9 新婚の朝②
エドウィンはへへっと照れたように笑い、私の隣に腰を下ろした。同時にふわっと香るのは、石けんの匂い。訓練後、ひとっ風呂浴びてきたからかな。栗色の髪は洗い立てだからかつやつやしているし、まだ少しだけ湿ってるような気がする。
彼はキティに「俺にも茶を淹れてくれるかな」と丁寧な口調で頼み、私の顔を覗き込んできた。
「そういや俺、騎士団の仕事に関してはここ三日ほどの結婚休暇をもらってるんです。ほら、挨拶回りとかいろいろありますし」
「それもそうですね。……キティ、私たちの予定はもう決まっているのよね?」
「はい」
エドウィンにお茶を渡したキティは頷き、ポケットから小さなメモ帳のようなものを取り出して捲った。
「今日は午前中に女王陛下へ拝謁し、結婚後のご挨拶をいたします。ならびにジルベール殿下、サイネリア殿下、アルジャーノン殿下へのご挨拶も午前中に全て行い、午後からは王城に届いた結婚祝いの贈り物やカード、手紙の整理を行います」
「結構きつきつのスケジュールですね」
エドウィンはそうぼやいているけれど、私は思わずどきっとしてしまった。
この後、ジルベール様に会いに行かないといけない。前世の私を癒してくれた憧れの王子様のもとへ、「私たち結婚しました」と改めて挨拶しに伺うのだ。
……挨拶自体は大丈夫だろう。キティも付いてきてくれるみたいだし、当たり障りのない会話をすればいい。それに関しては、私よりエドウィンの方が気を張るはずだ。
問題は――前世の最推しを間近で見て、私が正気を保てるかどうかだ。
記憶取り戻してからの十日くらいはいろいろ忙しくて、まともに話をしたゲーム関係者は女王陛下とサイネリアくらいだった。ジルベール様は結婚式のときにちらっとお姿が見えたっきりで、記憶を取り戻してからは会話をしていない。
――私は、エドウィンの妻だ。
だから目の前に最推しが現れても、たとえその生声が聞けたとしても、同じ次元に推しがいることで狂喜乱舞しそうになったとしても、顔に表してはならない。……できるだろうか。
……ふと視界の端に何かがちらちらして見え、私は視線を落とした。
私とエドウィンは拳二つ分ほど間を取って並んで座っていて、私は左手を膝の上に載せていたのだけれど――エドウィンの右手が、そわそわと動いていた。私の左手に伸ばそうとして、やっぱりやめて。ぴくっと小指だけ動かして、途中で思い直したかのように親指以外の指を丸めて――
「エドウィン?」
「えっ? ……あ、す、すみません!」
怪しい手つきをしていることが私にばれたからか、エドウィンは熱いヤカンに触れたかのようにさっと手を引っ込め、左手で右の拳を包み込んで背中を丸めた。
「あの……変な意味じゃないんです! その、もしよかったらお手に触れたいな、と思って……本当にそれだけっす!」
恥ずかしいからか耳が真っ赤で、俯いているので彼の表情はうまく窺えない。やたら彼の声は大きいし、焦っているからか口調もめちゃくちゃだ。テーブルの脇ではキティが額に手を宛って、「エドウィン様、お言葉が――」と苦言を漏らしている。
「あの……すみません。俺、傍目から見たらただの不審者ですよね――」
「いえ、そんなことありませんよ」
顔を真っ赤にして照れまくるエドウィン。
スマホの画面越しに見るだけだと、あんまり彼の魅力が分からなかったけれど……なるほど、これはなかなか性癖をくすぐる仕草だ。エドウィンは十九歳になったばかりで、私カトレアは二十歳。前世の加藤れなに至っては享年二十五歳だったから、彼の初々しいところやすぐに赤くなってしまうところはなんとも可愛らしくて、胸の奥がもぞもぞしてくる。
「シークレット・プリンセス」プレイヤー用のネット掲示板で、「エディマジワンコ」「エディみたいな、尽くしてくれる年下男子がタイプ」「あれはまさにアスパラベーコン系男子だわ」みたいな書き込みがあったっけ。あのときは癒し系正当派王子様しか目になくて、エドウィン萌えの書き込みを見ても「ほーん?」としか思わなかったけど、今なら分かるかも。
彼の声が大きいのだって、小学生の頃のいじめっ子やクソ社長のように私を攻撃するためではない。元気いっぱいの声を出すのがデフォルトで、彼の特徴でもあるんだから、怯えることもない――はずだ。
なおも照れまくっているエドウィンの膝に手を載せる――のはさすがにはばかられたので右肩に軽く触れ、ぽんぽんと何度か優しく叩く。これくらいなら軽いスキンシップだし、私もそこまでやりにくくない。
「エドウィン、もし私に何かしてほしいこととか私と何かしたいことがあれば、声を掛けてください。その、全てが全て叶えられるとは限らないのですが、善処しますので」
昨夜夫婦の営みに拒否姿勢を取っていた女が何を言うか、かもしれない。
でも、今の私にはこれが精一杯だった。
エドウィンはゆっくり私の方を向き、自分の肩に触れる私の手をおっかなびっくり見つめていた。……見た目はちょっとチャラくて怖い印象のある彼だけど、そんな表情をしていたら年相応――ううん、それ以上に子どもっぽく見えてしまう。
彼をきつい目つきで言葉遣いの荒い男、と認識すると警戒してしまうけれど、頑張り屋で努力家な男の子だと思って見れば、壁がぐっと低くなったように感じられる。
彼は、眼差しを緩めてふにゃっと笑った。
「そ、そうですか。……分かりました。以後、気を付けますね!」
男の子らしく低い声だけどその表情はあどけなくて、私も思わず笑みを零してしまった。するとエドウィンは目を丸くし、「あ、笑った」と声を上げた。
「カトレア様、やっと心から笑ってくれましたね!」
「え? やっと……?」
「はい。ここ最近、カトレア様はずっと表情が暗くて……俺との結婚が本当は嫌だったのかな、なんてことまで考えていたんです」
バレてたーーーーっ!
しかも予想大当たりだーーーーーっ!
内心ドッキリびっくりで冷や汗も半端ないけれど、そこにはエドウィンも気づかなかったようだ。彼は「んなわけないですよね」と首の後ろを掻きながら微笑んでいる。
「俺、あなたの笑顔が好きなんです。誰にでも優しくて、勉強熱心で、サイネリア殿下や女王陛下からも大切にされていて。そんなあなたが俺を選んでくれた、俺の手を取ってくれた、俺の告白を受けてくれた――あなたが他の皆にも見せていた笑顔を、俺だけが独り占めできる時間が得られる。それ、むちゃくちゃ嬉しいんです」
「そうだったの……?」
確かに、普段から笑顔を心がけていた。亡き母も「笑顔でいれば、たくさんの人があなたのことを好きになってくれるわ」と口にしていた。その教えがあったこともあるし、私に何不自由ない生活を提供してくれる女王陛下や、ぽっと出の私を従姉として認め、「同じ年頃の友だちがほしかったの」と言ってくれたサイネリアの思いに報いるためにも、笑顔でいるようにしていた。
だから、「笑顔が好き」と言われるとやっぱり嬉しい。しかもエドウィンは、私の笑顔を一時でもいいから独り占めしたいと考えていたなんて……そこまで「カトレア」は彼に想われていたんだな。
「そうですよ! だから俺、これからもあなたが笑顔でいられるよう頑張りますので!」
――つきん、と胸の奥で、小さな痛みが走った。
「ええ、ありがとう、エドウィン」
私は痛みなんてなかったかのように、エドウィンが大好きだという笑顔で応えた。




