第29話 解約
翌日、ギルドハウスの個室にあるベッドの上で眠っていた半そで短パン姿の獣人少年の顔を、窓から差し込む朝日が照らした。眩しく感じた目が瞬くの同時に、ドアの向こうから強いノック音が響く。
騒がしい音で目を覚ましたムーン・ディライトは欠伸をしながら、扉の方へ歩みを進める。
その間に、扉の向こう側からハーフエルフの少女が中にいる幼馴染に声をかけた。
「ムーン、起きて!」
「ホレイシア、もう朝ごはんの時間か?」
扉を開けたムーンが顔を前に向けると、慌てた表情の幼馴染の少女、ホレイシア・ダイソンが佇んでいた。いつもと同じ黄緑色のローブで身を包む彼女の右手には一枚の紙が握られている。
「それは今から準備するけど、大変なことが起きてるみたいなの。さっき応接室に入ったら、こんなのが送られてきて……」
そう言いながら、ホレイシアは持っていた紙をムーンに見せた。
依頼キャンセルのお知らせ
資産家令嬢人探しクエストについて、依頼主からキャンセル依頼が届きました。
昨晩、捜索対象が自宅に戻ってきて、無事が確認されたからとのことです。
つきましては、依頼料の半額をお支払いし……
ギルド受付センターから送られてきたメッセージを呼んだムーンが首を傾げる。
「どういうことだ? 依頼キャンセルのお知らせって……」
「ごめん、私にも分からないよ。私の部屋で昨日保護したクラリスが眠ってるのに、何が起きてるの?」
「だったら、依頼主のカルトに話を聞くしかないな。俺たちが保護したクラリスを連れて」
腕を組み頷くムーンの隣でホレイシアが眉を潜める。
「うーん。それが一番なんだろうけど、相手は忙しいみたいだから、最悪の場合、門前払いされちゃうかも」
ちょうどその時、ムーンの右隣の部屋の扉が開き、尖った耳が特徴的な白髪の天才少女が顔を出した。
寝ぐせで跳ねた長い後ろ髪を揺らした彼女は、眠たそうな顔をしている。
「……騒がしいですね。ニワトリさん」
「ああ、フブキ、悪かった。起こしてしまったみたいだな。ホント、ごめん」
顔を上げたムーンが白いローブ姿の少女、フブキ・リベアートの前で両手を合わせる。
彼に続けてホレイシアもフブキに頭を下げた。
「ごめんなさい。こんなのが送られてきたら、早く相談しなくちゃって思って」
一方で、冷や汗を搔いているハーフエルフ少女の顔をジッと見つめ、何かを察したフブキが肩を落とした。
「はぁ。何かあったみたいですね」
「うん。実は昨晩、第五地区の墓場でクラリスを保護したの。だけど、応接室に依頼キャンセルのお知らせが送られてきて、混乱してるんだよ。私の部屋でムルシエドラコの姿になったクラリスが眠っているのに、昨晩、クラリスが自宅に戻ってきたから依頼をキャンセルしたいってこっちの紙に書いてある。これはいったい、どういうことだと思う?」
事情を説明したホレイシアの前で、フブキが頬を緩める。
「なるほど。やっぱり、あの奇妙な遺伝子は、ムルシエドラコの姿になった元人間のモノでしたか。それを偶然にも保護したとは、マスター、やりますね」
「おお、フブキが珍しく俺を褒めてくれたぞ! ところで、奇妙な遺伝子ってなんだっけ?」
照れて顔を赤くしたムーンが首を傾げる。その近くでフブキは首を縦に動かした。
「昨日言及した気になる遺伝子のことです。環境遺伝子術式で検出された遺伝子の内、一つだけ気になるものがあったのです。それは、ムルシエドラコと人間の遺伝子が絡まり合う四重らせん構造の遺伝子。どうやら、エメトシステムの影響で姿を変えられた人物の遺伝子は、通常のモノとは異なるようです。実に興味深い」
フブキの話を聞いたムーンがポカンと口を開ける。
「悪い。聞いといてなんだけど、全然分からなかった」
「因みに、裏路地から見つかった衣服に付着していた黒い体毛も、ムルシエドラコのモノでした」
「おお、そうだったんだな。そっちも気になってたぞ! どうだ? 頼りになるって思った……」
「ちょっと、ムーン。今はそんなことより、この問題を一緒に考えてよ!」
怖い顔で咳払いしたホレイシアがムーンの声を遮る。
「あっ、ああ、悪かった。じゃあ、フブキ、どう思う?」
彼女の怖い顔を見て、思わず後退りしたムーンがフブキに尋ねる。
すると、フブキは自身の顎を右手で掴んだ。
「そうですね。単純に考えると、帰ってきたのはニセモノです。おそらく、クラリスの名を騙り、何か悪事を企んでいるのでしょう。お屋敷に仕掛けられた盗聴術式は、その下準備。盗聴することで、成り済ます相手の口調や人間関係、予定を把握し、外出した本人を拉致監禁。そうすることで、犯人はクラリス・ペランシュタインとしてお屋敷に潜入し、次の行動を起こそうとしている。これが真実です」
フブキの推測を聞いていたムーンが両手を強く叩く。
「よし、分かった。だったら、帰ってきたのがニセモノだって証明すればいいんだな?」
「はい。化けの皮を剥がす方法は既に考えてあります。まあ、その前に、今このギルドハウスで保護している方のクラリスに会う必要がありますが……」
「うん、分かった。ついてきて」とホレイシアが頷き、ムーンたちに背中を向け、右隣の部屋へ向かい歩き出した。数歩で扉の前に立ったホレイシアが目の前にある扉を開き、室内に入る。
そんな彼女に続き、ムーンとフブキもキレイに整理整頓された個室に足を踏み入れた。
「マスター、ベッドの端に座って、クラリスに声をかけてください」
フブキがベッドの上で丸まって眠る羊のような角を生やした小さな黒龍に視線を向け、右隣にいるギルドマスターに指示を出す。
「分かったぞ」と頷くムーンは、指示通りに真っすぐ歩き、ベッド端に腰を落とした。
「クラリス、起きてくれ!」と獣人の少年が語り掛けると、傍で眠っていた黒龍が目を覚ます。
ベッドの上から起き上がるように、四肢を立たせた小さな黒龍は顔を上げ、隣にいる獣人の少年に視線を向ける。
「おはよう。クラリス。悪いが話を聞いてくれ。実は今、大変なことが起きてるんだ。昨晩、お前の名前を騙った悪いヤツがお屋敷に帰ってきた」
「このままじゃ、私はお家に帰れない……事情は分かった。どうするの?」
「ああ、ソイツがニセモノだって証明しようと思うけど……」
言葉を詰まらせたムーンが顔を上げ、前方にいるフブキとホレイシアに視線を向ける。
少年の視線を感じ取ったフブキはため息を吐き出した。
「……化けの皮を剥がすために、今日の午前中の予定を教えてくださいって伝えてください」
「おお、助け船、ありがとな。クラリス。今日の午前中の予定は?」
「失踪で、予定が変更かもだけど、お屋敷で、踊りのお稽古する予定」
「そうか。ホレイシア、フブキ。今日の午前中は家にいるらしいぞ。それで、どうするんだ?」
「もちろん、保護したクラリスを連れて、この三人で本人に会い、ホンモノかどうかを見定めます」
「ごめん、フブキ。今日、俺、休日出勤なんだ!」とムーンが両手を合わせる。
すると、フブキは深く息を吐き出した。
「分かりました。ただ、化けの皮を剥がすためには、マスターの存在が不可欠です。おそらく、三十分もあれば終わると思うので、時間のことは気にしなくて大丈夫です。全てが終わった後で、私が職場まで責任を持って送ります。もちろん、瞬間移動で!」
「フブキ、お前、こういう時は瞬間移動使うんだな!」
「ただし、寝坊した場合は助けません。自らの悪行を呪うがいいわ」
フブキがムーンに冷たい視線をぶつける。
そんな彼女の右隣で、ホレイシアが右手を挙げた。
「ちょっと、フブキにもう一つ相談したいことがあるの。今のクラリスとカルトを会話させるために必要な何かを生成できないかな? ほら、昨日書いてくれたあの術式を応用して……」
右隣から視線を感じ取ったフブキが、隣のハーフエルフ少女と顔を合わせる。
「そういうことなら、昨日のお仕事の休憩時間にピッタリなモノを生成しました」
「おい、フブキ、そんなのがあるんだったら、最初から使えよ! 通訳する必要なかったじゃねぇか!」
ベッドの端から勢いよく立ち上がったムーンに対して、フブキは首を横に振った。
「未完成品を使う愚か者に堕ちたくありませんから。使用するためには、もう少し調整が必要です。使いものになるまで、あと一時間はかかるでしょう。ということで、私は錬金部屋に籠ります」
そう伝えたフブキは、欠伸をしながら、ホレイシアたちに背中を向け、個室から飛び出した。




