第55話
如何せんアメリカ合衆国はいろいろとビックなのがいけない。
ジュースの一つをとっても日本人の感覚からで言えばかなりの大きさ。ちょっとした大きな水筒の並の大きさがあるからに、腹がそれだけでちゃぷちゃぷになってしまう。俺はどれだけ苦のある仕事に就くことだって文句は言わないし、言った事はない。ただ唯一文句を垂れる事があるとするならプライベートを侵害された時ぐらいだろうか。まあそんな事はまずないのだが、日本からほぼ地球の裏まで来ると、食文化もそれらを取り巻く環境もガラッと変わってくる。
この照りつけてくるオーブントースターのガラス管ヒーターみたいに輝く太陽が俺の肌を焼くのに然程の苦労も要さない。
暑くて暑くて仕方ない。このクソ熱い中で気候の利点を上げるのなら湿気が無いからサウナのあのジメジメとした不快感はない。
だがそれだけで、それを直視すると空気が熱い。熱風が常時吹いているようなもので、下手をしたら肺が焼かれかねないのでは? 、と思ってしまうのは言い過ぎだろうか。そう思えてしまう程、熱い。
何で、こんな炎天下の中で外に出て来ているのかというと。
ペンシルベニア州のデラウェア川から下り、デラウェア湾に目的とするところがあった。
「見えた見えた! DFRの会場だ!」
二か月ぶりである柊の五月蠅い声に俺もこのカンカン照りの中、川下りの行楽に引っ張り回されているのは、仕事の為だった。
耳と劈くような轟音、骨身に響くようなジェット機の音は久しく聞かなかった俺達の仕事道具のそれを使った娯楽だった。
……
…………
……
「やっと出れた……」
検査の海に溺れかけていた俺の身体のそれは酷く正常であると、ドクも太鼓判を押すほどで、撃たれた箇所も以上なくコレといった支障が出る身体的な障害、病原菌は発見されなかった。腸内ポリープも無ければ、尿内結石の心配もない。
超絶の健康体。もう病院に来るなとまで言わせるこの体は、日頃の不摂生なんぞ笑い飛ばすほど。
退院してすぐする事と言えば。
「タイムカード押さないといけないんだな、これが」
長期休暇という名の検査で俺は悠々とベットの上で過ごしていたが、本来はアメリカの大地に足を踏み入れたならすぐにでもホーク・ディード社の支部に出向かないといけなかった。
検疫やら、遺伝子汚染痕やら、色々と調べるのに手間取って、バグラム空軍基地から大体四、五ヶ月ほどドクの身体検査が無かったからそれらの検査を一遍にやると時間が掛かる。
班員全員、班長も含めて俺達がホーク・ディード社の息の懸かった国立研究医療病院に叩きこまれるのは当然の事だった。
ケツの穴の皺の数までしっかりと調べられ、問題なし、なら後は本当の『休暇』が欲しいが、仕事の都合というのは早々俺の都合には合わせてくれないのが世の常だ。
デカデカとしたホーク・ディード社の本社のビルは威圧感すら感じる佇まい。それも当然でここを中心に半径六千五百ヤード圏内の全ての建築物がこのホーク・ディード社に連なる企業群が形成した経済地帯であり、ドラゴの製造生産、流通管理、そして戦闘員社員の訓練から、戦略指示員社員の指導。それらをまとめた戦術的準軍事作戦演習の全てを執り行えるだけの敷地を、地下、地上、空中、海洋と網羅していてここがつくづく武器とそれを扱える人員を売り買いする企業であると実感させられる。
そして今俺が目の前にしている社屋がホーク・ディード社の総本山であり、世界27支部ある中での頂点、ホーク・ディード社のという名の会社の意思決定を司るところであった。
まあ、どれだけ大仰に言ったところで俺の乏しい脳味噌でそこが如何に凄いのか実感する事などまるでなく、ここに来ていいのかといった自分の場違いな空気感に何度回れ右でそのまま帰ってドクに泣きついてもう少し入院させてくれと懇願しようかと考えていた時だった。
「遅い御到着だ、ね♪」
エントランスに入るか入るまいかしている俺に、フランシス班長が気さくに話しかけてくるではないか。
ちょっとイメチェンしたのかナチュラルショートだった金髪が伸びて極彩色に斑に染め上げそれをポニーテールにしている。化粧も多少変えたのか、何と言うか今迄王子様系のメイクからパンクガール風のメイクに変えていた。
現実にハーレイ・クインみたいな奴が目の前に居たら引いてしまうが、見知った人間がこうしたイメチェンをすると少し何と言うか、苦笑いだ。
「だいぶ見た目変わりましたね……」
「良いだろう? カオス力学理論に基づいて染めた髪だ。人の目を引く、商品としてのインパクトに拍車がかかるってものだよ」
「俺は前の方が好きでしたけどね」
「君は清楚を尊ぶ人間かい? ナチュラルボーン主義は女性に対しては敵対の二文字さ、化粧の遊びを捨てるには外面を取り繕うので女性は必至だよ」
「あれぇ……班長バイって言ってませんでした?」
「ああ、バイセクシャルだとも、LGBT万歳だとも」
そんなこと言っても、肉体を女性のままに保っているのは偏に『化粧』の愉しみを知っているからなのだと言う。
全く傍からしたらどうしたらいいのか、女性扱いされたくないからLGBTを名乗っているのに、女性特有の行為をされたら口出ししたくもなる。まあ上司なのだから強い事は言えないが。
「さあ行こうじゃないか。みんなが待っている」
ひと気のないエントランスに入り、入門ゲートでスマートのIP、社員ID、網膜、脳波、指紋、声紋と身体的特徴を取られようやくホーク・ディード社の本社屋に入る事が出来た。
人は殆どいなかった。どこのフロアも居て数人、業務オフィスフロアの大部分がドローンに置き換わっていた。
日本では珍しい光景だろう。日本の悪癖、対面形式の仕事スタイルが板に付いているから社員をドローンに取って変える事に頑なに拒否反応を示している。欧州やアメリカ先進諸国の殆どの業種が、AIに取って代わっている。
経理、単純作業、製造、研究職以外の殆どの職種に言える事だ。人間のやる事など寝て食ってマス掻いて終わりだ。
必要とされた仕事の殆どが機械に帰る事が出来るのだから誰が好き好んで勤勉に仕事をする? 。ここで働いているドローンAIは社員達の言わば代り、社員が個人の裁量でAIを雇い自らの代わりとして働いている。
AIは良い。文句を言わないから労働の対価を丸っと取られても何も不服を言わないから小like持ちたちは大量のドローンで機海戦術でlikeをバンバン稼いでいる。
まあそれでも、人とAIを別つ職種があるとすれば、軍人や傭兵。要は俺達のような血腥い仕事を受け合っている人種だけが、ドローンAIの余波を受けずに済んでいる。
AIに倫理はない。人が人として良し悪しの、善悪の区別を付けている価値観をAIは理解できない。オール・フォーマット時にAIを用いた兵器群が投入されたが、それらは多くの戦死者を上げ、結果は申し分なかった。
|敵味方判別認識タギング《タグ》を付けていると味方を誤射する事はなかった。しかしながら昼夜問わず、侵攻を続けるAI達の働き具合に人は絶滅の危機を覚えるのは致し方ない事。
とあるシンクタンクが全世界のAIがオール・フォーマット時に使用された戦略的実戦稼働AI『タナトス』の既存データを基に、兵器群の基礎データと稼働率を考え、人類が戦争を続けるという選択をしたのなら、人類絶滅のカウントダウンの時間を調べた結果──約90分で全人類は死滅する事が予測された。
この予測は人間が逃げ隠れしなかった場合だ。家畜のように死ぬ運命のそれを機械的に殺され続けたら、の話だが。まあ、それもあながち間違いではないだろう。
赤外線、音波感知、その他諸々のセンサー類を前にすれば地下に隠れようが、空に逃げようが逃げ場はない。
どこまでもAIは冷徹に『殺す』使命を全うする。
その事もあり、AIに国際戦時法の倫理観を理解させようとする研究もあったそうなのだが、結果として言えば赤点。どうして敵は殺していいのに、時として不殺の選択肢を選ぶ理由が分からなかったのだ。負傷兵に手を出してはならない。病人、子供老人を殺してはならない。攻撃対象を絞る事が限りなく|敵味方判別認識タギング《タグ》ベースであるからタグを持っていない人間は全員、敵になってしまってAIの律義な行動は止まるところを知らなかった。
結果、兵隊は人間だけが許された仕事であり、機械には変えられない人間の代名詞的な職業になった。
だがそれも、あまり人間側からしたら歓迎されない仕事である。
「おっすー。倉敷っち。おひさー」
「おぉう、見たくもない面だ。お久しぶりです葛藤さん」
「長い入院だったな。肺が終わってたんじゃないか?」
「健康体そのものでしたよ。よ、紙白。マリファナをここで吸うなよ」
「吸わないわ」
皆は元気そうでミーティングルームに揃っていた。
全員日本人であるはずだが、その髪は日本人特有の黒髪から、真っ白なプラチナブロンドに変わっていた。
班長がパンパンと手を叩いて注目をと視線を集めた
「さあさあ、久しく揃わなかった班員たちとの交流もそこそこに。我々バタフライ・ドリーム班の再編を祝そうじゃないか」
どこから採り出したのか、シャンパンボトルを取り出してコルクを派手に飛ばした。ポンッ! と景気のいい音と共にフルーティーな酒精の香りが部屋の中に満ちて、俺はグビッと喉を鳴らしてしまった。
「『棺』の確保も順調、戦果も上々。上層部も上機嫌だ。ハイ拍手ー」
「……ウェーイ?」
そう、恐る恐る調子に乗ってみるが。班長の色が変だ。
「そして我々に新たなる福音が齎される!」
班長はテーブルを叩いて、懐から取り出したホログラフ投影機を広げとある映像を投影した。
それは、ドラゴの、ドラゴン・シェル・スケールを用いた娯楽の一つ。ドラゴ・レースの中継だった。
相当な速度を出している。しかも地上から少なくとも二メートルは離陸した状態で混戦状態で揉み合いの乱戦だった。
「ル・マンレース、じゃあ……ないっすね。これ……」
「ああ、アメリカの地方レースだ。この中継はラスベガスのチャールストンレース場で行われている地方レース、『4・D・4』だ」
4・D・4、fast・drago・fanaticの略でアメリカの地方レースでは五本の指に入る大レースだ。ラスベガスもレース会場の近くにあるから興行収入も相当いいと噂されている。ドラグーン・オブ・ドラゴントーナメントの前予選の更に前予選のレースとして数えられている。
「ドラゴレースですけど。これが?」
葛藤さんがそう言う。
当然、疑問なのだろう。当たり前だ、いきなりこんな映像を見せられ俺達が察するほど察しがいいはずがない。
混戦状態のそれを睨みつけるように柊がいう。
「すっごい球になってる……あ、あの左端の右主翼がガタ来てる。落ちる」
その宣言通りに左端を飛んでいたドラゴの飛行ユニットの右主翼から火の手が上がり、墜落した。
凄い勢いで落ちていく。ピットスタッフの姿が見えない。あの炎上の仕方、操縦士は死んでないか? 。
「君たちにこの映像を見せたのは、我々の新たなる福音の姿を目に焼きつけて欲しいからだ。──見るべきは、この乱戦ではない。後ろ後方、もうすぐ──来る」
そう言う班長に俺達はレースの乱戦の後方を見ると、上がってくる。赤い稲妻が。
乱戦混戦のドラゴの中を縫うように走り抜ける赤いボディー。
飛行ユニットの主翼は可変翼を採用しているのか、胸部の慣性制御の錘の付いたサブアームがピクピクと動いている。
それ以上に異常に見えたのは、その速度。
「あれ、なあ柊……ドラゴで……マッハって、出せるの?」
「出せるけど……アフターバーナーの性能と燃料比重の兼ね合いだから……でも、あり得ない……あの機体じゃ、精々速度出せて565 km/h程度じゃない? 。なんで、マッハ出せてるの? しかもトップスピード維持している……」
可笑しかった。何から何まで可笑しかった。
速度を出すには、燃料を積載しないといけない。液体燃料のエネルギー変換効率を考えると、音速を出すには機体の構造を流線形にし、そして尚且つそれ相応の燃料タンクを積む必要がある。
なのに、あれは、そのようなタンクは──積んでいるようには見えない。
機体一つ、申し訳程度のアフターバーナーが積載され、火入れもされているがそれも細やかなモノ。
なのに──音速に到達している。
周囲に見えるソニックブームの軌跡、乱戦のドラゴを蹴散らす様に衝撃波を発生させながら飛ぶその姿は正しく赤い『稲妻』。
「これが、ターゲット。我々が確保すべき、標的だ」




