第29話
集団行動に集団意識と言うものは介入し、個々人の意思をいとも容易くねじ伏せる事が出来る。俺はそれに巻き込まれてノーと言えるほど頑丈な意志は持っていなかった。
ホーク・ディード社戦闘社員を中心としたPMC員たちが主だって起こしたその狂乱は瞬く間にバグラム空軍基地の全てに広がって、俺は渋々仕方なしにその作戦に参加せざる得なくなった。
作戦と呼ぶにはあまりにも乱暴なそれは、要は目に付くアフガニスタンの住民を皆殺す、と言うものだった。
戦争にルールと言うものがあると言うのに、これは完璧な違法行為になろうとしていて、それを自覚しているのは狂乱の中にいる者の中には一人たりとていなかった。
自由意志で作戦の参加は決められるが、俺は周囲の班の連中に押されるがまま、促されるままに作戦に強制参加させられることとなっていた。
全くいやな事になった。下手に人と関わるとこういう時に不利益を被る。
別にバーンズ軍曹の仇を取りたくないと言う訳ではないが、強いてそれをすべきかと思うかと言えば、どうでもいい。
と言うのが俺の発想で他人をそこまで労われない鬱病の逼迫した精神状態であった為だ。
俺は戦闘行為に快感を覚えるような人種ではないし、むしろそれを忌避しているまであるのに、周囲がそれを許してくれなかった。
きっとバーンズもそれを望んでいる、きっとバーンズもお前がそうなったならそうする、きっとバーンズの為になる。
そんな口当たりのいい建前を並べて皆が俺を戦闘に、戦争に巻き込もうとしていた。
それは俺は強くノーと言えず、流されるままに戦闘に参加する準備をさらせれていた。
きっと人は俺のこの感情を知ったのなら、とんだ恩知らずとなじるだろう。
だがそれでも、俺はこの行いにいつにも増して後ろ向きで、やる気を起こすのがやっとであった。
休日返上して迄戦場に出る理由が見当たらなかったが、それでも人の目を気にしてビクビクそれに歩調を合わせて動いている辺り俺の弱い所であった。
「アンタも出るんだろ。整備しといたぜ」
整備班がドラゴスーツ姿で呆けて突っ立っている俺の背中をバンと叩いて現実を見させてくれた。
ああ、準備万端だ。準備万端だろうさ。
棺確保の装備にいつにも増して攻撃寄りな装備。ドラゴ規格改良M230機関砲、近接格闘マチュテ、12ゲージドラゴ規格対応AA-12D散弾銃。予備パッケージも背部に装備していてそこにはたっぷりの弾丸が収まっていた。
逃げるに逃げられない。紙白は参加するようだったが柊は生理痛で無理と言い、葛藤さんはまず作戦時間外の出撃自体論外と一蹴し参加していない。
皆、おかしくなり始めていた。それもそうでアフガニスタンと言えば黄金の三日月地帯と言う地域に属していて、それは汚名にも似た称号で、所謂『ドラッグの一大拠点』であることを示していた。
ずっと昔からこの土地はアヘンにヘロインとを生成し各地に送り出してきた歴史があり、それは今も変わらず、ケシ農家は今も存在していてこの土地では安価にそう言ったモノが手に入るので、刺激を欲する者たちは否が応にもそれに引き寄せられ、手を伸ばしてしまう。
皆それをキメていた。ヘロインは鎮痛性のダウナー系なはずなのになんで皆こんなにはきはきと元気溌剌と言った感じなのかは不明だ。知りたくもなかった。
マリファナで済ませていればそれでいいだろうに、いろいろな薬物で情緒がぶっ壊れて、そして戦争の狂騒に煽られてその現象に露わになっているだけ。
ハハッと苦笑いのシニカルな笑みが出てしまい俺は幽鬼のような足取りでドラゴに向かう。まるでそれに誘われ吸い取られる誘蛾灯のような魅惑的なドラゴの無感覚に俺はどっぷりと浸かっている。
人は感覚を閉じる事で悪夢から逃れる術を手に入れる。俺の場合はドラゴを纏う事が悪夢より逃げる術だった。
あれに乗れば俺は守られる。いやな現実に抗う術を手に入れ、気が狂えば、司令コードが人としての精神を戻してくれる。
狂気、狂乱、感情のさざ波を伴わない静かなる激情。
俺にこの世界は何を求めているのか一切が分からない。
「鬱陶しいな……まったく」
最近、ハエを見る機会が増えた気がする。
人がいる場所には決まってハエが見える。人の顔に集っているのにその人たちはまるでそれに気づかないような感じである。
俺の幻覚か? 。それとも世界が狂ったのか。どちらにしろ俺に影響が出ているからどうにかしたかった。
ケツポケットにねじ込んだエナジードリンクを取り出して蓋を開けた。
久しく飲んでない人工甘味料の過剰なまでの甘さとカフェインの興奮作用。許されるのならばこの人為的に作り出される快楽の名の下に俺は堕落していきたかった。
神も畏れぬ所業と言うのか。
俺は神に見放された堕とし子、何にも縛られずに生きていきたかった。神と言う枷が俺を縛るのなら、俺は神を呪って見せようと。
きっとこれはエナジードリンクの成分による排他的な背教。真実の心で言うと俺には、分からない。もう俺は俺自身が分からない。
どう身を振るべきなのか、どう相手をすべきなのか、俺が分からない。刹那的なその情緒に俺は何を見致せばよかったのか? 。願わくば争いでそれを見出すのではなく平和的にそれを見たかった。
「クシャトリア……」
その声に俺はハッとして振り返った。
みすぼらしい衣服で、あちこち泥が付いている。
着替えていないんだろう。ラシードだった。
「どう、したんだ?」
俺は無理して笑顔の仮面を被って見せて、ラシードと同じ目線に立って聞いてみた。
「また、戦争に行くの? 。クシャトリア」
その言葉に返答する事が出来なかった。
ああ、俺は今から戦争に出る。戦争に出て人を殺してくるよ。
とは到底言い出せなかった。ただでさえこの子の村を滅却したのは俺で、俺が君の村を破壊し尽くしたんだよ、とも言い出せなった。
「僕考えたんだ。じっとあの部屋でクシャトリアの事をずっと、村を爆撃したのは憎い、でもなんで僕を助けてくれたのか分からなかったからずっと考えてた」
「…………」
「僕が枷になってるんでしょ、だから僕を助けた。クシャトリア、僕を助けようとしないで、僕を助けるために戦争に行かないで。僕は助けられたくない、一緒に居たいんだ」
「そ、そうか」
俺は剥がれかけのその無様な笑顔でラシードの頭を撫でた。
この子は聡明だ。そして利口だ。だから理解してくれと言いたいが、子供に向かって割り切れなんて俺の口からは到底言えなかった。
「戦争をするくらいなら僕といて欲しんだ。もっと僕にクシャトリアを理解させてほしい」
「──悪い。許してくれな、ラシード」
ボロボロの笑顔で笑って俺は立ち上がって背を向けた。背を向けてしまった。
きっとこれが最後のストッパーになるのは分かっていた。これから先に行けばもう引き返せないのは分かっていた。だが、行かないと。
俺を呼んでいるんだ。戦争が、ドラゴが。地獄の底から彼らが呼んでいるんだ。
ごめんな、ラシード。俺は君ほど強くない。だから行くんだ。
生きていくために、君を養うために、君から俺は眼を背けた。
ドラゴへとまっすぐ向かってエナジードリンクを飲み干して、缶を握りつぶした。
世界は狂っている。あんな純粋な健やかな魂を産み落として尚、現実と言う歪で不愉快なそれで染め上げようとしてくる。
それに浸って、それに慣れて、それを受け入れたのなら、俺達はきっとこう呼ばれるんだ──人でなし、って。
……
…………
……
ドラゴを奔らせ、共に戦列を共にする者たちは狂っていた。
怒りに狂い、薬に狂い、命に狂い、狂い散らかしている。ルールーなんてあったモノではなかった。殺戮に身を任せ、カブールの街を戦火に覆い尽くしていた。
矛盾の話をしよう。このカブールの街には民間人はいない。
何故ならパキスタン政府がアフガニスタンと併合しアフガン解放戦線が台頭して、この空港のあるカブールが主戦場になると言うのは想定されていて、民間人の退避命令が出ているのは至極当然で、俺達がここに来るずっと前から退避勧告が出ていてこの街には民間人はいない。
――いない事になっている。
それは即ち、いたとしてもパキスタン臨時政府はその存在を黙認する事を意味していて、いたとしてもその存在が国際的に握りつぶされる事を示唆していた。
バンと俺達が建物の扉をグリップパイルの近接パイルバンカーで扉を壊し投げ込む手榴弾に悲鳴と共に爆音がそれをかき消すに笑いが漏れる。
飛び出てくる子供に女、それも俺達にはもう『標的』としてのレッテルが張られていた。
ダダダダッと炸裂するM230機関砲はブローニングと違って弾頭にHEDP弾を使っている為着弾時に炸裂する弾丸で、飛び出てくる人と言う人を八つ裂きにしてくれる。
「ハハッ……」
静かで、シニカルな嗤い。
人に非ず、その標的たちに引き金を引く。まるでモグラ叩きの様で殺すに容易く生かすに難しい。
重低音で響く音楽は今カブールに出撃しているホーク・ディードとその他諸々の戦闘員たちが戦術メッシュネットで繋がれた共有無線で大音量の音楽、ジミ・ヘンドリックスのヴードゥー・チャイルを鳴らし、それが何かの記号のように俺達を戦争へと駆り立ててくれた。
頭が破裂してしまいそうなほどの興奮と狂騒。ギターの嘶きと銃の嘶きの記号が当て嵌まりまるで音楽を奏でるが如く俺は人を殺していた。
一体どんな気持ちでジミ・ヘンドリックスを作ったんだろう。考えずにはいられなかった。戦争と狂ったピースと、ヴードゥー・チャイルと言うピースがガッチリと嵌ったように。
英語のそれの意味は俺には分からない。だが分かる事が少しだけある。きっと多分イカれてしまった俺達を祝福してくれる歌なんだって事は。
人を殺すに悪鬼は来たり、人を殺す事はまともな事ではない。ならば人で無いモノがそれを行うべきなのだ。
俺は人ではない、神でもない、ましてや天使でもない。悪行を行いそれを実行するのならば俺達は悪魔か、悪鬼だ。
ダダダダンダダダダン。人を殺して殺して殺し尽くして、嗤って笑って嗤い尽くして。俺は、俺達は、人以下のものに成り下がる。
いや、まず人とはなぜ悪とするものを欲せんとするのか、善悪の在り方はそれは自然なのか? 。
人を殺す事は悪いことだ、だが人は殺す。その意味はあるのか? 。
意味ならばある、命は金に還元できるものだからだ。弾丸を一発消費すると人が死んでその死んだ虚無が金に変わる。
俺達は言うなれば両替屋なんだ。人の死と言う対価を金に換える両替屋。
『死ね死ね! 。死に尽くせ!』
『殺戮だ! 。ハハハハハッ!』
みんな喚いていた。それが当たり前のように。
戦争の狂乱が人を狂わせていた。人は悪に属する種族なのか? 。性悪説のようにどうしても利益を好んで人を蹴落としてもその蜜を啜る餓鬼なのか? 。
じゃあラシードは、あの純粋無垢なあの子は悪なのか? 。違う。
あの子は正しい、善なる属性だ。そう考えると、人間は種が違うのではないか? 。
人と言う種は一概に一つの種族の様でその実、よくよく中身を覗くと悪と善との二極に別たれた種族なのではないか。
きっとそうに違いない。生まれが人を左右する、育ちが人を左右する。
そんなの建前だ。産まれ出で遺伝子に刻まれたそのデータが何らかの障害、乃至差異が人を悪の属性と善の属性に分けその二種の種族としての相容れない性質が、この社会を歪めているんだ。
俺はその中でも飛び切りヤバいんだろう。鬱病と言う名の仮面と鎧を纏い弱者を装い人を殺す。もう無敵だ。
悪が、善を駆逐する。
「ハハッ、ハハハハハハハハッ!」
俺は嗤っていた。大声で笑っていた。
俺は悪、なんて極端な思考なのだろう。人間に善悪のそれが種としての差異を齎すのならもっと根本を変えるべきだったんだ。
見た目を変え、意識を変え、目に見えてこいつは俺達とは違うと言う違いがあるべきだったんだ。神は意地悪だ、その違いを我々に与えて区別する方法を教えてくれなかった。
人を害するに悪。人に施すを善とするならば人はどちらも持っている、なのになぜここまで産まれて歩む道が違うのだ。卑怯じゃないか、贔屓じゃないか、神様はきっと意地悪だ。意地悪く足搔く我らを嘲笑う。
マチュテを振り下ろし子供の頭を叩き割って、俺はこの戦乱が一体いつまで続くのか考えてみる。
終わりが見えないこの戦いに、終局があるのなら、きっとそれは赦しになるのだろうか。
地獄があるのなら、極楽があるのなら、楽園があるのなら、奈落があるのなら、我らは一体どちらに向かえばいいんだ。
神は一体我らに何を求めて何をなすべきなのかを告げてくれなかった。
人は自然のままに殺戮を繰り広げ、互いが互いを害しあいながらこの世界を形成していった。人を慈しむ事に俺も幸福を感じる、人を害することに俺も快感を感じる。
なんて分かりづらい。
人ではない。神はきっと俺達の及びもつかない考えで俺達を作ったに違いない。
「ハハハッ……ハハハハッ……」
俺は嗤いながら泣いていた。馬鹿らしいこの戦争に加担するのに、俺は泣いていた。
鬼でありながら悪魔でありながら、哭いていた。




