巡る世界
空を覆う黒雲と黒紫色の不吉な気配。
ここら辺り一年中暗い空には、昼夜という概念が存在しないようだった。
マリーの作ってくれたスープをいただいて話も落ち着いたところで、エリンスとアグルエは赤の軌跡を抜け出して、その裏手にある崖へと向かった。
異様な空気のせいだろう。
妙な胸騒ぎがし続けるものの、確認しておきたいことがあった。
植物が育つことのなくなった大地は暗い色に染まり果てる。
地平の先に続く海までをも見渡せる高台から見える景色は、ただ絶望という名の闇だけが広がるようなイメージだ。
かつて街道であったものを辿ってその先を目で追えば、今なお巨大な街であったことを思わせる面影が残った『亡都』と呼ばれる廃墟が広がっている。
一時代を築いた国の成れの果ては、今や不死者が蔓延る魔物の国。
魔導技術国家。
古代魔導技術発祥の地。
200年前に魔王との戦いで滅びたと言われる国。
先ほどマリーから聞いた話を考えれば、その言い伝えは正しかったということだ。
「これが、『人の罪』」
エリンスは先日の騒動の際、対峙した操影の魔王候補生ルミラータの語った言葉を思い返した。
「忌々しい力って言っていた」
同じことを思い返したのだろう、広がる暗い大地を共に見つめたアグルエが頷いて言う。
やつらは――200年前の事実を知っていた。
「勇者の贖罪って、人の罪を被ったってことだよな……」
「うん、そういう意味だったんだわ」
星刻の谷と呼ばれた場所で見た石碑に刻まれた文言。
聞いた話の壮大さに想像もつかなくなる話ではあるのだが、今まで見て知ってきたことを合わせて考えれば、目の前に広がることこそが現実だと理解できてしまう。
二人はすべての話をマリーから聞けたわけではない。
マリーにもツキノにも『話せないこと』がある雰囲気は常々あった。
エリンスは目を閉じて、マリーに言われた言葉を思い返す。
『だからそのこたえは、あなたたちが見つけなさい』――か。
「古代魔導技術が、世界まで崩壊させるなんて……」
亡都を見つめたアグルエが不安そうな表情をしたまま、片手で胸を押さえて呟いた。
生命と魔素を変換する技術。
一体、かつての人類は何を目指したのだろう。
――まだ見えてこないことも多い。
マリーに聞いたところで、巡廻地と呼ばれるものが存在する理由はわからなかった。
勇者の名前についても、『わからない、覚えていない』と返されて、どうも知らないようだった。
「けど、ここまで旅をしてきたこと、無駄じゃなかった」
アグルエが呟く。
「ちゃんと俺らは前へ進んでいるさ」
エリンスの言葉にアグルエはパッと顔を輝かせ、「うん!」と頷いた。
エリンスはなんだか照れくさくなってしまい、ただ暗いだけの空を見上げた。
「……『勇者と魔王の約束』かぁ」
呟いた言葉はこたえを求めたわけではない。
「『ナガレヲタダセ』って聞いたあの言葉にも、きっと意味があるよ」
星刻の谷、巡廻地で聞いた声。
それについてはウィンダンハにヒントをもらって、次の目的地は決まっている。
「立ち止まるわけにはいかないよな。軌跡も二つ辿ったんだ」
リィナーサの手が空いていない今、本来は立ち入れないはずの場所だった。
マリーのおかげでエリンスは赤の軌跡を突破できた。
反則をしてしまったようなところがあって、他の候補生に対して後ろめたさは感じていたが。
「うん、それにお父様が『勇者を探せ』って言った理由、少しわかったかもしれない」
アグルエにそう言われて、エリンスは勇者と魔王が手を取り合った石碑の絵を思い浮かべる。
「やっぱり、そのアグルエの旅の目的って、魔王の言葉だったんだな……」
エリンスがなんとなしに呟いた言葉へ、アグルエは目を伏せながら返事をした。
「気づいたの?」
「なんとなく、あの戦いで魔王の娘って聞いたときから」
「……ごめんね、言い出せなくて」
そこでエリンスはアグルエが表情を曇らせた理由を察した。
「あぁ、いや、いいんだ。責めるつもりなんてない」
エリンスは慌ててアグルエの横顔へと訴えかける。
アグルエは目を合わせないまま下を向いて――そして、決心を固めたように星も見えない空を見上げた。
エリンスも自ずとその目を追って、一緒に空を見上げる。
「お父様のことを話したら、わたしの決意をエリンスにも背負わせることになる気がしてね、言い出せなかった」
胸に溜めた想いを吐き出すようなアグルエの言葉に、エリンスはすぐに返事ができない。
アグルエが話せなかった理由はそのようなことだろうとわかっていた。
だから素直に吐き出してくれた言葉が何よりも嬉しくて――頼られたような気がして――エリンスは胸から溢れ出しそうな気持ちを抑え込んで、飲み込んでから返事をする。
「アグルエのことだから、そう考えたんだと思ったよ」
「エリンス……」
横顔に熱い視線を感じて、それが余計に照れくさくて、エリンスは空を見つめたまま言葉を続けた。
「その決意も背負えるほどに俺は強くなるよ。あの星に願ったことは、本心だから」
星も見えない空だったが、その上に広がる夜空を思い描いて。
「それに忘れちゃいけない。世界はまだ救われてなんかいないんだ」
エリンスがそう言って思い返したのは、ダーナレクら魔王候補生の影に、ファーラスでアグルエが出会ったという幻英のことだった。
――世界に隠されたことはまだまだあるはずで、アグルエのことを狙い、人界に脅威をもたらす魔王候補生に、何やら暗躍する者もいる。『真の救済』をするためには、それらをすべて知らなければいけない。
エリンスは決意を固めるよう腰に携えた剣の柄に触れてから、胸の前で拳を握った。
「……うん!」
一言返事をしてくれたアグルエの言葉に含まれた潤いを感じて――だが、エリンスはその顔を敢えて見ずに空を見上げたまま言葉を続ける。
「それに、父さんは会ったら一発ぶん殴る!」
握った拳を真っすぐ突き出して言った。
「……ぷ、あはは! なんで?」
アグルエはこらえきれないといったように笑ってからそう聞いた。
「母さんを放っておくからかな……」
口にはしないが、そこには自分も含まれている。
全てを知っておきながら、ただ背中を見せるだけ。家にも帰ってこない。
何も言ってくれなかったことが腹立たしい。
だが、理由なんてなんでもよかった。
横にいるアグルエが笑ってくれたのならば――。
◇◇◇
楽しそうに話を続けるエリンスとアグルエのことを、枯れ木の木陰からのぞき見る一人と一匹の影があった。
修道服を纏ったマリーの腕の中、丸まったツキノが「くふふ」と笑いながら呟く。
「親の心、子知らずじゃな」
「そうですねぇ、けど……」
マリーはツキノの頭をなでながら返事をした。
「逆もまた然りですよ。子の心は、親にも知れない」
暗い空、闇の中に四つの光った笑い声。
不気味なほどに静かで風も吹かない大地に響いた声は、この世界の希望となるのだろう。
笑い合っているエリンスとアグルエを見て、時代の先駆者――二人の魔族もまた笑い合った。




