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第52話 道場

 サンヒートジェルマン第四地区の南東に位置する草原の近くで、ふたりは立ち止まった。


「ムーン。見て。これがネオだよ」と右方に見えた黄色い小さな花を指さすホレイシア。彼女に促されたムーンは、その場にしゃがみ込み、ジッと花を観察した。


「ああ、この花の花粉があの猫の毛に付着してたんだったな」

「そうみたい」と頷くホレイシアは地図を広げた。そうして、地図と周囲の景色を見比べながら、地図上で指を動かす。

「ここから五十メートル離れた武器商店に停まってた馬車の屋根に乗って、第五地区に移動したと仮定して、捜索範囲を絞り込んでみると、こんな感じだね」


 問題となっている武器商店の座標がギリギリ捜索範囲に入るよう、気を付けながら地図上で円を描く。ホレイシアはそれを隣に立つ獣人の少年に見せた。


「そうか。この円のどこかにあの小猫の飼い主がいるんだな」

「うん。そうだよ。じゃあ、ここからは二手に分かれて探してみよう。ムーンは主にこの辺に住んでる動物たちから話を聞いてみて。こういうことは、動物に聞いた方がいいと思う」

「おお、そうだな。ここは俺に任せろ!」とムーンが胸を張る。

 ふたりはそこで別れ、小猫の写真を見せながら聞き込み調査を行った。


 探索開始から数十分後、ムーン・ディライトはこの街に住む猫からある情報を入手した。

「ああ、ここか。ありがとな」とその場にしゃがみ込んだムーンが猫の頭を優しく撫でる。それから彼は左手の甲に刻んだ生成陣に触れ、声を発した。


「俺だ。面白いことが分かったんだ。あの猫、優しいヤツに飼われてるっぽいぞ」

「どういうこと?」

「猫たちの間で話題になってるらしいんだ。そこに行けば、おいしいごはんが食べられるって。その場所に案内してもらったら、サンヒート武道場ってとこに辿り着いた。もしかしたら、ここに飼い主がいるかもしれん」

「うん。分かった私もそっちに向かうね」とホレイシアが返すと、通信が途切れた。


 五分ほどでホレイシアはムーンと合流した。ふたりの前には、武道場の看板がある。もしかしたら、ここに飼い主がいるかもしれない。そう思ったホレイシアは、ムーンと共に道場の中へと足を踏み入れた。


「すみません……」と声をかけながら、引き戸を開けると、そこには先客がいた。


「本日はありがとうございました。久しぶりにいい汗を流せました」と黒髪セミロングの女性が頭を下げる。それに対して、白髪交じりの男性は首を縦に動かした。

「知らない間に強くなったみたいだな。まさか、ここまでとは……」と男性が口を開くのと同時に、女性は視線を後方に佇むふたりに向ける。


「あっ、ごめんね。邪魔したみたいで……」

 瞳にハートマークを浮かべた獣人の少年の動きを察知した女性が、体を後方に飛ばす。

「姉ちゃん、この小猫に見覚えねぇか?」とムーンが写真を見せながら尋ねる。それに対して彼女は首を横に振った。一方で、その写真を覗き込んだ白髪の男は驚いたような表情を浮かべる。

「おお、スズだ!」

「スズ?」

 黒髪セミロングの女性が首を傾げる。

「ああ、この道場の看板猫さ。一週間くらい前から行方が分からなくて、探していたんだ。まあ、ノアさんが知らなくても無理はない。スズは私が故郷に戻ってから飼い始めたんだからな」

「……なるほど」とノアと呼ばれた女性が腕を組む。その後で、ローブのフードを目深に被ったホレイシアが一歩を踏み出す。


「この子は第五地区の動物保護施設にいます。実は、私たちはこの子の飼い主を探すクエストを行っていたんです」とホレイシアが事情を明かす。

「そうか。そんなところにいたんだな。ありがとう」

 飼い主の男がホレイシアに向けて頭を下げる。それに対して、ホレイシアは恥ずかしそうに目線を反らした。これで飼い主捜索クエストは無事に終了して、安心したホレイシアは、近くにいるはずのムーンに声をかけようとした。

 だが、彼はノアにグイグイと距離を詰め寄っている。


「お前、ノアって言うんだな? 俺はムーン・ディライト。なんか困ってることあった、俺に……」

「ちょっと、ムーン!」

 幼馴染の少年の隣に並んだホレイシアが、彼の右腕を掴む。

「お姉さん。気にしないでください」とホレイシアが頭を下げると、隣に並ぶムーンは怪訝そうな顔になった。

「ホレイシア、邪魔しないでくれ。俺はノアともっと話がしたいんだ!」

 そう告げたムーンはノアをジッと見つめた。髪型は黒いセミロング。年齢はムーンたちよりも上で、小さな胸の膨らみに女性らしいボディラインが浮かび上がっている。そんな見た目の彼女は、ムーンとホレイシアの会話を耳にして、クスっと笑った。


「そうね。ちょっと場所、移動しましょう。セレーネ・ステップの皆さん」と微笑んだノアは、師範代に頭を下げ、道場から出ていった。その後とムーンとホレイシアが追いかける。


「あの……どうして、私たちがセレーネ・ステップだって分かったんですか?」

 ホレイシアが引っ掛かっていた疑問点を口にすると、ノアは背後を振り返りながら答えた。

「ギルド受付センターで噂になっていたから。この街にあの能力者の男の子とヘルメス族の女の子が所属するギルドがあるって。道場に顔を出す前に、ギルド広報誌の原稿も見せてもらったから、あなたたちのことを知ってたのよ。まあ、知ってるのは、あなたたちが取材で答えた程度のことだけだけどね」

「おお、もうそんな噂が出回り始めたんだな」と納得したムーンの隣でホレイシアは腑に落ちないような顔つきになる。

「……失礼ですけど、何者なんですか?」

「ギルド受付センターで働いてたから、こっちの支部に転勤した子に会ってきたんだよ。次いでに故郷に戻った師範代の顔も見に行ったわ」


「働いてたって……」

「行方不明になった弟を探して、旅をしている無職。それが私。弟はムーンと同じように姿が変わっているけれど、私なら絶対に見つけられるはず!」

 ノアの事情を聴いたホレイシアの隣から、ムーンが一歩を踏み出す。

「ノア、人探しクエストなら俺に任せろ。俺達には、あのシステムで姿が変わったヤツを見つけ出した実感があるんだ!」

「それを言うなら実績ね。それとムーン。こういうことはフブキと相談しないと……」

「そっ、そうだな。この話は保留だ。なんかごめん!」

 ムーンが両手を合わせると、ノアが優しく微笑む。

「手がかりらしいモノが何もなくて、見つけるのは困難かもだけど、それも一つの選択肢かもしれないわね。ふぅ、話せて楽しかったわ。ありがとう」

 ムーンたちに笑顔を向けたノアが、離れていく。その後ろ姿を見送ったムーンの隣で、ホレイシアが依頼人に通信する。


「はい。飼い主、見つかりました」と依頼人に報告した後で、彼女は隣を歩くムーンに微笑みかける。


「良かったね。飼い主が見つかって」

「ああ、そうだな。人間だけじゃなくて、動物からも情報が手に入るからなぁ。結構、早く済んだんじゃないか?」

「そうだね。ムーンが一緒で良かった」

 その幼馴染の一言を耳にしたムーンが照れながら鼻を掻く。

「なっ、なんだ。いきなり、そんなこと言うなよ。照れるだろ。まあ、ホントはフブキやアストラルにスゴイとこを見せたかったんだけどな」とムーンが笑う。その無邪気な笑顔を、ホレイシアは複雑な表情で見つめていた。

「ねぇ、さっきの人探しクエストのことだけど、本気でやるつもりなの? 手がかりがないのに、どうやって見つけるつもり?」

「分からないけど、その時が来たらフブキたちと一緒に考えるさ。もちろん、ホレイシアもな」

 その一言にホレイシアはドキっとしてしまった。

「そう言ってくれて、嬉しい……かも」

 頬を赤く染めたホレイシアは、フードで素顔を隠したまま、彼から視線を反らしていた。その横顔はどこか嬉しそうだった。


 

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