聖女生誕の町
翌朝、陽の光に照らされた雪の白さが眩しく目に突き刺さった。
まだ眠い意識を叩き起こすような光景に、アグルエは「わー!」と感嘆とした声を上げている。
洞穴の外、周囲には人ならざるモノの巨大な足跡が確認できた。
足跡の大きさだけで1メートルはゆうに超えているだろう。
昨夜訪れたモノの大きさがそれだけで想像できる。
「出発しよう」
荷物をまとめたディムルの一言を合図にして、三人は洞穴を後にした。
そうして旅立って、険しい山を登って、時たま下って。
山から山へと移っていくようにして歩き進むこと半日。
気がつけば三人は歩きやすい整った山道へと差し掛かった。
「もうちょっとだ」
そうディムルの言った通り、そこから数十分歩いたところで町へと到着した。
辺りに積もる雪の高さは膝丈ほど。
高く積まれた石の壁には『ベルスター』と名が刻まれている。
晴れ渡った空の下、石で作られた町の入口アーチが三人を出迎える。
積雪の町ベルスター、と呼ぶらしい。
普段は旅人も近づかない場所のため勇者協会も存在しない町。
そのためエリンスはその名すら聞いたことがなかった。
人口は数百人、山間に立つ町としては多い部類だろう。
町の広場には雪遊びをする子供の姿も見え、井戸端会議をする人らの姿もあった。
前に地図にない村を訪れた際には、人がいないことに驚いたものだが、ベルスターはそれなりの賑わいを見せている。
知り合いの傭兵たちが滞在しているらしく道具屋へと向かったディムルと別れ、エリンスとアグルエは広場に取り残された。
それほど広い町ではないため、はぐれることも迷うこともなさそうだ。
「世界にはこんなところもあるんだな」
エリンスは感心してしまった。
今やどの町や村にも存在する勇者協会。
すなわち、それが発展の証なのだ。
協会が存在することが当たり前となってしまっているエリンスには、にわかに信じられないことだった。
アグルエも広場を見渡して、そうしてから広場中央に建てられていた大きな柱へと近づいていく。
「これ……」
呟くアグルエについていき、エリンスも同じように柱を見上げた。
柱に刻まれている絵は見覚えのある壁画を思い出させる。
額に四角いダイヤ型の印を持つ獣たち。
そして大きな翼を広げる――竜の姿。
「なんじゃ? 珍しく旅人が寄ったかと思えば、魔竜様に興味があるのか?」
二人に近づいてきたのは、杖を突く白髪交じりの優しそうな表情をしたおばあさんだった。
「え? えぇ」
突然話し掛けられて戸惑ったようなアグルエだったが、おばあさんにつられて優しい表情をしたままに頷いた。
「魔竜様はわたしたちを守ってくれるのよ」
にこやかに笑ってそういうおばあさん。
勇者候補生も寄らぬ土地、旅人も物珍しいのだろう。
だからおばあさんも声を掛けてきたのだと思い、エリンスは質問をした。
「麓でも最近は姿を見せてくれるって聞きました。襲われたりはしないんですか?」
「たしかに最近はよくお姿を見せてくださるけど、襲われるなんてとんでもない」
おばあさんはやや大げさに手を振って言葉を続ける。
「ただ、昔と変わって……ずっと大声を上げていらっしゃるのよね」
おばあさんもそこは気になるといった調子で話をしてくれた。
魔物の王というが、どうも崇められているような雰囲気だ。
「何か、魔竜様についての言い伝えとかってないんですか?」
アグルエが質問を重ねる。
「言い伝え? そういった話に興味があるのかしら」
おばあさんは嬉しそうにこたえてくれた。
アグルエは笑顔で「はい」と頷く。
「と言われてもねぇ……もう、この山に住むようになったのは200年前って聞くくらいで、『聖域』を守ってくださるってことしかわからないのよねぇ」
200年前――ここでも出てくるその時代に、エリンスは何かを感じざるを得ない。
「勇者同盟の聖女様が魔竜様と心を通わせて、つき従えたってことが有名かしら」
「聖女様っていうと、ランシャ・スターンス?」
エリンスが聞き返したところでおばあさんは楽しそうに話を続けてくれた。
「そうそう、ランシャ様はこの村の出身でね――」
ランシャ・スターンス。
かつて勇者と共に魔王と対峙したと言われる『聖女』。
聡明で博識な彼女は数多の魔法を操り、勇者とその仲間を支えて魔王と戦った――と記されている。
だが、エリンスが知っているのはそれだけだ。
魔竜と心を通わせた、などと聞いたことがない。
ましてやランシャの出身地など記録に残っていないだろう。
そもそも勇者と魔王が戦っていないのだから、記された伝承は作り話であるはずだ。
「ありがとうございました」
やや早口でランシャのことを語り出したおばあさんに礼を告げて、エリンスとアグルエは広場を離れた。
「ランシャ様って、デイン・カイラスと同じような?」
人目から離れたところでアグルエがエリンスへと聞いた。
「あぁ、その勇者同盟だ」
港町ルスプンテルを立ち上げた勇者の仲間、デイン・カイラス。
そして同じく、名を連ねた聖女、ランシャ・スターンス。
出自や魔竜のことなどエリンスが知らなかったということは、それらの話がこの町から外に出ない理由があるということだ。
――勇者協会が噛んでいる予感がする。
漠然とした不安を抱えて、エリンスとアグルエはディムルと待ち合わせをしている宿屋へと向かった。
◇◇◇
その日はベルスターの宿にて一泊することとなった。
二部屋借りた一行はディムルの取り決めで、男女それぞれで部屋に分かれる。
「健全、健全!」
と言い張るディムルは何故だか嬉しそうで、エリンスは一人ぼっち、宿屋の一室に身を置いた。
「はぁ……」
いつもそばにいるはずのアグルエがいないだけで、どうにも不安になってしまうエリンス。
「なんじゃ、寂しそうじゃのう」
気づけば腰掛けたベッドの上には、楽しそうに尻尾を揺らすツキノがいた。
「別に、やましいことなんかないのにな」
ツキノの尻尾を指先でつつきながらエリンスが言う。
「くふふ、あやつはアグルエに興味津々だったからのう」
ディムルのことだろう。
「それはそれで、心配になるような言い草だな」
別に一晩部屋を共にしたところでアグルエの正体がばれるとも思えないが。
「たまにはよかろう? 昔を懐かしんで二人きりというのも」
嬉しそうにベッドの上で跳ねたツキノはエリンスの頭の上へと飛び乗った。
不思議なことにそうしてツキノが乗っていても重量感はない。
いつもはアグルエの肩の上にいるツキノだ――と、どうしてもエリンスはアグルエのことを考えてしまった。
「まあ、悪くはないけどさ……」
そう言いながら手を広げたエリンスはベッドへと寝転がって、ツキノはその拍子にもう一度飛び跳ねてエリンスの腹の上へと着地した。
何やらツキノは楽しそうに笑っている。
「くふふふふ」
ゆさゆさと揺れる尻尾に目がつられ、耳に時より聞こえたちりーん、という音を合図にして、エリンスはこの二日間歩き続けた疲労感を思い出した。
ツキノが楽しそうに笑う理由を考えて、気づけば眠りに落ちていた。




