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32 ふたりの朝①

あまーい

 ゆるゆるとまどろみから目覚める。

 もうちょっと寝ていたくて手探りで掛け布団を掴もうとすると、私の手が布団に触れる前に温かい布地が引き上げられ、すっぽり覆われた。


 ああ、暖かい。

 そうしていると首筋に温かいものが触れ、湿った音と共にほんの少し皮膚が引っ張られる感覚がした。くすぐったくて体をもぞもぞさせると、小さく笑う声が聞こえる。


 目を閉じたまま手を伸ばすと大きな手が私の指を絡め取り、戯れるように指先を軽く弄ばれた。すりすりと指の皮膚をなぞり、指紋を重ね合わせるようにぴったりと指先の肌と肌が重なる。

 ……ん? この感触は?


「……ぉ?」

「おはようございます、カトレア様。朝からあなたの可愛い寝顔を拝見できて、嬉しく思います」


 低くてちょっと掠れた声。

 目を開くとそこには、きつく吊り上がった灰色の目を緩めて私を見つめる人が。私の左手は彼の右手にやんわり掴まれていて、薄い唇が弧を描いている。


「……エディ?」

「はい、あなたのエドウィンです」

「…………あ、そ、そうか!」


 最初はなぜここにエドウィンがいるのか、なぜ寝起きの私をじっと見ているのか分からず黙ってしまったけれど、すぐに昨夜のことを思い出した。


 昨夜、前世の記憶を持っていることを明かした後、私たちはお喋りをしてから一緒に眠ることになった。

 エドウィンは、「なんなら俺、前みたいに別室で寝ますが……」と遠慮してきたので、半ば無理矢理彼をベッドに引き込んだ。最初はもじもじしていた彼も明かりを消すと抵抗をやめ、それまでの躊躇いが嘘のように甘え擦り寄ってきたものだ。本当に、彼はわんこ男子だ。

 布団に潜った後もお喋りをしたり、手を握ったりくすぐり合ったりと軽くじゃれ合った後、どちらからともなく眠りに就いた。そうして朝になり、今に至る。


 エドウィンはいつも一つに結っている髪を枕に垂らしているけれど、一房の髪が彼の頬に垂れて、なんとも言えない色っぽさを醸し出している。そんな彼は左肘で上半身を起こし、まだ布団にすっこんでいたい私の額に軽くキスを落とした。


「まだキティを呼ぶには早い時間なので、カトレア様はこちらで休んでいてください」

「……エディは? もう仕事に行くの?」

「いえ、少し庭で鍛錬して参ります。朝食はあなたと一緒に摂れるようにしますので、しばし御身を離れますことをお許しください」


 そう言って彼は握ったままだった私の左手をくるっとひっくり返し、結婚指輪を嵌めた薬指の付け根にキスをする。私がゆっくり頷くと彼はベッドから降りて背を向け、身仕度を始めた。


 寝間着代わりの柔らかいシャツがするりと落ち、たくましい背中の素肌が露わになって――なんとなく彼の着替え風景を眺めていた私は反射的に顔を背けてしまう。別に、疚しいことをしているわけじゃないし――男の子の上半身裸くらい、見慣れているはずなのに……。


 彼は私が見ていたことに気づいたのか、着替えのシャツを手にした状態で上体を捻って振り返り、毛布に鼻先まですっこむ私を見てにやっと笑った。


「……ひょっとして、俺の体に見惚れてます?」

「も、もう! 朝から何言ってるの!」

「はは、すみません。本当はもうちょっと筋肉を付けたいんですけど、体質の問題もあるのか難しいみたいなんです」

「分かったから、早く上を着て!」

「ふっ……了解です」


 エドウィンはにやにや笑いながらも、ちゃんとシャツを着てくれた。肌色面積が一気に減ったので、ほっと一安心だ。その後、髪紐を銜えて長い髪をまとめる横顔を見ていてまたしても胸がきゅんっとしてしまったけれど、こっちはバレずに済んだ。


 着替えを終えたエドウィンは振り返るとベッドに片手をついて身を屈め、とろりと甘い灰色の目で私を見つめてきた。


「それじゃあ、ひとつ汗を掻いてきます」

「……うん。ご飯、楽しみにしているからね」

「俺もです。……では、もうしばらくお休みください」


 掠れた囁き声で言うと、彼は私の額に散らばっていた前髪を優しく払いのけ、淡く触れるだけのキスを落とした。

 彼が静かに部屋を出ていって、足音が完全に遠のいてから――ぼふん、と私は勢いよく枕に顔を突っ込む


 び、びっくりした!

 緊張した!


 昨夜きちんと話し合ったものの、大丈夫かな、ちゃんとエドウィンと仲よくできるかな……と不安になっていたというのに、朝から甘い! 甘すぎる! 朝からどきどきが止まらない!

 おかしいな……私、これといって年下属性はなかったはずなのに。社畜生活から脱しても、好みの男性は王子様系のままだと思っていたのに。どことなく小学生の頃のいじめっ子に似ているから、エドウィンの口調は苦手どころか怖いとさえ思っていたのに。


 彼に献身的に尽くされ、真っ直ぐな愛情を与えられているうちに、私自身も変わっていったみたいだ。

 あの灰色の目で見つめられると、骨張った大きな手に触れられると、掠れた低い声で囁かれると――きゅうきゅうと胸の奥が苦しくなる。


 エドウィンと結婚して、約半月。

 私自身、自分の変化が驚きだった。

 きっとこれから先ももっともっと、私は変わっていくんだろう。あの天真爛漫な夫によって、私は変えられていく。


 そう思うとなんだかやけに恥ずかしくなってきて、私はずるずると掛け布団の中にすっ込んだ。ほんのり香るのは、私が普段使っている石けんや香水の匂いだけじゃない。

 私以外の人間の匂いもしてきて、それを意識してしまうとなかなか二度寝に洒落込むことができなかった。

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