表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/64

5  「狂犬」エドウィン

 エドウィンが来る前に身仕度を調え、軽食も摂る。そしていざ、続き部屋で待っているというエドウィンに会いに行くことになった。


 ……逃げられないな。


 キティに連れられて続き部屋に行く私の足取りは、むちゃくちゃ重い。履いている可愛い靴もジルベールルートの途中でもらえるアバターだった気がするけど、なかなか足が進まない。


「カトレア様、やはり体調がよろしくないのですか?」


 私がエドウィンに会いたがっていないと悟ったのか、ドアの前でキティがそっと声を掛けてきた。「カトレア様第一」のキティの目は欺けないようだ。


「もし体調がよろしくないのでしたら、エドウィン様にご説明して本日のお出かけは延期にしてもらってはいかがでしょうか?」

「……ええ、そうしてみるわ。ありがとう、キティ」


 キティの心遣いには感謝するけれど、何にしてもエドウィンとの接触は避けられない。

 エドウィンルートはクリア直前まで進めていた。最初は粗野な感じがするエドウィンだけど、一途で前向きで、主人公のことを大切に思う彼の成長を好ましいとは感じていた。喋り方もストーリーが進むごとに落ち着いて、最後の方では「俺、あなたのことが大好きです」って照れたように笑いながら言っていたっけ。


 キティがドアを開ける。私はお腹の前で組んだ手にぎゅっと力を込め、観念して前を向いた。


 ソファに座っていたのは、一人の男性。ちょっと長めの栗色の髪は雑に一つにまとめていて、尻尾の先端が首筋に垂れている。着ているのはエルフリーデ王国騎士団の制服である黒と臙脂の軍服で、腰には護身用の剣を下げている。


 彼が、振り向いた。鋭く細められた灰色の目は、まるで獲物を狙う肉食動物のよう。薄い唇は少し端が曲がっているのがデフォルトで、彼の立ち絵は笑顔系以外、基本的に愛想も態度も悪そうな表情をしている。それも、私が彼をあまり好きじゃない理由の一つだった。


 でも、彼は私を見てふわっと表情を緩ませた。その顔は、攻略対象一人につき十以上ある表情差分顔グラの中では、「照れ」に近いものだった。


「おはようございます、カトレア様。……今朝は目覚めがよろしくなかったのでしょうか」


 遠慮がちに問う声は、思ったよりも声量が控えめだ。それでも声は低く、敬語にしていても体育会系っぽいイントネーションが混じっている。今すぐに拒否反応が出るほどじゃなかったのは幸いだった。

 私はなんとか笑みを浮かべ、お辞儀をした。


「だいぶよくなりました。心配を掛けてごめんなさい、エドウィン」

「俺のことなら気にしないでください! あなたが笑顔でいることが、俺の幸せなんで」


 そう言って彼は立ち上がり、私の方に手を伸ばしてきた。

 大きな手。まだ若いけれど、騎士らしくごつごつとしていることは黒い手袋越しでもよく分かる。


 ……特に好きでもない人の手を取るのは気が引けるけれど、「カトレア」は喜んで彼の手を取っていた。だから私も苦い唾を呑みつつ、彼の手に自分の手を重ねた。


 すると彼はぐいっと私を引き寄せ、もう片方の手で私の腰を抱いてきた。思わず目を見開いて表情を引きつらせてしまったけれど、幸いエドウィンもキティも私の表情の変化を目にすることはなかった。


「本当にあなたって細いですよね……大丈夫ですか? こんなに細くて倒れないか、俺は気が気じゃないんです。ちゃんと食べてます?」

「だ、大丈夫です。それに、太ってしまったらせっかく仕立てたドレスに入らなくなってしまいますもの」


 掠れた声が耳元で囁いてくるものだから、思わずぞくっとしてしまう。甘い痺れ、ではなく、知らない男に抱き寄せられ、耳元で囁かれたことに怯えている証だ。


 しまった、と思ったけれど、エドウィンたちは私が震えたのをいいように解釈してくれたようだ。「こんなに緊張して。ほんっとに可愛い人ですね」とエドウィンは嬉しそうに囁くと、ちゅっ……と私の首筋に吸い付いてきた。


 ……悲鳴を上げなかった私、偉い。


「えっ、エドウィン!?」

「すみません、我慢できなくて、つい。……まだ顔色がよくないようですし、今日のデートは中止にしましょう」

「あ、す、すみません……」

「いいんですよ。あなたの体調が一番ですし。それに……結婚したら、もっともっと一緒にいられるんですからね。これくらいどうってことないです!」


 エドウィンは陽気に笑い、「もう一個だけ」と断った上で、私の反対側の首筋にも吸い付いてきた。

 ……ゲームではそこまで出てこなかったけれど、交際してからの彼はやたら痕を付けたがっていて、嬉しいけどちょっと恥ずかしいって思ってたっけ……。


「それじゃあ、俺はこれで。カトレア様、お体は大事にしてくださいね。俺、あなたの花嫁姿、楽しみにしてますから!」


 最後に一度、とばかりにエドウィンは私をぎゅっと抱きしめた後、去っていった。

 彼がいなくなっても私はその場から動けず、彼の胸板や腕の筋肉の盛り上がりを感じた自分の体に無言でぺたぺたと手を這わせる。


 ……嵐のような一時だった。そしてやっぱり、声がでかかった。

 さっきはいろいろ混乱していてそこまで気にならなかったけど、今になって耳がじんじんしてくる。やっぱり私は、彼の声量が体質的に合わないみたいだ。


 でも……さっき彼も言っていたじゃないか。「結婚したら、もっともっと一緒にいられる」って。

 彼はゲームでも、「俺、我慢します。あなたがいいって言ってくれるまで、いつまでも待ちます!」って台詞があったっけ。彼が「狂犬」と「忠犬」の顔を切り替えるキャラとして、エドウィン推しの皆からの人気を集めていたのも、この健気なほどの一途さが理由だったはずだ。


 抱きしめられて、耳元で囁かれて、キスされるだけでこんなにぞわぞわしているのに。ちょっと声を張り上げられただけで困惑してしまっているのに、私はやっていけるの?

 夫婦になったら――エドウィンが「我慢」しなくなったら、こんなんじゃ済まないのに?


 いくら考えても、答えは出そうになかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ