第三話:おっさんは迷路をさまよう
隠し階段を下ってから、八時間経っていた。
今は地下四階まで来ていた。ここは迷宮エリアだ。特殊な迷宮で、別れ道の先に行き止まりと魔方陣があり、正解の道であれば先へ続く道へと転移し、間違いであれば入り口に戻されて一からやり直しとなる。
そして、俺たちはちょうど転移したところだ。
「ユーヤ兄さん、また振り出しだよ。もうやだぁ」
「ユーヤ、ルーナもちょっと泣きそう……でも、がんばる。最初の分かれ道は右に進む。いこっ、ティル」
ティルがスタート地点であり、なんども見る羽目になった三つに分岐した別れ道を見て悲痛な声をあげる。顔から生気が抜け落ちていた。
この地下四階で何度も入り口に戻されており、精神的に追い詰められている。
さらには、再配置までは復活しないはずの魔物も、ここではループの度に復活して、こちらの体力とリソースを削っているのも追い打ちになっていた。
こういう状況じゃなければ、復活する魔物を利用して無限ループ狩りなんてこともやれるのだが、今は遠慮願いたい。
さすがの俺も正解でなければループすることは覚えていても、細かい道筋までは覚えていない。
おかげで何度も入り口に戻され、何度も同じ魔物と戦うことを強いられていた。
……だけど、ようやくクリアできそうだ。
「二人とも待て、これは罠だ。入り口の分かれ道と同じ見た目に作られているだけで、実際は出口直前だ。入口だと思いこんで右に進めば、振り出しに戻ってしまう。正解は左で、その先に迷路の出口がある。よく見てみると壁を照らす松明の数が一本少ないだろ?」
「そんなの気付くわけないじゃん!」
ティルがエルフ耳を赤くして怒る。気持ちはわかる。
「ユーヤおじさま、この迷宮を作った人は悪魔か何かかしら、最後の最後に心を折りに来るなんて性格が悪すぎるわ」
「俺もそう思う。この罠にはまるとな、この迷宮を作った奴を本気で殺したくなる」
ここまで来て振り出し戻ったと絶望して、なんとか気力を振り絞り立ち上がり、入り口では正解である右に進んで入り口に戻される。そこで、ようやくからくりに気付き、さらなる絶望を味わうのだ。
……当時の俺は本気で殺意を覚えたものだ。
だが、ようやく終わりだ。
細かい道筋は忘れても、最後の最後の罠は強烈なインパクトもあり覚えていた。ここを左に行けば地下五階に行ける。
しかし、今日は先へと進まない。
「今日はここまでにしよう。ここで夜を明かす。ここまで来られれば明日中にクリアできる。ゆっくり体を休めよう」
俺がそう言うと、ルーナとティルがその場でペタリと座りこみ、セレネが安堵の息を吐く。
ただでさえ強敵の連戦なのに地下四階で心まで消耗し、疲労が限界に達している。今の体調で先へ進むわけには行かない。
加えて、この場所は野営地点候補の一つだった。涼しいし、魔物が出現しないので安全だ。
この【原初の炎を祭る神殿】で安全に夜を過ごせる場所は、ここを含めて三か所しかない。
「フィル、あれを頼んでいいか」
「ええ、任せてください。みんなの疲れを吹き飛ばしちゃいますよ。こういうときは美味しいご飯が一番です」
俺はテントを取り出し、フィルが夕食の準備を始める。
疲れ切った体と心を癒すのは重要だ。
そして、俺は魔法のテントを設置する。
「見てください。これが、ボス報酬の宝箱に入っていた魔法道具です」
フィルが食材と共に魔法袋から取り出したのは、金属製の大きなカバンに見える。
前世の知識がある俺はアタッシュケースという単語を浮かべた。アタッシュケースを開くと、そこにはフライパン、鍋、包丁、皿の類が入っている。
それらの中身を取り出し、ボタンを押すとアタッシュケースが変形して、水を出すバルブと加熱するためのグリルが出来上がっていた。
この魔法道具は、携帯料理セットと言われている。
魔法の力で、いくらでも水は出るし、燃料なしに火が出続ける。
調理器具や皿も一度収納すれば汚れが綺麗にとれるという優れものだ。
フィルが鍋に水を張り、コンロでお湯を沸かし始めると、ルーナとティルが飛びついてきた。
「ユーヤ、不思議! 水と火が出た!」
「これがあれば、どこでも料理できるね。お姉ちゃんの美味しい料理がいつでも食べられるよ!」
「ええ、便利ですよ。魔物を倒してドロップした肉を料理できますし、単純に火と水をいつでも使えるっていうのは便利なんです。魔法袋の容量を空けられますし、寒いダンジョンでは暖もとれますしね」
水や食料、燃料の重量なんてたかが知れているというのは間違いだ。
上級ダンジョンでは、十日以上潜ることもある、そうなれば必要な水と食料はとてつもない量になる。
そして、長旅では多くの魔物を狩る。少しでも素材を入れるスペースを確保したい。
携帯料理セットは荷物を減らし、いつでも出来立ての料理を作れる素晴らしいものだ。
……かつて、これを売るしかなくなったときは本当に悔しかった。
「お姉ちゃん、今日は何を作るの?」
「さきほど、ヒクイドリがドロップした鶏肉(並)を使って特製のパスタを作ります」
「フィル、それって美味しい?」
「美味しいですよ。ルーナちゃん」
お子様二人組が謎ダンスを始めた。
もっと疲れているかと思ったが意外と元気だ。
フィルは手際がいい。乾燥パスタを鍋に放り込み、鶏肉(並)をぶつ切りにして、スパイスを揉みこみ、フライパンにバターを引いて炒める。その際に皮をじっくりやいて脂を出してかりかりにする。
大量の水を使う乾燥パスタをダンジョンで茹でられるのは実はかなり贅沢だ。
鶏肉に火が通ってくると、茹であがったパスタをフライパンに放り込んで、生クリームと卵黄を絡めて、調味料で味付け。
それを皿に盛る。
見ているだけで美味しいとわかる。
フィルはその合間に、お手製の固形スープのもとでスープを作ってしまう。
「ルーナちゃん、ティル、皿を出してください」
「ごはん、ごはん!」
「ごはん、ごはん!」
お子様二人組が忙しく動き回る。ダンジョンの中とは思えない空気だ。
やっぱり、携帯料理セットは素晴らしい。
特に、フィルという料理上手がいる俺のパーティにとってはありがたい。
◇
食事の時間がきた。
リラックス効果があるハーブティとチキンパスタ、スープが提供される。
「フィル、これ、美味しい!」
「さすがお姉ちゃんだね」
「ほんとうに美味しいわ。簡単な材料で作ったとは思えない」
俺も口にする。
これはすごいな。
鳥の皮から出た脂の旨味と肉に揉みこんだスパイスが絶妙にマッチしている。
そして、生クリームが麺に絡んでのど越しが良く、卵黄の火の通し方が絶妙だ。
こんなものをダンジョンで食べられる俺たちは幸せものだ。
「どんどん食べてくださいね。おかわりもありますから」
さっそく、お子様二人組が一気に麺をかきこんでおかわりを要求してきた。
それを見越して、フィルはかなり多めに作っている。
こうやって、たくさん食べることができるのもダンジョンではすごく恵まれていることだ。
……魔法袋がないころは、持ち運べる食料も限りあるし、味なんて二の次で軽さと腹持ち優先だった。ひもじい思いをしたことは一度や二度じゃない。
魔法袋は高級品であり、大半の冒険者はそういう経験をしている。ときに冒険者は飢えて理性を失い、他の冒険者から略奪を行ったり、もっと悲痛な決断を迫られることすらある。
そんな苦労をこの子たちにはさせたくないものだ。
食事が終わり、フィルはチキンパスタに使わなかった卵白とハチミツを使って焼きメレンゲを作ってくれた。
さくさくとした軽い食感と優しい甘さが心地よい。
戦いの連続で疲れ切った体に甘さが染み渡り、心がほぐれていく。
「フィル、すごく美味しかった。ありがと。これで明日も頑張れる!」
「うんうん、美味しいものの力ってすごいよね」
「ルーナもティルも、フィルに感謝しないとな。体の疲れは無理やりポーションでどうにかできても、心だけは薬じゃだめだ。美味しい飯が一番力になってくれる」
そこを軽視して、大事なところで失敗をして破滅したパーティを何組も見てきた。
俺が楽しく冒険したいと言っているのは、そのあたりのこともある。
フィルが皿を回収して、アタッシュケースに放り込む。
それだけで後片付けが終わるのも楽だ。次に使うときには、調理器具も皿も新品同様になっている。
「ユーヤは褒めすぎですよ。今の探索ペースは順調ですか?」
「ああ、予定通りの進行具合だ。このまま行けば明日には最奥までいけるだろう。迷路を今日の内にほぼクリアできたのはでかいな。ここと地下七階が、このダンジョンでの大きな山場だ」
地下七階がゴール。地下四階のクリア直前まで来ているので、半分以上踏破できたことになる。
ただ、油断はできない。消耗品はどんどん減っている。
そして、この先はさらに魔物が強くなる中での消耗戦が続き、最後には最大の難関が待ち受けている。
「だいじょうぶ! フィルの美味しいごはんのおかげで元気になった!」
「うんうん、明日も私の矢が冴えわたるよ」
「ティル、いい気合ですね。今の内に【矢生成】を使って矢を補充しておきましょう。今、魔力を使い切っても魔力の自動回復量を増やすポーションを飲んでおけば朝までには回復できます」
「ユーヤおじさま、寝る前に明日のために、もう一度魔物と罠について教えてもらえないかしら?」
「キュイッ!」
レベルに見合わない上級ダンジョンに来ることを心配していたが、俺の思っていた以上にこの子たちは心も体も強くなっていた。
この調子なら一年もするころには最上級パーティの仲間入りしているかもな。
俺は小さく笑い、明日のための話を始めた。
今日以上に厳しい戦いだが、それでも大丈夫だ。今ではそう思える。




