第46話
戦いによって得られるものは少ない。
しかも俺のような暗殺業を無理に宛がわれてしまったのなら、むしろ失う方が多いい。
likeはもちろん手に入る。これ以上ない程と言う位のlike額で四半世紀は働き続けないと手に入らない位の額だ。だがしかし俺の心の中で。とある何かがぽっかりと抜け落ちてしまっていた。
世の殺し屋や暗殺屋と呼ばれる悪に属する人々はどうやってこの伽藍洞の気持ちを埋め合わせているんだろうか。不思議でならなかった。
俺達は一仕事を終えて、パリからカンヌへ戻る道すがら仮眠をとり次の仕事に添える事が求められ、俺はgo-pillsをキメた事もあり、no-gopillを取りだし、宿泊型の大型トラックの中でベットの中に潜り込んでいた。
しかし目が冴える。殺しの後の興奮もあるのだろう。コカインもやっていた。
未だにバクバクと心臓が高鳴っている。
震えながらベットの中で俺は俺を見つめ直す時間に突入していた。
いくら酒を煽り自らを見つめ直そうと、見えてくるのは破滅的な幻想と、目頭を白熱させる涙だけだった。
「…………ッ」
声無く泣く事に然程の苦労もありはしなかった。
怖かった。殺しに酔いしれる俺がいる事に、恐怖してガタガタと簡易ベットの中で震えて、まるで節分の時に出てきた大人が仮装する鬼にビービー怯えて泣く子供のようだった。
俺は自らを追い詰めていた。追い詰めて追い詰めて、崖っぷりのとこまで来て、引き返すタイミングをいつも見失い、足を踏み外し堕ちていく。
人を殺す事に躊躇はありわしなかった。人を死に追いやるのに躊躇いはありわしなかった。それらはすべてlikeへと還元されるから、俺の懐は温かい。
だが、これらを使う気にはなれなかった。
人の死とlikeの価値が釣り合う事などめったにない。とりわけ自分の手でそれを奪う側にいたのなら失うモノの方が大きく、生きるのにも必死な俺にいったい何を毟り取っていこうとしているのか問いただしたかった。
生きるのにはlikeが要る。働けど税金といいlikeが掛かり、どこかに属するにはlikeが掛かる。
だが、このlikeは血に塗れている。目に見えない電子データであったが、それはあくまで建前で、他人の命と引き換えに手に入れた汚れたlikeだった。
何処にも属さないという手はない事にはないが、俺にその選択肢は究極過ぎて選べなかった。だったら仕事をしろと世間は言いうだろう。
だが俺の仕事は選んだ。だがその仕事は人を殺す事なのだ。
もう人一人が一生分見るであろう死の光景を優に上回り、過剰な程、死と隣り合わせに歩みを進めてきた。
いつ死んだっておかしくはなかった。レイダーに襲われた時だってRPGで撃たれていたなら俺は中東の荒涼とした土地で爆散していた。あの名も知らない村で血祭に上げられ市中引き回りだってあり得たかもしれないし、少年兵に体を両断され焼き過ぎて焦げ上げた牛肉みたいになっていたかもしれない。
だが生き残った。俺は生き残って見せた。
俺が生きたいと望んで。そして相手を殺す事を選び続けて、受動的に受け身でそれを果たし続けて、心も何もかもが擦り減って、俺はもう引き返すことも自死を選ぶことも許されない場所に来ていた。
逃げたい。逃げ出したい。だが、世間がそれを許してはくれない。
逃げればきっと兄家族に被害を被る。そうアメリカが動く事だろう、彼らを人質に俺を無理やり働かせようとするだろう。
だったらどうすればいいんだ。このまま俺は、殺しの享楽にその身を委ねて殺戮を繰り返せばいいのか? 。
分からない。何もかもが分からない。
ゴソゴソとベットの中で俺は再度、no-gopillを取り出して呑み込む。
心の隙間を埋めるために、薬へと逃げるに容易な世界に。
正気を見出すのは苦労するばかりだ、真剣に考える俺が馬鹿らしいくらいに世界は狂気に満ちて、この世は狂っていた。
誰か、誰か、誰か、俺を助けてくれ。
この狂った世界から誰か俺を助けてくれ。
……
…………
……
カンヌへと戻った時には既にメインステージは終盤へと向かっていて、授賞式を残すだけになっていた。
俺は幽鬼の如く足取りも覚束ない様子であったのは誰の目からでも確かで、葛藤さんの肩を借りながら俺はメインステージへと引き摺られるように向かっていた。
「おい。しっかりしろ大丈夫か?」
「ああ……ああぁ……」
まるで聾唖のようで言葉もしっかりとしていない。
スーツ姿の肉マネキン。俺を見てコソコソと噂話をする人々の目は怪訝であった。
俺だってしっかりして、シャキッと歩きたいさ。だが、その気力が無いんだ。
心にはMPがある。気力とかやる気とかいろいろな呼び方があるが判り易く言うのならMPだ。
俺の心のMPは枯渇している、MPが無いのにホイミを唱え続けているようなもので、無意味なのだ。この心の MPを回復させるには時間と娯楽が必要だった。
だが時間は仕事で圧迫されなく、俺は趣味という趣味を持ち合わせていないから結局のところMPを回復させるには自然回復を望むしかないのだ。
「葛藤さん……。go-pillsをくださいぃ……」
「ダメだ。戦闘は起こってない。何もなのにハイになってどうする」
「うぅ……ぅあぁ……」
俺の気力はもうボロボロ。気付けのドラッグがどこで薬物依存になるのか俺にも分からない。だが一つ言えるのはもう俺は相当なジャンキーであると言う事だけだった。
マリファナもここ最近毎日吸っているし、連日連夜ずっとコカインを吸入して夢の国へと旅立つことも最近ずっとそうで、こっちに戻ってくることの方が珍しい事だった。
そんな俺に俺自身をメンテナンスしてくれる筈のドクはアメリカの遠い場所にいて精神的衛生を保全されていない。故に堕ちる所まで堕ちた気がして、俺は人として落第点のゴミクズに成り果てつつあった。
俺は糸の切れた操り人形のようにだらりと体を弛緩し、力を込めるに込められなかった。ダレているとか怠けていると言う訳ではない。
力が、入らないんだ。
顕著な鬱症状で、その上にドラッグの、薬の離脱症状もあった。
極度の疲労感。全身の骨が鉛に変わって血液が水銀になってしまったと錯覚さえしてしまう程の重怠さ、眩暈のような眠気もある。
頭が割れるような頭痛に、胃が口から出てくるのではないかと思う程の吐き気もある。
そして異常なまでの自殺願望が俺を襲っていた。
楽になってしまいたい。死んでしまいたい、死んで逃げて、現実を見ずに暗闇の中に溶けるならそれでもいいとさえ思えるほど、死ぬことを望んでいる。
ゾクゾクと這い上ってくる不快感。皮膚の中をまるで小さな蛆か蟻かが這いまわっているようで気持ちが悪い。
「頼みます。頼みます‼ 。一回だけ、一回だけでいいんで」
必死の形相に俺が葛藤さんに縋るので葛藤さんも周囲の目を気にして、俺の手を引いてトイレへと連れ込んで、胸ポケットからそれを出した。
コカインだ。ハイになって多少マシになった俺が濫用を防ぐために葛藤さんに渡していたんだ。我慢が出来なくなって拳銃で頭を撃ち抜く前に、自殺しそうになったらこれを俺にぶち込んでくれと頼んでいて、葛藤さんが根負けしたんだ。
トントンと少量を大理石の洗面台の縁に出してくれるので、俺はそれにむしゃぶりつくように鼻を近づけ力強く吸い上げる。
強すぎるわさびのあのツーンとした感覚と言えばいいのか、鼻の奥が痺れるような感覚があり鼻を伝って苦味が喉元に降りてくる。
粉っぽいジャリジャリとしたコカインの結晶が鼻腔を伝って口まで降りてきて、それを咀嚼する俺は、ようやく白黒の苦痛に満ちた世界から色付いた正常な世界へ帰還を果たす。
「か、ぁっ……はァ! 。はァ! 。くっそ、ハア! 。アンタは良い人だ。いい人だよ……!」
俺は泣きながら葛藤さんにハグをしていた。自分の情けなさやら惨めさやらで自尊心はもうボロボロで見る影もない。
そんな俺ができる事と言えば僅かながらの感謝の言葉を、薬の管理をしてくれている葛藤さんにお礼を言うことぐらいしか心の底から感謝以上の言葉が出てこなかった。
「さあもういいだろう。薬はこれまでだ、警護の任務がまだある。行けるか! 。ええ、どうだ!」
「ズズッ、はァ、行けます……仕事します」
俺は卑劣な卑怯者だ。ドラッグに逃げるにしたってやり様があるだろうに。
こんな粉に振り回される自分に嫌気がさして、頭に来てしまう。徐々に世界が光を佩びて気分が上がってくる。
ようやく正常に戻り始めた俺は決断した。
「葛藤さん……。コカイン捨ててください」
「いいのか? 。……本当にいいんだな」
「断ちます。俺、薬断ちます」
薬を断つといっても抗鬱剤や眠剤を断つ訳ではない。俺が断つのは所謂粉モノ、ハードドラッグを断って見せる気でいるんだ。
葛藤さんにクスリの管理を任せるのだってはっきりな話で言えば犯罪の幇助であり、薬の事情に明るいオランダだって覚せい剤やコカイン、ヘロインは違法だ。
だから俺は、断つ。これを気に断って見せる。
葛藤さんがコカインを流しに捨てて水に流される光景を見て、ああ勿体ないと思うがグッと堪えて俺はメインステージに向かった。
メインステージは表彰の真っ最中であり、プリンセス・ジュリエッタの背後には自国から連れてきた護衛二人と班長、柊、紙白が控えていた
俺達も護衛の列に加わると、小声で柊が聞いてくる。
「またやったの?」
「ああ、でも。もう終わりだ、これ以上薬を吸って堪るか」
「どうだか、ジャンキーはいっつもそう言っても、何かに理由付けて吸うんだから」
確かに薬を断てず再度手を出す奴らはいる。だが俺は決めたんだ。
もうこれ以上薬をしないって、司令コマンドももう頼らないぞ、っと心に決めたんだ。
キンキンと音が頭の中に響いてくる。世界が色鮮やかに見えて眩く幸福な気分になってくる。コカインのというより、粉モノのいけない幸福感が俺を優しく包み込んでくる。これを感じられるのもこれで最後だ。浸っておこう、もう二度と感じる事のない幸福感なのだから。
『それではグランプリの映画を発表します。グランプリは──『愚者たちの女王』です』
大きな拍手が会場中で巻き起こった。
俺は小声で柊に聞く。
「どんな内容の映画だ?」
「悪い女が、マフィアとか悪者を巧みに操って成り上がっていくって映画。ラストシーンは皮肉が効いてて面白かったよ」
何ともアングラな映画だろうか。そんな映画ニッチ過ぎて誰が求めるのか不思議だが、黒い面は誰しもが怖いもの見たさに覗き込むもので、同時に深淵はこちらを覗いてもいる。
そこに身を堕とすか、それとも堕ちずにいるかは、ほんの僅かな差でしかない。
ギリギリのチキンレースで、俺はそのレースに負けて奈落へと落ちて、堕ちた先でドラッグに逃げた。
だが俺は心決めた。今日ここに俺の心の目標、麻薬と呼ばれるものは一切断つと。
監督賞、脚本賞、男優賞と次々と表彰される人々。その中に。
『最優秀女優賞──マリア・レオンハート!』
大きな歓声と共に拍手が上がる。
何と、マリアだ。こんなところで知り合いの表彰式に立ち会うなど思いもよらなかった。みんなが拍手する中俺だけ呆けて彼女の美貌に見惚れていた。
まるで彼女だけ、この世の者とは思えないほどに美しく感じられて、常軌を逸した美しさだった。
煌びやかなドレスはホログラムコーティングを施したドレスで赤いドラゴンがそこで住まい威圧的だ。けばけばしくなく下品さも感じられない、綺麗に着こなしている。
あんな美人と俺は知り合いだ。それを誇りに思うのと輪に掛けるような自慢感が俺の中にはあった。
「彼女、何の映画に出たんだ?」
柊に聞くと。
「グランプリの作品よ。愚者たちの女王、あの悪役像は唯一無二だわ。彼女にとってもはまり役だったし」
彼女は俺に語っていた。悪役にしかなれない自分がいると。
愚者たちを扇動する彼女の姿を想像すると不思議と女王としての立ち振る舞いが板に付いているように感じられ、いやむしろそっちじゃないとおかしいとまで感じるほどに彼女は悪役然としているのだから不思議だ。
悪にしか染まれない役者。そして悪に染まりきれない俺。
まるで皮肉だ。俺と彼女の立場が逆だったら、きっともっと世界は良い風に傾いていただろう。
彼女はより必要悪としての役割を果たしただろう。より冷血に人を殺しただろう。
俺みたいに半端な楽しみを見出さず、しっかりと殺しの愉しみを見出して悪者を懲らしめる巨悪になっていた事だろう。
俺は弱い男だ。彼女のその姿に切望の念を抱いてしまう。
彼女は堂々としている。堂々としているからこそ、何事も筋が通ったように綺麗に見えるんだ。一本の背骨のようなしっかりとした立ち振る舞いが。
対する俺はどうだ? 。まるで風で吹き飛ぶ蒲公英の綿毛のように頼りなく、信頼がおけない。
人に縋り、薬に縋り、殺しに縋り、ドラゴに縋る。
俺からドラゴと薬を取り上げたのならば残るのは人以下のゴミムシが残るだけだ。
俺は卑劣者、俺は卑怯者、俺は下劣者。
何でもかんでも言い訳言い訳で罷り通してきた。鬱だから、弱いから、環境のせいだ、と。
体のいい言い訳でしかないんだ。他人の目から見ても俺の優柔不断さに嫌気がさしてほとほと愛想が尽きるだろう。
ツー、っと頬を伝う涙が流れた。
彼女の受賞を祝っての感涙か? 。イエス。しかし罪悪感もある。
罪悪感とはなんだ? 。俺がクズだから、惨めだから泣けてくる。
俺も拍手の喝采にようやくとばかりに加わり手を叩いた。まるで馬鹿の一つ覚えのように。
俺は願う。俺の言葉に彼女の何かに影響を与える事が出来たと思える事に。
彼女の役者人生に僅かばかりの手助けができた事を誇りに思う。
もう会う事もないだろう。このカンヌ映画祭が終わったのなら今度はル・マン市に移動だ。次にあるのはそう、俺達の十八番、ドラゴを用いたジェットレース競技。
ドラグーン・レースだ。




