91 学園ダンジョン⑨
もう開き直った。
三十七層を、それこそ湯水のようにアイテムを消費したら、もはや三十六層とは何だったのかと問いたいぐらいに、楽に抜けてしまった。
いや、実際の所、苦労したはずなのだ。それは時間が教えてくれる。
でもなんだか苦労を苦労と感じない、不思議なトランス状態みたいになってて、意味不明に思考が冴え渡っていた。
三十七層を抜けて、三十八層からは本当に楽だった。ハルピュイアの出現率が大幅に下がり、代わりに鈍足の牛さんが出現数を増やした。しかし鈍足なんて逃げてくださいと言っているようなものだ。
また希にしか出ないハルピュイアが牛を呼び出すのも追い風だった。
鈍足呼び出してどうするんだ。俺はその隙にお前だけをなんとかして牛を放置するだけだ。
そうして四十層に到着したのは昼頃だった。このフロアに、ハルピュイアに、慣れたのが良かったのだろう。また鈍足が増えたことも良かったのだろう。苦戦はほぼ無かった。
ただし、音の陣刻魔石は空っぽだ。
でも音の陣刻魔石はもう使わない。
四十層ボス前の魔法陣でゆっくり昼食を食べた。なぜか魔石コンロの調子が悪かったから、火の陣刻魔石(下級)を使って、落ちていた木々を無理矢理燃やした。それで温かいスープを飲み、温かいコーヒーも入れた。
火をつけるのに陣刻魔石とか、今までやったことすら無かった。火の勢いが強すぎて集めた火口や木がバラバラになった時には、最初焦った。でも吹き飛んでほとんど何も残っていないその惨状を見て思わず笑ってしまった。
気分は最高だった。
さて、残すフロアはあと一つだ。
昼食を食べたら何をするか。横になって休憩だ。最高の体調でボスに挑もう。
四十層は一般生徒が相手にする本来の四十層ボスでは無く、初回ソロ限定の隠しボスが出現するのだから。
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そこはヨーロッパに遺跡としてありそうな闘技場だった。剣闘士が戦っていそうな楕円系のフィールドに、それを囲むような観客席。
石作りの椅子には誰も座っておらず、この場に立つのは俺だけだった。
そこへ自分の反対側のフィールドに一筋の光が射し込む。その光の先を見ると、そこには一つの人影があった。
ゆっくりと、男性が空から降りてくる。その男性の背中には灰色の羽が生えていて、それを羽ばたかせること無く、地上へ降り立った。また彼は古代ローマで着ていそうな鎧を身につけ、刃渡り一メートルほどの剣を紐で腰にまきつけていた。そして腕には金属でできた円形の盾を持っている。
背中の羽をたたむと、彼はこちらを見た。その羽はまるで白鳥の羽を大きくしたような形だった。
その姿は絵画に描かれる天使と酷似している。
しかし俺は知っている。彼は天使ではない。
「こんにちは、イカロス」
もちろんであろうが、彼は何も言わなかった。彫りの深いイケメン顔をぴくりとも動かさず、こちらをじっと見ていた。俺が太刀に手を触れ、ストールに込める魔力を強める。そして彼に向って歩き出すと、ようやく彼は剣を抜いた。
左右に体を振りフェイントをかけながら、俺はイカロスの体に向かって第三の手で殴りかかる。
かなりの力で殴りつけたつもりだったが、イカロスは腰を落とし、盾を動かすだけでそれを受けきった。その場から微動だにしない。
そしてお返しとばかりに振られたその剣を、第四の手で受けようと自分の前に出す。そして弾いている隙に抜刀しようか、なんて思った。しかし。
「体が浮き上がるとは思わないって……」
もっと意識して受けないとダメだろう。彼の一撃の重さはクラムボン以上だ。すぐに攻撃する考えを捨て、回避に専念する。イカロスは続けざまに第二第三の攻撃を行ってくる。時には剣、時には盾、時には足を。
またイカロスの速さはハルピュイア以上だった。今までのモンスターと比べたら、全能力がずば抜けて高い。
しかし、それもそのはずだ。イカロスは四十層に出ていいボスでは無い。ゲーム二周目で強化されたキャラクターが相手にする、『深層クラス』のモンスターだ。
もし五十層あたりで苦戦するようなパーティが彼に挑んだら、まず負けてしまうだろう。俺だって何の用意も無く来ていれば、負けは確実だ。むしろ用意をしていたとしても、負けるかもしれない。
イカロスはゆっくり浮きあがり空へ飛ぶと、切っ先をこちらに向ける。その剣は日差しを反射してキラリと輝いていた。
なんだか嫌な予感がするな、なんて思ったのもつかの間だった。
俺に剣を向けたままイカロスは降下し始める。そしてぐんぐんと加速していく。
不意に、ハヤブサの降下速度が、新幹線より速い事を思い出した。そして同時に背筋に冷たいものが走る。
絶対受けちゃダメだと、体中が言っていた。すぐさま走り出し、足と第三の手と第四の手の全てを使って全力で回避行動を行う。
あれはミサイルか?
直撃したら吹き飛びそうだし、運悪ければバラバラになりそうだ。
こんなん一度でも受けたら負ける。しかし対策はしっかりと用意している。
「これを集めるために、いったいどれだけのノッカーを倒したことか」
もう一度飛び上がり、降下攻撃を行うも全力で回避する。イカロスは通じないと思ったのか低空飛行でこちらに近づいてきた。
俺はこちらに接近してきたイカロスの横薙ぎをわざと受ける。そして彼の力を利用し、横っ飛びすると、彼の羽に向って火の陣刻魔石(中級)を発動させた。
「――――――」
イカロスの弱点は火である。ゲーム制作者がギリシャ神話からネタを持ってきたのであろう。ロウでできた翼で空を飛ぶも、太陽に近づきすぎて羽が溶けてしまう話はあまりにも有名だ。
ホント、コイツにこの弱点が有って良かった。無かったら、俺は初回ソロ四十層を諦めていたかもしれない。
羽を溶かし、声にならない叫び声を上げながら、地べたを転がる。そして鋭い視線をこちらに向けたのを見て、俺は追加でもう一発お見舞してやった。
俺はすぐに追撃しようと思ったが、彼は転がりながらその場から離脱してしまった。
天使のようなイカロスは見る影もなくなっていた。
あの立派な羽は溶けて無くなり、羽が付いていたあろう背中には二筋の白い線が走っていた。また炎に身を焼かれ体が赤黒くなり、非常に痛々しそうだった。
しかし彼はくじけていない。立ち上がり、剣をこちらに向け、俺を見据えていた。
彼は自分の足で地面を蹴ると、俺に向って剣を振るう。羽がないせいか、火傷のせいか、威力は少し弱くなった。しかし攻撃が通じないとみるや、すぐさま太刀筋を変え、時には盾で俺を押し何とか隙を作ろうと、四方八方から攻撃をして来る。
大きなダメージを負ってしまったというのに、果敢に立ち向かう彼を見て、ふと思った。
なんて強いのだろう。
彼は本当に凄い。翼を無くし体を焼かれ、打ちひしがれてもおかしくないのに、それでもなお立ち上がる。そして創意工夫された攻撃で翼が有ったとき以上に攻めてくる。
そんな彼を見て思う。
俺の強さの源って何だろうか。
瀧音幸助の持っていた莫大な魔力? 俺の知識で得た力? 俺の努力で得た力?
多分それらも含まれているだろう。
しかし本当にそれだけか? それだけで、ここ四十層まで攻略出来ただろうか?
絶対にできなかっただろうと、断言出来る。
途中で倒れていたであろう。くじけていたであろう。クラムボンにも勝てなかったかもしれない。ハルピュイア達に囲まれて倒れていたかもしれない。
俺が力を得たのは、どう考えても皆のおかげだ。
クラリスさんが毎日のように稽古をつけてくれなかったら、先輩が親身になって技術を伝授してくれなかったら、リュディが俺の特訓の手伝いをしてくれなかったら、姉さんが毬乃さんが場所やら道具やら知識やらで協力してくれなかったら、道中のどこかで、必ず躓いていただろう。
不思議な感覚だった。なぜかこんなにも戦闘の事以外を考えているのに、イカロスの攻撃はしっかり全部よけていた。むしろ奇襲の準備すらできていた。
集中すればするほど、イカロスの体がスローモーションになっているような……。
それから、何合打ち合っただろうか?
イカロスと戦闘していて、ふと先輩との訓練を思い出した。俺の修行に先輩は根気よく手伝ってくれた。その後汗だくの俺を見たななみが「タオルですか? お風呂ですか? それともわ・た・し?」だなんて言っていたな。あの時『わたし』を選んでいたらどうなっていたのだろうか。
風呂に入ったあとは、なぜかリュディが慣れない手つきでマッサージしてくれた。なぜかやる気満々で。ただ、ななみや先輩に比べればあんまり上手くない。しかも終わったらカップラーメンを請求されるんだけど、やりきったドヤ顔を見るとなんだか元気が出た。またして貰いたいな。
今日はカップラーメンでも買って帰ろうか。
攻撃を防ぎながら、ははっ、と小さく笑う。なぜか分からないけれど、負ける気がしなかった。
イカロスは埒があかないと思ったのだろうか。さっきよりさらに踏み込んで、より速く、しかし荒く剣を横薙ぎする。しかしその太刀筋はしっかり見えていた。第三の手でそれを受けて、体のバランスを崩すふりをする。
イカロスはそれを好機と思ったのだろう。たたみかけようと俺に向ってシールドで殴りかかってくる。しかしその行動は第四の手で防いだ。
今の俺は隙だらけと見たのだろう。彼は剣を大きく振り上げていた。日の光で反射するその剣が振り下ろされるのに合わせて、太刀を抜いた。
俺達の横にカシャンと何かが落ちる音がする。それはイカロスの剣だった。
そして驚愕の表情を浮かべているイカロスに向かって、最後の火の陣刻魔石(中級)を使った。
体中を燃やし、うめき声を上げる彼に、抜刀する。
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彼の体が握り拳サイズの魔石に変わると同時に、闘技場の中心に煌びやかな装飾が施された宝箱が出現した。
その箱を開けると、中に入っていたのは金色に光る小さな種だった。俺はそのいくつかの種を手に取り、握りしめる。
ついに手に入れた。サブキャラクターが最強になるために絶対必要なアイテム。
成長限界解除アイテム『可能性の種』。
これを飲み込むことでゲームでは全ての能力の上限値が取り払われ、自由にステータスを上げることが出来るようになる。周回プレイヤーがレベルを下げるアイテムなどと共に使用し、己を限界まで育てるためのアイテム。それだけではない、俺含む一部キャラクターは、装備可能な武器が増える効果もあったりする。
これは伊織や、開発者お気に入りのヒロイン達には、なくても良い物だ。元々可能性の塊である伊織や三強なんかは、こんなものなくても化け物級の強さを保持できるんだから。
しかし俺にはどうしても必要だった。可能性の種は文字通り可能性の種である。
これからいろんな武器を試してみるのも有りかもしれない。何かしらで遠距離攻撃をするなら、この時点で特訓するのが一番良いのではないかと思っていた。
しかし同時にこのままで良いかもしれないとも思う。接近という自分に一番合っているのを磨き続け、防御の強化なんかをしてもいいかもしれない。泥仕合になったとしても魔力量の勝負に持ち込めば、負けることは無いだろうから。
それにダンジョンは今後一人で行かなくてもいいのだ。
「やばい。なんだろ……『可能性の種』とかどうでもよく感じてきた」
確かに可能性の種を入手出来たことは嬉しい。いや嬉しいには嬉しいんだ。
だけど俺はそれ以上の感情が、心の中で暴れている。
会いたい。
早くここから出て、彼女達に会いたい。そして伝えたい。
彼女達には突拍子もないなんて思われるかもしれない。急に何を言い出したんだ? なんて思われるかもしれない。
でも、会って伝えたかった。
俺は『可能性の種』をすべて鞄にしまい、転移魔法陣で外に出た。





