幻操の魔王候補生
意識を失って倒れたデズボードを抱え上げたメルトシスは、そのまま彼を部屋の隅へと寝かせなおした。
「立ち止まっている暇はないだろう……」
自身を奮い立たせるように言ったメルトシスの言葉が、アグルエには寂しくも聞こえる。
本意ではなかった決闘と結末。
だが大きな赤い扉に渦巻いていた三人の行く手を阻む魔素の気配は消えていた。
メルトシスは粉々になった鎧へと冷たい眼差しを向ける。
「古代魔導技術……これ以上、被害者を出すわけにもいかないよな」
「えぇ……そうね」
静かに返事をしたアグルエは立ち上がると、向かう先――扉の向こうへと意識を向けた。
ツキノもアグルエの肩の上で尻尾を揺らす。
先導するように前へ出たメルトシスが力を込めて扉を押した。
ギィーッと軋むような鈍い音を上げて、大きな扉が開く。
三人は警戒しながらも部屋の中へと足を踏み入れる。
広い螺旋階段があって、ぐるっと一周して上った先が、塔最上階の一室だった。
アグルエの目にまず飛び込んできたのは、壁一面に備えつけられた大きなパイプオルガンのような機械。
横5メートルほど、縦は4メートルほど。
大中小様々なサイズのパイプが張り巡らされ、白や赤色、緑色のランプが光を放つ。
時折、ぷしゅーっと水蒸気が噴出され、水が流れる音が機械の中から響く。
それに部屋の中が温かく感じた――おそらく機械から熱が出ている。
上方へと目を向ければ、壁沿いに這うように伸びた半透明のパイプの中を魔素が流れて、それが円錐状に尖った塔の屋根内側へと集まっていた。
その魔素が魔素光の役割も果たしているようで、部屋の中は明るかった。
一目見ただけでは何がどう作用しているのかわからないが――これが結界装置なのだろう。
丁寧に赤い絨毯が敷かれて、簡易的な小さい椅子と机のみが配置されている。
他にそれらしきものは見当たらない。
「これが、結界装置……」
見たこともない異質さがある。
アグルエは警戒心を忘れ、思わず見上げてしまった。
「魔術の時代を引き継いだ代物じゃ」
アグルエの肩の上でツキノがそう返事をする。
メルトシスも同じように結界装置を見上げた。
一瞬気の抜けてしまった三人ではあったが、ツキノがアグルエの肩の上で尻尾と耳をピーンと立てる。
「おるぞ! アグルエ!」
その声を聞いて、顔を下ろしたアグルエも気配に気がついた。
部屋の中央、置かれていた椅子の上へと意識を向ける。
意識を向けることでようやく捉えることができる――認識を阻害する幻術の中に隠れる存在。
手のひらに魔素の球を浮かべた魔族の姿がそこにあった。
ピンク色のセミロング。頭よりちょこんと生えた小さな角。
肌は白く、顔つきは人とそう変わりがない。
大きな瞳はぼんやりと、前に出した手を眺めているようで無表情。
身体は大きくなく、身長は140センチメートルほど。
かわいらしいフリルがあしらわれた服を着ている背中からは、小さな片翼と大きな尻尾が突き出している。
幼い人の子のような雰囲気にすら見えるが、それらが証明する――歴とした魔族だ。
「ルミアート!」
アグルエが名を呼んだところで、その魔族――ルミアートは部屋の乱入者に気づいたようだった。
「移行、オートモード」
魔素の球へと何やら言葉を投げ掛けて、ルミアートは顔を上げた。
メルトシスはアグルエの横で剣を抜いて構える。
しかし気だるそうに構えたルミアートからは戦意を感じない。
「どうして、あなたたちがこんなことを!」
そう言ったアグルエを見やって、ルミアートが口を開いた。
「そうするしかないのよ、アグルエ」
少し悲しそうにも聞こえる声に、メルトシスはやりづらそうに顔をしかめ一歩下がる。ただし剣を構えた腕はそのままで。
そのメルトシスを一瞥するようにして、ルミアートは言葉を続けた。
「人間とは分かり合えない」
魔王候補生制度の中で知り合ったルミアートは、ただ魔王の座を狙っていたエムレエイやダーナレクとは違った。
アグルエからしてみても、人間を敵視していた他の魔族連中とは違うように見えていたのだ。
当時のアグルエは、交流を断つことが求められていた。
だから話を聞いてあげることもできなかった。
――人界を巻き込んで、悪事を企てるような子ではなかったはずなのに。
それが心に閊えていた想いだった。
「……だから利用するの?」
聞き返したアグルエに、ルミアートは静かに返事をした。
「そう」
二人の想いは交わることなく平行線。
ツキノもメルトシスも二人の会話を見守り続ける。
「アグルエ、あなたはきっと気づくことがないのだわ。
なんでも持っていたような、あなたでは」
返事をしないアグルエを見て、ルミアートは言葉を続ける。
「あなたが裏切り者とされたあの日から、こんな日が来るんじゃないかと、そういう予感はしたの。
わたしも知っていたの。あなたの心は。
だけど、今のわたしたちには力が必要。その邪魔をするっていうならあなたでも許さない」
静かに闘志を燃やしたルミアートは、そこで――スイッチを入れたかのようにアグルエへと敵意を向けた。
「幻操のパレード!」
魔素を解き放つように両腕を広げたルミアートは、そのまま後ろへ飛び退きながら詠唱する。
アグルエは敵意に気づくのが遅れ、一歩対応が遅れてしまった。
咄嗟に剣を抜いて、アグルエもまた一歩後ろへ下がるのだが――既に術中に掛かってしまう。
前方に二人。左側に一人。右側に二人――
アグルエの視界には、腕を組んで立つルミアートが五人映る。
同じようなポーズを取って、アグルエを嘲笑う。
どれが本物かわからない。
アグルエは無意識のうちにキョロキョロと辺りを見回してしまった。
そのアグルエを見て、メルトシスが後方より声を掛けた。
「どうしたんだ! アグルエ!」
「やられた」
「やられたって?」
メルトシスが慌てたようにアグルエへと寄る。
メルトシスにはダメージを負ったようには見えていないのだろう。
――それもそう……ルミアートの幻操は、身体にダメージを与えるものではない……。
「「「「「ふふ、アグルエはわたしの幻操の中」」」」」
アグルエにはそう言ったルミアートの言葉が五重に聞こえた。
反響するようで聞き取りづらくもある。
単純にその声だけで耳が痛くなり頭を押さえるようにして、剣を構えた腕から力が抜けた。
「「「「「アグルエ!」」」」」
段々と幻操の力が強まっている。
視界も揺れ出し、心配そうに見つめたメルトシスですら五人に見えて、声が五重に響き出す。
「何をした!」
メルトシスはアグルエから離れると、標的をルミアートに絞ったようにして剣を構えた。
瞬間、一歩を踏み出したメルトシスは風の魔素を纏って飛び出す。
距離を取るように離れていたルミアートの背後へ――神速剣で飛んだメルトシスが剣を振るう。
緑色の軌跡を放った斬道は、たしかにルミアートを切り裂いたかのように見えた。
しかし、煙のようになったルミアートの残像が裂けただけ――そこに手ごたえはなかったようだ。
「何かをするのはこれから。それまでこの部屋で苦しみなさい!」
上空より姿を現したルミアートが再び両腕を広げ、魔素を集めるように詠唱をはじめる。
アグルエは未だ五重に響くその声を我慢して、ルミアートを見上げた。
「魔素を弾く、盾となれ!」
部屋に反響する自身の声ですら、五重に聞こえはじめて――アグルエはただそれも我慢して、右腕を上へと伸ばす。
手に集めた黒い炎を膜のように広げて、迫るルミアートの魔素を弾いた。
「さすが、こっちに来ても魔法の腕はなまっていないようね」
相手を褒める余裕すら見せたルミアートに、アグルエは苦悶の表情を浮かべながらこたえた。
「あなたたちは、何をしようと、しているの。
人間の問題に、ただ首を突っ込んだわけでは……ないでしょう」
五人に見えるルミアートは、それぞれ空中で止まるようにして浮かんでいる。
魔族と言えど、飛行し続けるのは困難な業。
今見えているそのルミアートはどれも幻影だ。
「そう、利用しているだけ」
アグルエのことを見下ろすように語るルミアート。
それにこたえたのは、アグルエの肩から飛び降りたツキノだった。
「何故、結界装置に手を掛けた?
この魔術に、お主のような一介の魔族が触れられるはずがなかろう?」
「賢いペットを連れているのね、アグルエ」
ペット呼ばわりされたツキノは明らかに怒ったように尻尾を膨らませた。
「でもそんなことは関係ないの。
わたしたちは計画を完成させて、この国の人間の魔素を喰らい尽す!」
「それが、目的……」
国の人間の魔素を喰らい尽す――そう語られた計画。
そのようなことが起きれば、ルスプンテル港町を襲った以上の被害が出ることになってしまう。
魔素を強引に奪われた人間が、どうなってしまうのか――先の一件、デズボードのことを思い返せば未来が見えた。
「そんなこと、させねぇよ!」
│余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》と語るルミアートの背後に、メルトシスが神速剣の構えで再び飛んだ。
そしてそのまま剣を振り抜くのだが――ルミアートは再び煙のようになって姿を晦ます。
『でも残念、もう遅いのだわ』
ルミアートの声だけが部屋に響いた。
アグルエを襲っていた幻操の力も、次第に引いていく。
幻操の効力が、消えつつある――それはルミアートがこの場を離れているからだ。
「ルミアート! どこにいったの!」
アグルエは声を上げて周囲を見渡すのだが、その姿は見えない。
『わたしたちを止めたいなら、結界装置を壊すしかない。
でもそうしたら、この国はどうなってしまうのかな?』
他人事のようにそう語るルミアート。
『ここに邪魔者を閉じ込めておけば、あっちの計画もうまくいくでしょう。
どうせ、結界装置の解明なんて、できっこないのだから!』
「待ちなさい! あっちって、なんのこと!」
その台詞を最後にして、ルミアートの気配は完全に部屋から消えた。
メルトシスは気配を追うように螺旋階段を下りていく。
アグルエは頭を押さえたままにその場に座り込んでしまい、手にした剣を床へ落とした。
「大丈夫かの?」
アグルエの膝の上へと飛び乗ったツキノが、心配そうに顔をのぞいた。
「うん、大丈夫……です」
アグルエが笑ってこたえたところで、螺旋階段を駆け上がってメルトシスが戻って来た。
「ダメだ、完全に閉じ込められた。魔法の類で扉が開かない」
剣を鞘へと戻して、メルトシスもその場に座り込んだ。
ルミアートが言う通りに、この部屋に閉じ込められたということだろう。
扉の問題は後でどうにかするとして――アグルエは前方一面に広がる機械へと目を向けた。
「目的の場所には辿り着けた……」
ただそう考えても、ルミアートたちの余裕がうかがえてしまう。
結界装置を目の前に、三人を閉じ込める理由――この機械には、余程厳重な細工が仕掛けられているということだろう。
「魔術ってなんですか、ツキノさん」
まだふらつく頭でよろよろと立ち上がったアグルエは、ツキノを腕に抱えて、部屋の一面に広がる結界装置へと近づいた。
「魔素を組み込んだ計算式、魔術式――というても、わからんじゃろうな。
何重にも連なる暗号が並んでいるようなもの、かのう……」
「結界装置を一回機能停止させられればいいんだけど……どうすれば止まるんだろう……」
丸いパーツや蛇口のようなバルブ。
触れていいのかわからないようなスイッチと点灯するランプ。
そこかしこから溢れ出る魔素。
「その石板みたく飛び出た鉄の板がパネルになっておる。それがもにたーじゃ」
「もにたー?」
ツキノが尻尾で指した場所へとアグルエは近づいた。
「そこに滅尽の魔素を出して、触れてみるのじゃ」
アグルエは言われるがまま手より黒い炎を出して、ツキノがもにたーと呼んだ場所へと触れた。
――ぶわんっ!
何かが起動するような音と共に結界装置から展開されたのは、アグルエには読むことができない記号の連なり――魔術式だった。
上から下まで、それこそ壁一面を埋め尽くすようにずらりと並んだ記号の数々が、緑色に光を放って浮かび上がる。
「うわっ!?」
アグルエは驚いて飛び退いてしまった。
その声につられて、座り込んでいたメルトシスも結界装置を見上げている。
「なんだ、こりゃ……」
呆然と記号の羅列を眺めた二人に反して、アグルエの腕の中から飛び降りたツキノは『もにたー』と呼んだ場所へ近づいた。
どうやらツキノは結界装置や古代魔導技術について、知っていることがあるようだ。
魔術についても知っているような節が見えたことがアグルエは気になった。
ただ、200年前に魔王と共にこちらへやって来たというツキノだ。
それだけ長生きをしていれば、現代の常識では広まっていない魔術を知っていてもなんら不思議ではない。
――今はそのツキノさんの知識が頼りかも……。
壁を埋め尽くす記号を目で追ったツキノを見て、アグルエは口を開いた。
「何か、わかりますか?」
ツキノも考え込むようにしてから返事をする。
「うーむ。複雑に組み替えられておる……。
じゃが、書き換えられたような跡が見えおるわ」
アグルエにはどこが書き換えられたのか、見てもわからないことであったが。
「魔術式をいじれる者がおるということか……」
ぶつぶつと独り言を言うようにしたツキノはくるっと回ると、アグルエの腕の中へと戻った。
「時間もなかろう。妾が指示を出す故に、滅尽の力で魔術式に触れてほしい」
一体どういうことだかもわからないアグルエだったが、時間がないのはたしかだ。
言われた通りにやるしかない。
アグルエはツキノと顔を見合わせて頷いた。
「まずは、そこ。下から一段目のその部分じゃ――」
ツキノが尻尾を巧みに使って指し示し、アグルエがそれに追随して黒い炎を飛ばして記号を消す――
そうして、アグルエとツキノは結界装置に向かい合う。
時計のない部屋の中では、詳しい時間がわからない。
迫りくる時間制限から逃げるよう二人は解読作業を続けた。
魔導士の分野が専門外であったメルトシスは、手伝えることもないだろうとただその様子を見守っていた。
約束の時間、8時まで残り4時間――




