7 優しすぎる人
甘……い?
彼は私の返事を聞く前に体を離し、唇を寄せてきた。
女神像の前で交わした誓いのキスとは全然違う、欲にまみれたキス。ベッドサイドの明かりが彼の横顔を照らしていて、灰色の瞳に浮かぶ獰猛な色が私を震え上がらせる。
――「カトレア」は、エドウィンの猛々しさと少しの荒っぽさ、そして時折見せる無邪気な笑顔と真っ直ぐに愛情をぶつけてくる素直さに惹かれていた。まあつまり、ギャップ萌えだ。
だから甘い雰囲気になったときに彼が見せる、この男らしい色香に骨抜きになっていた。あの鋭い灰色の眼差しに射抜かれたい、そのまま私だけを映してほしい――そんなことさえ考えていた。
でもそれはあくまでも、エドウィンルートを選択した主人公「カトレア」が抱いた感情だ。ジルベール最推しの私にとって、愛しているわけでもない男性の睨むような眼差しは――恐怖心を煽るだけだった。
思わず、「いやっ」と小さな声を上げてしまう。直後、しまった、と思ってはっと口を手で覆うと、エドウィンはしばし惚けたように私を見た後、唇の端をねじ曲げてにやりと笑った。
「……すみません。あなたの『嫌』は『もっと』の意味だって、学習しているんです」
「ひぇっ!?」
エドウィンって、こういう台詞を言うキャラだったの!?
とはいえエドウィンは私の拒絶の言葉をいいように捉えたようで、私の膝裏に腕を回すとひょいっと体を抱えた。カトレアは「れな」より小柄で軽いから、お姫様抱っこをするのも苦じゃないみたいだ。
いきなり抱き上げられたので私は反射的にエドウィンの首にしがみついてしまう。彼は「ああ、そうです。もっとこう、くっついていてくださいね」と楽しそうに低く笑うと私を抱えたまま後ろを向き、ベッドに運んでいく。
抱き上げられたときの動作は荒っぽかったのに、シーツに寝かせるときはそっと下ろす。エドウィンが私の靴を脱がしている間、私はぎゅっと唇を閉ざしていた。
いよいよだ。
彼は本気だし、もう「我慢」する気もないんだ。
初めては、痛いんだろうか。前世は社畜フィーバーだったのでそういった経験もなく、最後に付き合ったのは大学生の頃、しかもキスするよりも前に別れているので、前世も今も男性経験はナシ。
私の靴を脱がし終えたエドウィンもベッドに上がると、まな板の上の鯉状態の私をじっと見下ろし、ナイトドレスの襟から覗く鎖骨の間にキスを落としてきた。
「すみません、俺、こういったことの経験がないんで……でも、カトレア様をご満足させられるよう、精一杯努力します!」
「エ、エディ――」
「愛しています、俺だけのお姫様」
そう湿っぽい声で囁くと同時に、エドウィンは私のナイトドレスに手を掛けてきた。
もう、後戻りはできない。
しゅるり、と胸元の可愛らしいリボンが解かれた。「うっわ、すっげぇきれい……」と呟く声と共に、ナイトドレスが脱がされていく。
両目を固く閉じ、私は真っ暗な世界の中でひたすら、「私は幸せ、私は幸せ」と念じ続けていた。
これ以上我が儘は言えない。他の人を困らせるわけにもいかない。
エドウィンはやっぱり少し怖いし推しじゃないけれど、私のことを大切にしてくれる。本当に嫌なことはしないだろうし、生涯私だけを愛してくれるだろう。
ジルベール様じゃなくても、きっと――
「……カトレア様」
少し緊張を孕んだエドウィンの声がする。ずっと目を閉じ心の中で念じ続けていたから、時間の感覚が曖昧になっていた。
おそるおそる目を開けると、そこには私を組み敷いた状態で、なにやら考え込んでいる様子のエドウィンが。いつの間にか彼の部屋着は前ボタンが全て外されていて、いくつかの小さな傷跡の残るたくましい胸元が露わになっていて目の毒だ。
ちなみに私は彼によって、ナイトドレスを完全に脱がされていた。あと身につけているのは上下の下着のみ――という状態で、エドウィンは手を止めていた。
「……エディ?」
「……やっぱりやめましょう」
「えっ?」
言うが早いか、エドウィンは私の体を抱き起こすと、脱がせたばかりのナイトドレスを着せてきた。女物の衣服を扱い慣れていないことが明らかなぎこちない手つきだけれど、丁寧に着せてから胸元のリボンも結んでくれる。
「気づいてました? あなたはさっきから、すごい顔をしかめていたし体もガチガチに硬かったんです。あまりにも緊張している状態だと、あなたの体にとってもよくないでしょう。だから、今日のところはやめておきましょうね」
「えっ……そ、んな……待って!」
静かな口調で諭すように言われ、私の心臓が凍り付いたかのように体中が冷え、耳の後ろでドクンドクンという大きな心拍の音を感じる。
ばれてしまった?
私が彼を拒絶していると、気づかれてしまった――?
焦る私を見てどう思ったのか、エドウィンは自分のシャツのボタンも全て留め、きつく吊り上がった目尻を少しだけ下げて微笑んだ。
「大丈夫ですよ。時間ならいくらでもありますし」
「それは、そうだけど――」
「カトレア様。俺は、あなたのことが大好きです。本当は今すぐにでもあなたを俺のものにしたい。でも、今そうすればあなたが泣くのは分かってます」
確信を持った神妙な声音で言われ、またしても私の体に緊張が走る。
まさか、ジルベール様に片思いしていることはばれていないと思うけれど、エドウィンは私の異変には気づいていたようだ。彼に抱かれるのに不安を感じているという感情も、嗅ぎ取られてしまっている。
でも彼は微笑みを浮かべ、そっと私をベッドに寝かせた。そして自分も私の隣に横たわり、上掛けを引き上げた。
「俺は大丈夫です。……今日はいろいろあって疲れたでしょう。明日も挨拶回りとかありますし、今晩は早めに寝ましょう」
「……でも」
「返事はハイ、しか聞きませんよ?」
「……分かった」
私が渋々頷くと、エドウィンは「俺のお姫様はいい子ですね」とからかうように言い、私の前髪を掻き上げて額にキスを落とした。それは先ほどのような情欲にまみれたねっとりしたものではなく、子どもが戯れにするような軽いキスだった。
「……俺、ね。こうしてあなたを抱きしめて寝られるだけで、十分幸せですよ」
ベッドサイドの明かりも消し、真っ暗になった世界でエドウィンが低く笑う。
彼の胸元に抱き寄せられているからその表情は見えないけれど――笑いながら言ってくれているのだろうか。
「……俺、ちゃんと『待て』ができます。愛するあなたからオッケーをもらえるまで、俺、待ちますから」
だから、今はおやすみなさい。
私はエドウィンには分からないくらいかすかに頷き、大人しく彼の胸元に手を添えた。
ちゃんと決めたのに。仮面を被ると決めたのに。
いざそのときになったらポンコツになる自分の情けなさと、そんな私を気遣うエドウィンの優しさで、胸が苦しいばかりだった。




