18 とんでもない贈り物②
仕度を終えて――例の瓶はキティに預け、エドウィンの待つ居間に向かう。
この世界の王侯貴族は昼食や夕食は広間で食べるけれど、朝食は自室まで運んでもらって夫婦だけ、きょうだいだけなどで食べることが多い。
寝室と繋がっている居間では既に、エドウィンが待っていた。今朝の郵便で届いた手紙を確認していたらしいエドウィンは私を見るとすぐに手紙を片づけ、椅子を引いてくれた。
「今日は落ち着いた色のドレスなんですね」
「ええ。独身時代のドレスはもう着られないから、これを機にいろいろ買って試してみようということになったのです」
エドウィンが指摘した本日の衣装は、肩と鎖骨のきわどいラインまで肌を見せるものの胸元や二の腕などはしっかり覆っている、全体的に落ち着いたデザインのブルーグレイのドレスだった。
結婚前にクローゼットを見てみた私は、愕然とした。というのも、クローゼットには前世に見覚えのある――つまり「シークレット・プリンセス」のアバターがいくつもあったからだ。
あ、これはあのイベントの上位ランキング特典、これはアルジャーノンルートの途中のミッションで手に入れたもの、こっちはガチャを回して出てきたアバター――と、見ていてなんとも言えない思いになった。ゲームと違って「カトレア」はこれらを普通に購入したんだけど、こういうところでもゲームと現実がリンクしているんだな、と遠い眼差しになったものだ。
けれど、それらは全て独身女性のためのデザインとなっている。結婚してからはあまりにフリフリなものや派手すぎるものはおさらばし、キティやサイネリアのアドバイスももらって既婚女性としてふさわしいドレスを購入した。
ちなみに普通、既婚女性の服飾は全て夫が揃えるものだ。でもエドウィンは平民上がりの騎士で、特例中の特例として私の婿になった。一般市民よりは蓄えのある彼だけど、王侯貴族と比べればしれたもの。
この辺も結婚前にエドウィンや女王陛下と相談しているのだけれど、私やエドウィンの衣服は税金から、エドウィンの仕事関連は貯蓄から出すことになっていた。私は爵位こそもらっていないけれど王太子の補佐という特殊な立場だから夫婦で税金を使ってもいい身分なのに、彼は「カトレア様と違い俺は平民出身なので、極力自分の給金から出します」と最後まで主張した。
だから、私が彼から贈られたものの数は少ない。結婚指輪と、ドレスが一着と、可愛い靴一組くらいだ。
それをエドウィンも思ったのか、私が席に着くと彼はぎゅっと眉根を寄せた。
「……カトレア様。俺、もっと昇格してもっと稼ぎます。そのときにはあなたにぴったりのドレスを贈りますから!」
「エドウィン……ありがとう。その気持ちがとても嬉しいです」
熱を込めて語られたので、私は笑顔で頷いた。
「カトレア」は平民出身だし、「れな」は社畜OL。どちらもブランドなどには関心のない日々を送ってきたので、豪奢なドレスがほしいとか流行最先端のバッグがほしいとか、そこまでのことは思わない。
「カトレア」は、一生懸命で気さくなエドウィンに恋をした。彼と一緒にいられるなら、高価な宝石もドレスも必要ない。お互いの身の丈にあった生活が送られたらそれでいいとさえ思っていた。
彼がくれた結婚指輪は王族の姫がもらうにしては子ども騙しのおもちゃのようなものらしいけれど、「カトレア」にとってはかけがえのない宝物なんだ。この辺、もしジルベールルートだったりしたら事情が全然違っただろうな。
「でも、前から言っているように私はそこまで衣服に頓着しません。もちろん、女王陛下やサイネリア様に会いに行くときには相応の衣装が必要ですが、高価な宝飾品よりあなたにもらったこの指輪の方が、ずっと価値があるのですよ」
ほら、と左手薬指に嵌ったシンプルな銀の指輪を見せると、エドウィンは目を丸くする。そして彼は私たちの会話の傍ら朝食の準備を進める使用人たちを見、私を見、んんっと喉を鳴らした。
「……その、カトレア様。今、ものすごくあなたを抱きしめたいのですが……いいですか?」
「えっ? ……え、ええ。もちろんです」
「ありがとうございます。失礼します」
彼は丁寧に礼を言うと体をこちらに向け、椅子に座っていた私の体をひょいっと抱えて両足を広げ、その間に私の尻をすぽっと嵌める形で横抱きにした。そのまま彼は私に半ば覆い被さるようにぎゅっと抱きつき、首筋に顔を埋めてくる。普段は一つに結っている髪を今は下ろしていて、ちょっと硬質な栗色の髪が私の胸元や顎をくすぐっていた。
今の私にとって、エドウィンは「嫌悪するほどではないけれど、愛しているとは言えない相手」だ。「カトレア」だったら彼を抱きしめ返すことができたんだろうけど、「れな」の意識を強く持つ今の私には、彼の愛に応えるのは難しい。
難しいけれど――どきどきしつつ、そっと彼の背中に手を回した。シャツとベスト越しに筋肉の盛り上がりが感じられ、思わずぴくっと指を震わせてしまった。
「れな」だった頃はこうやって男の人を抱きしめたことも抱きしめられたこともなかったから、男性の体のごつさを直に感じ、妙に緊張してしまう。
エドウィンは私の異変には気づかないようで、さっきから私の喉や肩辺りにぐりぐりと額をこすりつけたり深呼吸したりしている。
なんか……様子が変?
「どうしましたか、エドウィン?」
「……。……あー、いえ。何というのでしょうか……あなたのこの辺から、すごくいい匂いがするんです」
そう言いながらエドウィンは顔を傾け、私の体のあちこちの匂いを嗅ぎ始めた。
匂いって……あっ、まさか――さっきの、媚薬? シャイな旦那様がなんたらかんたらっていう!? ちょっとだけ蓋を開けたから!?
「き、気のせいじゃないですか!?」
「そうでしょうか? 甘くて、すっごくいい匂いがするんですが……」
「今日はいつもと違う香水を使ったからかも!?」
まさか、「サイネリアからもらった媚薬の匂いです」なんて言えない! 言ったらエドウィンを困らせるだけだと分かっているし!
それにしても、蓋を開けたのはほんの数秒で中身を掬ったわけでもないのに、ここまで匂っていたとは……エドウィンは「甘くていい匂い」で済ませてくれていたけれど、取説を見る前に不用心に中身を体に付けていれば、とんでもないことになっていたかも。
エドウィンは「香水でしたか」と納得してくれたようで、最後にもう一度ぎゅっと私の体を抱きしめると椅子に戻してくれた。ちょうど朝食の準備も整ったようなので、だいぶどきどきも収まった私は朝食を摂ることにした。
「カトレア」が「れな」の記憶を取り戻してから、食べ物の好みも変わった。「カトレア」は辛いものや苦いものが嫌いだったけど、今では平気になった。逆に甘すぎるお菓子とか脂っこいものは胃もたれがしそうになるし、この世界の香料やハーブ類は匂いがきついものが多く、そういったのは「最近ちょっと嗜好が変わって……」とやんわり伝えて省いてもらっていた。
ちなみに「れな」はお酒に関してワクだったけど、「カトレア」は苦手――というか体質的にほとんど飲めなかったようだ。飲めないくらいなら死を選ぶ、ってほどの辛党じゃないけど、お酒が飲めないのはちょっと寂しかった。エドウィンは結構飲める方みたいだけど、私はジュースでかなりアルコールを薄めている食前酒だけで我慢だ。
目の前のエドウィンは、テーブルマナー通りの作法で食器を扱っている。ナイフを扱う指先まで神経が行き届いていて、食器同士のぶつかる音一つ立てない、完璧な仕草だ。テーブルマナーも女王陛下からの試練にあったようで、それまでは騎士団の皆と同じく半ば手づかみ状態で豪快に食べていた彼は相当苦労していた。
行儀良く食事を進めるエドウィンを見ていて、ふと純粋な疑問が浮かび上がった。
彼は、この生活を息苦しく感じていないのだろうか。
エドウィンは「カトレア姫と結婚する」という願いを胸にテーブルマナーを身につけ、教養をたたき込まれ、言葉遣いも矯正した。それほどまで「カトレア」が彼に愛されたという証ではあるのだけれど、それがこの先五年、十年、二十年続けられるのだろうか。
私も彼も平民出身だけど、私は母から基礎教養は教わっていたし、「れな」のときから礼法などは身につけていた。それに対しエドウィンは約十六年間庶民として生き、この数年ほどでそれらを覆す教育を受けてきた。
本当は、豪快に食事をしたいんじゃないのか。
本当は、偉い人にへこへこしたり舌の絡まりそうな言葉遣いをしたりするんじゃなくて、自分の思うままに振る舞いたいんじゃないか。
彼の行動理念はおしなべて、「カトレアのため」だ。でも彼が愛情を捧げる対象である私は前世の記憶を取り戻していて、ジルベール様に萌えている状態。
もし私が彼を愛していないとばれたら。
「カトレアのため」という前提が崩れたら。
彼はどうなってしまうのか。
「……カトレア様?」
エドウィンに声を掛けられた私はやっと自分が、丸めたベーコンをフォークに刺したまま行動停止していることに気づいた。エドウィンは既に料理の半分以上食べているというのに私は考えにふけっていたからか、ほとんど手を付けられていない。
「どうかしましたか? 少し険しい顔をなさっていましたが……」
「……いえ、なんでもありません。今日の公務の予定などを考えておりまして」
エドウィンに心配そうに見つめられたから、笑顔を返す。ちゃんと笑えただろうか。
純粋に私を慕い、想い、気遣ってくれる彼を裏切ってはならない。悪いのは早とちりで「おしきゃら」を間違えたあのペンギンであり、ペンギンにちゃんと私の推しを確認しなかった私である。この世界で生き、恋をし、努力をもってその恋を叶えたエドウィンに罪はない。
彼を裏切らないためには、ジルベール様への未練の情を捨てなければならない。
……そう決意したけれど、私は自分が思っているほど柔軟な人間でも、意志の強い人間でもないということを、これから先の日々で実感することになるのだった。




