯楽や愉しみ、慰め事や気慰みなどと言った事はlike持ちがする事であり低需要。それを賄う程この世の庶民は生きるに必死でありその日を生きる事がすべてなのだ。
食うに食えぬ日々に雨風凌げる家すら取り上げられ、酒呑みたい、女を抱きたい、旨いもの食いたいは正しく余分な娯楽。
そんな事もあってかこうした高級酒はオール・フォーマット以前の化石であり、コレクターたちのワインクーラーに仕舞われる資産であり、そうそう手に入れることは出来ない筈だが班長はどういった伝手で手に入れたのか、クーラーボックス一杯にクリスタルが用意されていた。
「うひょっ!」
思わず変な声が出てしまう。このクーラーボックス一つで五十年は遊んで暮らせるだろうそれに、俺はお預けを喰らって涎ダラダラの犬みたいにオーケーの音戸を待っている。
班長はネオ・ヴィ―ガンの様に害ある物質を取り入れる事に抵抗が無いからこうした趣向品を用意し、尚且つ呑むことに躊躇が無かった。
躊躇なくコルク栓を抜いて、ポンと気前のいい音を鳴らしクリスタルを俺に渡してくれた。
グラス? 。そんなものいらない、ラッパだ。
俺は瓶を逆さにそれを呑んだ。なんと呑み易いか、ただでさえシャンパンの類はフルーティーでアルコールのツンとした匂いが少ないのに、これは更にマイルドに、クリーミーでまるでジュースだ。これならいくらでも飲める。
「ロゼもあるよ。どうだい?」
「いただきます!」
俺は躊躇なくそれを貰い両手に大likeのそれを持って、もう花なんていらない。俺の人生酒と抗うつ剤だけで十分な気がしてきた。
いい兆候だ。物事に楽しみを見出すのは鬱をマシにする。
まあ、アップとダウンの反復はあるのだが、それでもこれは良い兆候だろう。
俺が嬉しそうに酒を嗜んでいる隣で、相変わらずのマリファナを楽しんでいる紙白の手持っているのは、いつものマリファナ・ジョイントではなくボングでブクブク楽しんでいる。
見た目が悪いよ見た目が。
ジョイントならまだ煙草と言い訳が付くが、その器具はやっぱり何と言うか、脱法感が強い。
俺の視線に気づいたのか紙白はボングを差し出してくる。
「吸う?」
「遠慮しとく」
俺は今クリスタルを堪能するのに必死だ。マリファナなんて野暮なもので味をくすませるのは憚られるべきだろう。
ラッパで楽しんでいる俺を横目に班長は、双眼鏡を覗き込みながら訊いてくる。
「どうだい? 。いけそうかい?」
「レースっすか?」
「ああ、そうとも。私たちはあれに出るんだ。班員の一人としての率直な意見を聞きたいね」
俺は海上十メートルは離陸しているドラゴ群を見ながら、答えた。
「飛行パッケージ次第じゃないですかね。あと、俺達は単純にレースの経験値が無さ過ぎます」
「もっともだね。いくら戦闘に長けたドラゴ部隊であっても、レースのそれとは畑が違い過ぎるからね♪」
「慣らし運転が必要じゃないっすかね。スカージは米軍に返却しましたし、俺達のドラゴは従来どうりグレイでいいんっすかね?」
「そこはね。ふふふっ……」
班長はどこか楽しそうに含み笑いをして、手に届くところに置かれた今時珍しいゴツいタブレットコンピューター端末を手に取って、俺のスマートグラスにそれを送信してくる。
「ピッツバーグ?」
「ああ、そこにはR.G.I社の息の懸かった軍事研究工廠がある。最新鋭の装備が目白押しだ。そこで君たちのドラゴを調達する」
最新のドラゴか、ちょっと楽しみだ。
「前にも言っただろう? 。来るべき時に君たちには『第三種』ドラゴを与えると」
「ああ……、言ってましたっけ? 。そんな事?」
「言ったとも。ヨルムンガンドの君たちがヨチヨチ歩きの時に、ね♪」
記憶の奥深くを覗き込むように思い出してみると。
「ああ、ああ言ってましたねぇ確か。ワンオフの機体がどうこう」
「そうとも、君たちは試用期間を終え、そして我らが牙城たるアメリカ本土に来たんだ。ここぞという時に君たちの進化した個性を凡俗のドラゴで活かせず燻るのは、私としても避けたいのでね」
次々とデータを転送してくる班長。そのデータ群は、設計段階の俺達バタフライ・ドリームの一人一人に宛がわれたワンオフの、フルオーダーメイド機の設計図だった。
どれも個々人の示した進化の道をサポートを目的として設計されていた。
とんでもない費用と、人件費。これ一機一機設計したのか? 。
設計者は頭を悩ませただろうな。何せ皆が皆違った進化をしているからに、そうそうその進化に沿った物をオーダーされるとなると頭が痛いだろう。
だがまあ、そこを補填できるのが安価で拡張性の高いドラゴの特性と言える。
俺は自分のドラゴの設計図を見やる。
あまりにも異質な設計、尋常ならざるコンセプト。対電脳専用にチューニングされたドラゴであり、量子コンピュータと融合した次世代の動く自律有人歩行AIマシーン。
こんな無茶苦茶な機体。一体どれだけのlikeを払って作らせたのか、想像しただけで興奮ものだ。
「気に入ったかね? 。君のドラゴが一番likeが掛かってる。これを設計した設計者はそれを十全に使いこなせたらきっと操縦者はメッシュネットの予言者に成れると言っていたよ」
「でしょうね。この量子コンピュータ、見た事ないアルゴリズムだ……ルネサンス期のものがベース、いや、系統がまるで違う……こんなアルゴリズム見た事ないですよ。とんでもな……これ書いた人間、いや人間なのか? 。人間だったらナーシャ・ジベリ並みの脳味噌持ってますよ、これ」
「それを見てそうだと看破できる君も大概だがね。でも、それが理解出来るからこそその機体を君に与えたい。機体名『試作型第三種機量子次元構築平行思考装甲駆動被服“ノーレア”』だ」
「ノーレア……」
俺の機体。俺だけの機体。俺だけが乗れる機体。
搭載される量子AIのそれに胸躍らせて、俺は尊敬の眼差しで班長を拝んだ。
酒も、機体の準備も、そしてこの休暇もすべて完璧だった。みんなが望むそれを全部揃え且つ、後に繋ぐ礎とするそれに脱帽だ。
「一生付いて行きます班長」
「一生は困るねぇ。君は私のタイプじゃないんだ」
冷たく突き放されるが、まあジェンダーが男の人に俺が一生付いて行くと言われたならそれこそ同性愛者のそれじゃないか。俺は同性愛者じゃない。
同性愛をどうこう言うつもりはないが、ひと言言わせてもらうと非生産的と言わざる得ない。
まあどうあれ、この機体“ノーレア”の搭載されているAIは人知を超えるだろう。そう確信が持てる。
こんなアルゴリズムプログラムは見た事が無いし、何よりこれの構造は自己学習をする事が出来る物で、俺という教材を基にあらゆる戦術を学び、あらゆる戦略を提示し、果てには人間社会のそれを予言するまでになるだろう。
そう。過去、第二次ルネサンス期で最高知能を誇った『アイオーン』の知能を越えるポテンシャルを秘めている。そう実感できる。
何故かって? 。
それはこの“ノーレア”の思考を司るプログラム言語が──人語ではないのだ。
どの言語にも当てはまらない。どの文法、規則性、方向性、そのすべてが人の話す『言語』ではない。どの言語、英語、日本語、中国語、ロシア語、ヒンドゥー語、スペイン語、ポルトガル語、トルコ語、スワヒリ語、ラフンダー語、どの言語圏の言語族にも属していない。
勿論これはプログラム言語にも言えた。C言語、C+言語、C++言語、PHP言語、Haskell言語、MATLAB言語、SQL言語。どれにも当て嵌まらない。
完全な、完璧な、人外未知の言語。文字として言うのなら英語のそれだが、文法も単語も脈絡も、全てが無茶苦茶。だがこれは機能している。
この言語体系は俺は見た事があった。Facebook人工知能研究所のとある実験を知っているだろうか? 。ふたつのAIが対話する実験であり『価格を交渉して合意しろ』という目的の元行われた実験であった。しかしこの実験は中止になった。何故か? 。それは価値交渉の最中に使用言語が人間の言語体系から逸脱し人間には理解できない言語を使用し始めたからだった。
“ノーレア”を構築する言語は、その言語と非常に似通っていた。
これを見て俺は一目で看破した。コイツの脳味噌を作ったのは隠す事など出来ない──AIだ。




