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21 「狂犬」のお願い②

 その日の朝食の間中、エドウィンはずっとご機嫌だった。

 私たちの間に何が起きたか知らない使用人や料理人、キティたちでさえなんとなく察するくらい、エドウィンの変化は分かりやすい。


 一方の私はエドウィンと会話を挟みつつ食事をしながら、気もそぞろだった。

 キスをするまであとどれくらい猶予があるのか。ちゃんとお見送りできるか。いざというときになって拒否反応を起こしたりしないだろうか。

 そんなことばかり考えていたから、正直料理の味もよく分からなかったし、食事中にエドウィンとどんな話をしたのかもあんまりよく覚えていない。


 虚しくも、食事の時間はあっという間に終わってしまう。時の流れというのは本当に残酷で、焦っているときほど早く感じるというのは本当みたいだ。


「では……行ってくる」


 エドウィンはまず、キティたち使用人にはきりっとした顔で告げた後、私を見てとろんと顔を緩めた。

 それまでの凛々しい騎士の顔から一転、ご褒美をねだるわんこのような眼差しに、ぎくりとしてしまう。


「カトレア様、参りましょう」

「う……あ、はい」


 何だ何だ、と言いたそうなキティたちの視線から逃れ、私はぎくしゃくしつつエドウィンと並んで玄関に向かう。

 騎士団の制服姿のエドウィンは、普通に格好いい。ゲームでのスチルの大半はこの服だから一番しっくり来るし、彼のすんなりとしたみずみずしい体付きをより魅力的に引き立てる最高の勝負服だと思っている。


 彼は玄関で軍帽――少し斜めに被るのが彼の好みらしい――のツバをちょっと押さえ、小首を傾げて私を見つめてきた。


「それじゃあ、カトレア様。今日は夕食までには帰る予定です。カトレア様も公務を頑張ってください。何かあればすぐに、騎士団に連絡を飛ばしてくださいね」

「ええ、分かりました。エディも……気を付けて」

「はい」


 満面の笑みで頷いたエドウィンは私が何も言わずとも身を屈め、私と視線を合わせると目を閉じた。さあどうぞ好きな場所に好きなだけキスしてください、ということだろう。


 ごくり、と呑み込んだ唾は粘っこくてすごく苦い。

 目の前には吊り上がった眦を伏せ、「待て」をしている夫が。ああ、まつげがすごく長いなぁ。

 どこにキスしてくれ、とは指定されなかった。私の方に顔を斜めに向けているから、頬にでも額にでも唇にでもできそうだ。


 ……ここで黙って立っているわけにはいかない。きっとキティたちは物陰から私たちの動向を見守っているだろうし、何より私は既にエドウィンといってらっしゃいのキスの約束をしている。


 ……悩んでも仕方ない。

 私は少し背伸びし、思いきってエドウィンの頬に唇を押し当てた。そう、本当に、押し当てるだけだ。

 エドウィンが私にキスするときはわざとなのか官能的な音を立てるけど、意識しないとリップ音なんて立たない。かといって唇で頬のラインをなぞったり舌で舐めたりなんて芸当はできず、数秒間触れるだけのキスをしてゆっくり顔を離した。


 ど、どうしよう。これでよかったのかな?

 残念そうな顔をされたり、「そこじゃないです」って言われたりしないかな?


 でも目を開けたエドウィンはその時点で既にしまりのない笑みを浮かべていて、体を起こすと口角の吊り上がった口元をさっと手で覆った。


「……あ、ありがとうございます! 初めてのカトレア様からのキス、確かにいただきました!」

「その……ほっぺでよかったかしら? あ、あの、下手くそじゃなかった?」

「まさか! 頬でも十分嬉しいですし、ふわっとして柔らかいし上品だし……言うことなんてありません! 俺のお願いを聞いてくださり、ありがとうございます!」


 そう言うとエドウィンはその場に跪き、所在なくぶらぶらしていた私の左手を取ってそっと手の甲にキスを落とした。

 首や背中にしてくるときとは違って音を立てない、神聖な忠誠のキス。


「……俺の愛するカトレア様。行って参ります」

「……は、はい。お帰りを、待っています」


 私の言葉を聞いて満足そうに眦を緩め、立ち上がったエドウィンはきびすを返した。そしてもう振り返ることはなく、ドアを開けて颯爽と出て行く。間もなく馬のいななきが聞こえてきたから、愛馬に乗って出勤していったんだろう。


 蹄の音が遠のいてから、私はその場にへなへなと座り込んでしまった。スカートの裾が汚れてしまうけれど、今はこの火照った体に床の冷たさがちょうどいい。


「……ちゃんと、できた……?」


 呟き、そっと唇に手のひらを宛う。

 唇で触れたエドウィンの頬は、思ったよりすべすべしていた。でも私のそれよりずっと硬くて骨張っていて――男の人なんだと実感させられた。


 唇に当てていた手のひらを、そっと下に滑らせる。

 ドレス越しに触れた胸元は、わざわざ手を宛わなくてもはっきり分かるくらい激しく脈打っていた。


 私、こんなんでこれから先、やっていけるんだろうか……?

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