借乗の魔王候補生 ――2――
アグルエはバレーズから距離を取るために、ひたすら森の中を走っていた。
切れる息など気にしていられない。
エムレエイの『借乗』の射程範囲内で魔素を使うわけにはいかない以上、自分の足で走って距離を取るしかない――
エリンスとアグルエはあらかじめ、次にエムレエイと対峙した際にどういう動きをとるか、相談していたのである。
◇◇◇
アグルエが魚を獲って食べた河原で、エリンスへと事情を話した、その少し後のことだ。
アグルエはエリンスに知っている情報の一部として、エムレエイのことも話したのだった。
「エムレエイは、魔力感知に優れた力を持つわたしと同じ魔王候補生の一人。
『借乗』と呼ばれる固有の魔法を使えるの。
でもその魔法の性質上、魔王候補生の中でも一際浮いていて、誰とも慣れ親しむことのないやつだった。
おまけに性格も酷く歪んでいるものだから、話し掛けるやつもいないってレベルの嫌われものよ」
アグルエは酷い言いようだとは思ったものの、エリンスもその説明に納得しているようだった。
あの一時の邂逅でうかがえてしまうものがあった、という話であろう。
「だけどそれは、逆にチャンスかもしれない。
そういうやつだから、他の魔王候補生にわたしの居場所を話している可能性は0だと思う。
まだ追ってくるというなら、単独で来るはず」
「アグルエ、『借乗』ってのは、どんな力なんだ?
アグルエの『滅尽』も、どうにも俺にはわからないんだけど」
「魔族には、それぞれ扱える固有の魔法があるの」
アグルエはそこで、手のひらに黒い炎の玉を作り出してエリンスに見せた。
そして、薄く透き通る光の中に、そこらに落ちていた小石を一つつまんで入れた。
「わたしの『滅尽』はこの黒い炎。
自由自在に操れる想いの炎は、中の物質をこうやって……。
『消えちゃえ』と願えば思いのままに、塵にしてしまうことができる」
その言葉通り、アグルエが想いを込めた瞬間に、炎の中の小石が木っ端微塵、塵となる。
「自由自在に操れる想いの炎……」
エリンスは納得したようにうなずいていた。
『滅尽』は消し去るためだけの力ではないのだが――アグルエは説明を続けた。
「エムレエイの『借乗』は、その名の通りで、他人の魔力を借りて自分に上乗せする魔法。
魔力ってのは、魔素の集合体みたいなもので、そこから術式へ変換して、魔法を発動させるもの。
エムレエイは、人の魔力を自身の魔力に上乗せして扱うことができる」
「なるほど、それは魔導士や魔族には嫌われそうな魔法だ。
だからあのとき――アグルエの魔法をエムレエイは使えたってわけか」
それはエリンスが手痛い反撃をもらった場面だ。
魔封の効力が働いていれば、エムレエイに利用されることもなかったはず。
ただあのときはまだ――魔封で封じ込め切れていなかった魔素が、アグルエには残っていた。
「でもそうすると、エムレエイはどんな魔族よりも最強ってことになりはしないのか?」
その力がそういうものであるならば、エリンスの言う通りだ。
しかし、それだけではないのだ。
「ううん、エムレエイにも限界がある。
魔族でも人間でも同じことなんだけど、ね。
魔力ってのは、一人一人が扱える量に限度があるの。
一人一人それぞれ大きさの違う、魔力の器を持っていると考えるとわかりやすいと思う。
魔法ってのは、その器に満たした魔素を行使すること。
魔導士と呼ばれる人はその器が大きいのだろうし、魔族は元よりその器が人間とは規格外だ、と思うとわかりやすいかも」
「つまりエムレエイも……自分の魔力以上の他人の魔力は引き出せないってことか」
「うん。わたしが本気を出せれば、あんなやつの魔法は一思いにできちゃうんだけど……」
そこでアグルエは言葉を詰まらせる。
そこまで説明すれば、アグルエの言いたいことがエリンスにもわかったのだろう。
「そんな規格外の魔法同士の戦いになれば、周りの被害ってやつも大きくなるだろうな」
「うん、それにそれだけじゃないんだ。
わたしたち魔族の魔素は、人界の自然に存在しないもの。
だから物理的な被害以外にも、何がどう影響を及ぼすかわからない……」
人界へ来てから、本気で魔力を解放してしまうことへの恐怖がアグルエにはつき纏っていた。
だからいざエムレエイと対峙するにしてもどうすればいいのか、とアグルエは迷っていた。
だがそのアグルエの迷いにこたえを示すかのように、エリンスが口を開く。
「アグルエ、その話を聞いて一つ、策がある」
「策?」とアグルエは疑問を返した。
「俺は、小さい頃から魔法が苦手なんだ。
どうも魔素を扱うことができない体質らしくてさ。
人よりも魔素に鈍感で、ほら、見ての通り、魔素を集めても魔力にならないんだよ」
エリンスは右手を前に出し魔素を集めるように意識を集中させているようだったが――
空気中の魔素は、エリンスの右手に集まったかと思ったその次には、エリンスの身体に沿って流れてしまい霧散し、上手くまとまらないようだった。
――魔素がエリンスを拒絶している。
アグルエの目にはそう映った。
「小さいころ故郷の村に立ち寄っていった魔導士の人に見てもらったことがあるんだ。
その人はこの体質のことを、『弱魔体質』って呼んでいた。
魔素に嫌われる体質――先天的なもので、魔法が使えないんだってさ」
エリンスにそう言われて、アグルエは疑問に思うのであった。
魔素がエリンスを拒絶しているようであったが、エリンス自体が魔力を持っていないようには見えなかったからだ。
否――エリンスが持っているのは、『アグルエの知っている魔力』ではないのかもしれない、とそこで考えを改める。
現に魔力があるのであれば、さっきのように空気中の魔素を集めたら、何かしら魔法反応が見えてもおかしくない。
エリンスが魔法を扱えないのは、たしかなようだ。
弱魔体質は、魔素に関して長けている魔族であるアグルエにしても、わからないことが多い問題のようだった。
今はエリンスの言うことを、そのまま鵜呑みにしておこう。
アグルエは一人、心の中で納得することにした。
その体質を抱えたまま勇者候補生となったのならば、エリンスは苦労をしたはずだ、ということがアグルエにも想像できる。
そう考えれば――『落ちこぼれ』と呼ばれていた理由も察することができてしまう。
「そんな、体質だったのね……」
「だから魔素を持てない俺ならば、その『借乗』に対抗できるかもしれない」
「それでも魔族は人間と比べて力が強いことには変わりはない。危ないわ」
アグルエには思うところもあったが、エリンスは気にしていないような調子で話を続けた。
「俺だって勇者候補生として剣を取ったんだ。今更だよ」
エリンスが言う通り、相手がエムレエイであるならば、その体質が突破口となるかもしれない。
エムレエイ相手でも、「借乗」の力がなければ、単純な力量勝負ができるだろう。
しかしアグルエは自分のために、エリンスに危険を背負わせることを躊躇していた。
「同盟を組んだっていうなら、これはもう、そういう戦いなんだ」
エリンスの力強い言葉にアグルエは反論ができなかった。
「わかった。ただし、周りに被害が出せないと判断される場合にのみ、エリンスに任せることにする」
仕方ないけどエリンスの申し出を受け入れて、最低限そういう場合に限ってだ、とそのときのアグルエは考えた。
「エムレエイの『借乗』はエムレエイから半径1キロほどが効力範囲。
次にやつと出会ってしまったとき、わたしが囮となって人のいない場所まで引きつける。
念のためもう一回言っておくけど、エリンスに任せるのは、ほんとに周りに被害が出せないときだけだから!」
◇◇◇
アグルエは走りながら考えた。
エリンスの『任せろ』という力強い返事を、思い返しながら。
――これはどう考えても周りに被害の出せない状況だ。
アグルエが本気でエムレエイと一戦交えてしまえば、バレーズにまで影響が及ぶのは明白だ。
エリンスに任せることになってしまった以上、もう借乗の効力範囲内で魔素を出すわけにはいかない。
――はぁ、はぁ、はぁ、
アグルエの息は切れ、足の筋肉は悲鳴を上げている。
走ることが苦手なわけではないが、ここ数日の疲労感が――ここに来て、一気に増している。
――待ちなよぉ、アグルエぇ!
だが背後に自分の命を狙う刺客が迫っているともなれば、弱音は言っていられない。
アグルエは振り返ることなく走り続けた。
しかし、当たり前のことではあった。
木を蹴りながら、木々の合間を飛び追うエムレエイの速さは、アグルエが足で走って逃げるよりも速いものである。
アグルエが開けた森の中の広場へと差し掛かったところで――
「追いついたぞぉ、ズハハハハ」
エムレエイが木の上からアグルエに狙いを定めて、鋭く長い剣のような爪を構える。
アグルエが振り返るよりも早く、エムレエイはその爪を振り抜いて、アグルエへと飛び掛かった。
「っくぅ!」
アグルエは必死に走っていたために、その殺気へ気づくことに遅れてしまった。
それにアグルエが気づいたのは、背中に鋭い痛みが走ったそのとき――
「ズハハハハ! 走って逃げるだけなんて、まるで弱っちい人間のようだなぁ?」
アグルエの後方より飛び掛かってきたエムレエイは、膝をついてしまったアグルエの前に立ち塞がるようにして着地した。
「まだ、勇者候補生ごっこをしているのかぁ?」
溢れ出る鮮血とその痛み。
それにここまで走ってきたことによって、体力は限界を迎えていた。
エムレエイの嫌味に対して、返事をするだけの余裕がなかった。
未だ立ち上がれないでいるアグルエだったが、目線だけはしっかりとエムレエイに向けてやる。
エムレエイは本当に心の底から見下したような、嫌な眼差しをアグルエに向けていた。
「あの最強の滅尽の魔王候補生様が、今やこんなもんなんて。全くもって呆気ねぇ。
でもそう簡単に死ねると思うなよ、ぼくはこう見えても怒ってるんだ。
こんなところまで追う羽目になったんだから。あの勇者候補生風情がよぉ!」
エムレエイが一人でベラベラと喋っている間にも、アグルエは息を整え、右手で背中を抑えながら立ち上がる。
そうして、自身の状況を確認する。
背中の傷は縦に一閃、服ごと切り裂かれてしまっているようだった。
幸い今すぐ命に別状があるレベルの傷ではなさそうだが、このまま放っておくのはまずい、とアグルエは危機感を覚えながら考えた。
眼前へと持ってきた右手は、鮮血で赤く染まっている。
血を流しすぎている。
一刻も早く魔法による治療をしたいが――今はできない。
アグルエは覚悟を決めて腰に差した剣を抜いた。
だいぶ走ってきたことだ。バレーズから1キロ以上は離れただろう。
だったら後は、エリンスを信じるしかない――
「ズハハハハ、まだ立てるか。さすがだな。
だけどそんな手負いでぼくと戦えるとでも思っているのか?
何やら企んで魔法を出さないみたいだけど、ぼくも甘く見られたもんだ」
「ベラベラと一人でうるさいのよ、昔から、あんたは!」
アグルエは痛みに耐えながらも一閃、剣を振り抜いてエムレエイから距離を取る。
エムレエイはアグルエの一撃を爪で弾き返すと、離れようとするアグルエを追い、狙いを定めもう一度爪を構えた。
「簡単に死んでくれるなよ!」
右手の爪を振り抜きながらエムレエイが叫ぶ。
アグルエはその爪を剣で弾き、再び距離を取って言い返す。
「そう簡単に命を取れると思わないことね、このわたしから!」
背中に残された爪痕は痛々しく未だ血を流し続ける。
だがアグルエは、弱気を見せず強く振る舞って見せたのだった――。




