第十二話:おっさんは鍛錬をする
宿に戻ってきた俺は、ルーナの服を緩めてベッドに寝かせる。
汗もかいているし、体を拭いて寝間着に着替えさせたほうがいいのだろうが、さすがに男の俺にそれはできない。
顔だけでも、濡れタオルで拭いてやる。
「今日は疲れたな」
体力を回復するポーションを飲んだのに、体の芯に疲れが残っている。
何より、体が熱を帯びていた。こっちは昼の戦いのせいだ。
神剣ダーインスレイヴを解放し、限界以上の戦いをしたことが脳裏に何度も浮かぶ。
あれが俺ができるはずの動き。
椅子に深く座って目を閉じ、あのときのことを詳細に思い出す。光景だけじゃない、匂い、音、感触、ありとあらゆるすべてを。
強い自分の姿というのは、どんな酒や女よりも興奮させてくれる。
イメージを何度もなぞれば、あれに頼らずともああいう動きができるはずだ。
あの極限の集中状態がほしい。
全力を振るえば、十全に技を振るえない情けない自分を変えたい。思い出せ、あの時の熱を、極限の集中によって引き延ばされた世界を。
何度も、何度も、何度も、脳裏に浮かべ続ける。
何かが見えた。
そう思ったときだった。
「たっだいまー! ユーヤ兄さん、野獣になって可愛い子ギツネちゃんを食べてないよね!」
底抜けに能天気な声が響いた。
薄く笑って立ち上がる。
イメージトレーニングはもう十分だ。
「そんなことするわけがないだろう。帰ってきたなら、ルーナの体を拭いて、着替えさせてやってくれ。俺にはできん。しばらく外にいる。おまえたちも、体を拭いて着替えたほうがいい」
イメージのあとは実際に剣を振るいたい。
今日はちょっと夜更かしをしよう。
ティルがルーナのところまで行って顔を近づける。
「くんくん、うん、変な匂いはしないね。ルーナは無事みたい」
「きゅいっ!」
「どれだけ信用がないんだ……」
「あはは、冗談だよ。冗談。ユーヤ兄さんが私たちに手を出さないってことぐらいわかってるよ」
いつも以上にテンションが高い、酒のせいだろうか?
「ただいま。ユーヤ」
「お疲れ様、フィル」
あの場に残って、ティルたちが男どもに変なことをされないように目を光らせてくれたフィルはちょっと気疲れしているようだ。
フィルがいたから、あの場を離れられた。
「男の人って、私やセレネちゃんはともかく、子供でも必死に口説くんですね。驚きました」
「一応、結婚できる年齢だしな」
「ユーヤは、私がルーナちゃんやティルぐらいのころ子供扱いしかしてくれなかったのに」
「個人差がある」
人の認識というのはなかなか変わらない。
よほどのことがない限り、一度娘みたいなものと思えば娘だし、妹だと思えば妹だ。
認識を変えるには、とてつもなくインパクトがあるイベントが必要だろう。
「ユーヤおじさま、言い寄られるのは困ったけど、いろいろと有意義な話も聞けたわ。ベテランの人ばかりで、勉強になることが多かったの」
「そうだな。パーティの数だけいろんな工夫がある。こういう機会は貴重だ。あとで俺にも教えてくれ。俺だって知らないことがたくさんある」
「ええ、わかったわ」
セレネはルトラ姫としていろんなパーティに出ていただけあって、社交術にもたけているらしい。口説きを軽く流して、欲しい情報を得ている。こういうところは、他の子たちにも見習ってほしい。
◇
宿屋の中庭に出た俺は、魔法の松明の明かりを頼りに剣を振り続ける。
全力で、今のステータスを限界まで引き出し普通の剣で型や連携技を行う。それも一度ではなく、何度も繰り返す。
ほどほどで切上げようと思ったが、楽しくなっていつまでも剣を振り続けていた。
間違いなく、俺は成長している。
御しきれないはずの速さの中で、剣の先まで神経が通っている感覚がある。
もっと速い世界を体験したおかげだ。
あの集中力で引き延ばされた世界、あそこまではいけないが、それでも見える景色が変わった。
どれだけ剣を振り続けたのだろう?
あまりにも夢中になって体を酷使したものだから握力がなくなり剣が滑り落ちる。
剣を拾おうとしたが、その力すら残ってない。足が笑い、息は乱れきっている。
だというのに、にやけてしまう。
そのまま大の字に倒れる。
「剣の世界は深いな。まだまだ先があるなんて。最強の騎士の称号を得て、極めたつもりになるなんてのは早すぎた」
そうだ。ここからだ。
もっと先の世界を見る。
いつか、それこそ、あの三倍の世界の先まで、そう思うとわくわくが止まらなかった。
◇
息を整えてから、ほてった体を井戸の水で冷ます。
雪と氷の街では自殺行為だが、今はちょうどいい。
水を浴びた体から白い湯気がでる。
さっぱりとした。
部屋に戻ると、もうみんな眠っていた。
酒が入っているせいか、深い眠りだ。
俺とフィルのベッドに入る。
そうすると、ようやく疲れ切った体が静まり深い眠りについた。
◇
朦朧とした意識のなか、温かい何かが体にのしかかっているのを感じる。
その温かい何かが俺の上でうごめいている。
心地いい柔らかさと、脳髄をとろけさせる香り。
指一本動かせない。
その温かい何かをもっと味わいたいと、感覚は鋭敏になっているのに、すべての筋肉が弛緩しきっていうことを聞かない。
目を開こうとして、それすらもできない。
背筋に甘美な刺激が響く。
声が聞こえた。俺の名を呼ぶ声だ。
それから……。
◇
朝がきた。
目を空けて、体を起こす。
隣を見ると、フィルがぐっすりと眠っていた。
宿の庭で飼われている鶏たちがいっせいに鳴き声をあげて、みんなが起き出す。
「ちょっと頭がいたい」
「ルーナ、昨日は飲みすぎだよ。はい、これ。エルフ印の野菜ジュース。飲むと元気になるよ!」
「ありがと……まずい」
「薬効優先だからね!」
「ん。まずいけど元気になった」
お子様二人組のベッドは朝から元気そうだ。
エルリクがルーナの頭の上に座り、鳴き声をあげて餌をねだると、ティルが魔法袋から燻製肉を取り出して二人でエルリクに朝ご飯をあげ始めた。
「今日は晴れているのね。ダンジョンの中もそうだといいけど」
セレネはいつもどおり、寝起きからしゃきっとしている。彼女のだらしないところは見たことがない。
見事な銀髪は、いつ見ても毛先すら乱れずにさらさらで、フィルなどはたまに羨ましそうに見ている。
そのフィルが伸びをしていた。
彼女には言わないといけないことがある。耳元で小声でささやく。
「フィル、いくら酒が入ってルーナたちが熟睡しているからって、同じ部屋にあの子たちがいるときは、そういうことはしない約束だろう」
そう、昨日の深夜のことだ。
俺としては、フィルと愛し合うのは大歓迎だが、あの子たちの前でするのは教育上問題があるので避けたい。
だから、二人きりのとき以外は自重していたのだ。
「なんのことですか?」
「昨日の深夜、覆いかぶさってきただろ?」
「いえ、眠ってましたよ。……ユーヤ、詳しく聞かせてください」
怖い顔でフィルが問い詰めてくる。
小声で昨日のことを話す。
「それ、ただの夢じゃないですか。だって、私がベッドに忍び込まれて目を覚まさないってありえないです。ティルやルーナちゃんが悪戯しようとしても、確実に目を覚ます自信がありますよ?」
一流の冒険者は、外で野営をしているときに魔物に近づかれても大丈夫なように、眠っていても意識の一部を起こしている。
俺もフィルもその訓練はしており、ベッドに忍び込まれて起きないなんて間抜けを晒すことはないはずだ。
「……そうか、ただの夢か」
あの温かさ、柔らかさ、匂い、快感、全部が夢だとは思えない。
しかし、言われてみれば、あの状況で指一本動かせないなんてことはありえない。
それに、下世話な話だがシーツも下着も汚れていない。
「その、ユーヤは欲求不満なんです。今日はダンジョンで泊まりますし……その、がんばりますね」
魔法のテントは防音性も高いし、二人きりの個室。
魔物が近づけばアラームがなるし、数回までの攻撃は耐えられる。
数少ない、そういうことをするチャンスだ。
「気を使ってもらって悪いな。ただの夢でどうかしてる」
きっと、極度の興奮と疲れと酒が絡み合った結果だろう。最近、ご無沙汰だったのもある。
……もう少し、しっかりしないと。
◇
朝食を食べてから、俺たちは再びダンジョンに来た。
ここに来る途中、すでに俺たちがアイスグランド・ジェネラルを倒したことは噂になっていて、感謝の言葉をかけられることが多く、誇らしい気持ちになった。
周囲を見渡すと、前回は他の冒険者なんてほとんどいなかったが、久しぶりに狩りができると、多くの冒険者が出発するところだった。
急がないと獲物がとられてしまうだろう。
「みんな、今朝も話したが鍛冶スキルが得られる場所は、このダンジョンの奥深く。早くて三日、普通なら四日はかかるし山越えもある。そのつもりで、ペース配分しろ」
「ん。任せて!」
「もう雪には慣れたよ!」
「私も問題ないわ」
「夜はあったかくて美味しい料理を作るので楽しみにしていてくださいね」
雪山を踏破する三~四日間の旅、厳しい戦いだ。
だけど、フィルの美味しい料理が毎晩あるなら頑張れる。
携帯料理セットがあるから燃料の心配もないし、水は雪を溶かして作れる。食料もたっぷりと持ち込んだ。
「ユーヤ、なんで水着がちゃんとあるか確認させたの? ルーナ、こんなところで水着になったら寒くて死んじゃう」
「それは二日目か三日目ぐらいにわかる。とびっきりのサプライズがあるからな」
世界最大級のこのダンジョンには穴場スポットがいろいろとある。
その一つに、砂漠におけるオアシスぐらいに素晴らしい場所があるのだ。
それも今回の探索の目玉。
「さあ、出発だ」
「「「おおう!」」」
【白銀兎】を狩り、規格外の経験値を得つつネームドの肉を手に入れ、鍛冶スキルを得る。その途中には楽しいご褒美。
邪魔者はもういない、やっとクリタルスを味わい尽くせる。




