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62 エンディングの、そのあとで

 夜、エドウィンが離宮に戻ってきた。


「おかえりなさい。ご飯はもう食べたんだっけ?」

「ただ今帰りました、カトレア様。先に連絡していたとおり、ちょっと早めに本城の食堂で食べました」


 玄関で私が両手を差し伸べると、エドウィンは少々遠慮しつつ私にコートを預けてくれた。そして私の肩を抱き寄せ、こめかみにキスを一つ。近づいた彼の体からは、外の香りがした。


「今日はカトレア様も、国民への顔見せをしたそうですね。どうでした?」

「みんなに温かく歓迎してもらえて、びっくりしたけれど嬉しかったわ。たくさんのシャボン玉も浮かんでいて……エディのときはどうだった?」

「……あー」


 並んで廊下を歩きながら尋ねると、エドウィンは少々困ったように微笑んで頬を掻いた。


「俺も、歓迎されました。……まあ、カトレア様のときとはちょっと違った感じになりましたけど」

「どんな感じだったの?」

「あなたはサイネリア殿下たちと一緒に馬車に乗ったのでしょう? 俺は騎士団の仲間を連れて馬に乗っていったのですが……温かくも手荒な歓迎を受けましたよ」


 彼と一緒にリビングに向かいながら聞いた話によると。

 騎乗して城下町に向かったエドウィンはまず、町の男たちに取り囲まれた。そして、「復帰おめでとうございます!」と歓迎される傍ら、「カトレア様を悲しませないでくださいよ!」「姫様を泣かせたら、俺たちが黙ってません!」と笑顔で脅された。続いて女性陣からも、「ちゃんとカトレア様を守って差し上げてくださいよ!」「カトレア様を悲しませるなんて、あたしたちが許しません!」と詰め寄られたそうだ。


 平民出身のエドウィンは一時こそ「女王家のペット」疑惑が浮かんだけど、国民からは一躍出世のスターのように見られているし、私との仲も知れ渡っている。

 だから皆はエドウィンを敬いつつも、元は自分たちと同じ平民だったということでなかなか砕けた態度で接してきているそうだ。場合によっては不敬罪になるようなことだろうけど、そう語るエドウィンの顔は晴れ渡っているし、おもしろがるように笑っているからこれでいいんだろう。


「いやぁ、なかなか手荒な歓迎でしたよ! でも、俺はあなたの一番の騎士なんですから、あなたを泣かせないよう、悲しませないようにするのは当たり前ですからね。それに、忠告してもらえるってことは、それなりに信用してもらえてるってことでしょうし……これからも皆の期待に背くことなく、職務を全うします!」


 張り切って宣言するエドウィンは、本当に頼りになる。真っ直ぐな眼差しと背筋の彼は、優柔不断な私にはちょっと眩しいくらいだ。


 リビングに着いたので、私はキティにエドウィンの上着を、エドウィンは他の使用人に剣やごついベルトを外して渡す。私は離宮で、エドウィンは本城で既に夕食を食べているので、この後はお茶を飲みながらまったり過ごす団欒の時間だ。


 ソファに並んで座り、キティが淹れてくれたお茶を飲む。私のは蜂蜜入りだからちょっと甘めで、エドウィンのはストレートだから苦めだ。室内に紅茶の柔らかい匂いが満ち、心も体もほっとした。


「騎士団ではどうだった? 結構長い間休むことになったけれど……」

「最初はいろいろ書類を書いた挨拶回りをしたり上官と一緒にスケジュールを組み直したりしてバタバタしましたが、城下町視察の後はひたすら、体力作りトレーニングでしたね。療養中に結構体力が落ちていて、今までなら余裕でついて行けていたトレーニングもちょっときつかったですね」


 今日の活動内容を思い出しているのか、エドウィンは目を細めて語っている。確かに、昨日今日は離宮の庭で運動をしていたようだけれど、何日も伏せっていたのだから基礎体力は落ちているだろう。インドア派な私と違ってエドウィンはガッツリアウトドア派だから、何をするにしても体力が落ちているというのは困ったことになるはずだ。


「そうね……無理はしていない? 体が痛いとかはない?」

「それはないですね! 確かにちょっとなまってはいますけど、カトレア様の一人や二人くらいは余裕で持ち上げられます!」

「私は一人しかいないけれど」

「それもそうですね。……あー、でもそもそもカトレア様はすっごい軽いし、あんまり比較対象にならないですね」


 確かに、恋愛シミュレーションゲームの主人公だけあって、私カトレアはなかなか魅力的な体をしている。特にダイエットしたり食事制限したりしなくても腰や脚は細く、その割に胸は大きい。だというのに体重は軽いのが不思議だ。前世は肥満ってほどじゃなかったけど、男の人にひょいっと持ち上げてもらえるような体型でもなかったから、なんだか不思議な感じ。


 ……そんなことを考えていると。


「……もしもし、エドウィン君」

「はい、何でしょうか」

「私の足に触れる、このお手手は何でしょうか?」


 問いながら、私の太ももに添えられていた彼の手をぺんっと軽く叩く。多分本人はごく自然に見えるようさりげなく触れているつもりだったんだろうけど、下心丸わかりだ。

 とはいえ、これをしたのが見知らぬおじさんだったら通報案件だけど、エドウィンにされているから嫌だとは全く思わない。むしろ、やれやれこの人は、って気分だ。


 指摘を受けたエドウィンはいたずらを叱られた子どものように小さく舌を出し、私に叩かれた手をひらひらさせた。


「あー……なんだか触りたいなぁ、って思ってしまいまして」

「いくら夫婦でも、一言も断りを入れずに女の足を撫で回すのはいかがかと思いますが?」

「それはですね、カトレア様のおみ足が本当にきれいで、触りたくなるのがいけないといいますか」

「エドウィン・ケインズ」

「すみません、調子に乗りました」


 私が笑顔で名を呼ぶと、賢いエドウィン君は素直に謝ってきた。心なしか、彼の頭にしゅんとうなだれた三角の耳が、尻にはへたっとなったふわふわの尻尾があるように思われる。

 自分の膝の上に拳を置いて自粛モードに入ったエドウィンの頭を軽くこんっと小突き、そしてすぐにそのさらさらの栗色の髪を撫でた。


「反省しているのなら、よし。……ほら、顔を上げて」

「……怒ってないですか?」

「最初から怒ってはいないわ」

「よかったです!」


 とたん、エドウィンはぱっと顔を輝かせて私を抱きしめてきた。一つに結わえた彼の髪が私の頬をくすぐり、彼の纏う土の香りがふわっと漂う。つい十秒前までは落ち込んでいたというのに、この変わり身の早さよ。


「本当に、あなたは俺を喜ばせる天才ですね!」

「特に、喜ばせたつもりはないけれど……」

「そうですか? でもですね、俺はやっぱり、あなたになら手綱を預けられるなぁ、って思うんです」


 腕の力を少し緩め、エドウィンはニッと笑う。

 戦いのときは「狂犬」、貴人の前では「忠犬」と言われる彼だけれど、私の前では基本的に可愛くて従順なわんこのような彼から「手綱」という言葉が出てくると、妙にしっくりした。


 ……まあ、夜になってお互いスイッチが入ると可愛いわんこじゃ済まなくなるのだけれど、それは今は置いておいて。


 エドウィンの手が私の手首をそっと掴み、持ち上げる。彼は自分の首に私の手のひらを宛わせ、うっとりと目を細めた。


「……俺はあなたをずっとこの腕に抱きしめていたいと思いますが、同時に、あなたになら全部託せると思っているんです」


 彼の手に誘導され、私の手のひらがすり、と彼の喉を撫でる。まるで、そこに掛かっている見えない首輪をなぞるかのように。

 彼を「狂犬」にするか「忠犬」にするか「わんこ」にするかは、私次第ってことか。


「……そんなこと言ってるけど、夜になると私が待てって言っても聞かなくなるんじゃなくて?」

「あー……そうですね、うん。でもまあ、あなたが本気で嫌がることは絶対にしないので。大目に見てくれませんかね?」


 さっきまでは恍惚とした目をしていたくせに、今は遠慮するように私を見つめてくる。

 ……こうやって態度を切り替えて私を揺さぶってくるところは、計画通りってわけじゃなくて天然でやっているのだと信じたい。彼にはいつまでも、素直で明るい純粋な人でいてほしいのが本心だ。


 なんだか悔しくなったので、エドウィンの手をぺいっと引きはがし、私の意志で彼の首筋を縦につうっとなぞる。不意打ち攻撃に、んっ、と彼の鼻から声が漏れ、喉仏が動いた。あっ、今のエドウィン、すごく色っぽかった……。


「……そうね、大目に見てあげるわ」

「あ、ありがとうございますっ」

「……なんだかんだ言って、私もあなたに弱いみたいだから。でも、仕方ないよね。大好きなんだから」


 私が愛した人は、素直で、優しくて、何事にも一生懸命な人。

 そんなエドウィンだから、私は――「カトレア」は、彼と結婚したいと思った。

 共に歩みたいと思った。

 彼と、幸せな家庭を築きたいと思った。


 私は――「加藤れな」は、最初こそ自分の好み正反対のエドウィンに戸惑ったし、彼と結婚するとなって憂鬱になった。でも、知れば知るほど、時が経てば経つほど、彼のことが好きになっていった。


 灰色の双眸が揺れる。その瞳にちらりと炎が宿り、急所である喉をそわそわと撫でていた私の手に大きな手が重なった。


「……そんなに可愛いことを言われたら、俺、あなたに酷いことをしてしまいますよ」

「そうね……あなたになら、酷いことをされてもいい。……そう言ったらどうする?」


 意地悪な言葉を意地悪な言葉で返すと、よりいっそう瞳に炎が燃え上がった。

 いや、それは彼だけじゃない。

 彼の目に映る私も、真剣で、それでいて緊張したような目で彼を見ていた。


 エドウィンはふっと微笑み、私を抱き寄せた。喉に触れていた手は自然と降りて彼の胸に添え、そこがドクドクと激しく脈打っていることを知る。


「……酷いことをする、かもしれません。あなたを泣かせるかもしれません。でも、絶対に大切にします」

「矛盾していない?」

「してません。いかなるときもあなたを大切にすると誓います」

「本当に?」

「本当に」


 私たちは顔を見合わせ、同時に噴き出した。

 こうして彼と一緒に過ごせる時間が愛おしい。

 彼と触れあえること、抱き合えることが嬉しい。


「大好き、エディ」

「俺も大好きです。カトレア様」


 囁き合った直後に重ねられた唇は、それぞれ甘さの違う紅茶の香りがした。














 ここから先はゲームには存在しない、完全オリジナルストーリー。

 でも、私は確かにこの世界で生きている。

 そしてこれからも、巡り会えた最愛の人と共に――生きていく。

本編完結です

お付き合いくださり、ありがとうございました!

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