逃げて、逃げて、考えて。
ローファンタジー日間1位ありがとうございます……!
どれくらい、走り続けたのだろう。
息はとっくに上がって、足はもう自分のものじゃないみたいに重い。
(まずい、まずいまずい……!)
それでも私は止まれなかった。
背後からあの笑い声が聞こえる気がして。
あの、私を獲物として見る、ねっとりとした視線が背中に突き刺さってるみたいで。
やがて、本当に物理的な限界が来た。
私は路地裏の壁に手をついて、ぜえぜえとみっともない呼吸を繰り返す。
「……はぁ……っ、はぁ……」
冷たい汗が額を伝って、顎からぽたぽたと落ちた。
夜の闇は深い。
(……どこか、隠れる場所……!)
私は最後の力を振り絞って、再び走り出す。
そして偶然見つけた地下駐車場へと続くスロープを、文字通り転がるように駆け下りた。
私は一番奥の分厚いコンクリート柱の影に身を寄せると、その場にずるずるとへたり込んだ。
そこで、ようやく全身の力が抜ける。
どっと、現実が津波みたいに押し寄せてきた。
「…………っ」
歯を食いしばる。
涙は出なかった。ここで泣いたって、状況は一ミリも良くならない。
それにしても、だ。
あまりにも無力で、あまりにも愚かだった。レベルが上がって、ちょっと良い装備が手に入って、格上のモンスターを倒せたくらいで、いい気になって。
この世界で生き抜く力がついた、なんて。
とんだ思い上がりだ。
あの光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
私の、最強の必殺技だったはずのファンネルが、まるで割り箸みたいにあっさりとへし折られた、あの瞬間。
そう、一本やられちゃったから、私のファンネルは今や四本しかない。
最悪だ。
(一人が一番安全だって思ってたけど……)
それは、間違いだった。
一人は安全なんかじゃない。ただの孤独な的だ。
そもそも、略奪者がうろついてるってことは知ってたじゃないか。
その上で油断してこうなった。
しかも、話に聞いてた”銃持ち”じゃないときたもんだ。他にもあんな奴らがいるってことだ。
私の完璧なニートライフを邪魔する奴は、みんな滅びればいいのに。
――きゅっ。
左腕に、優しい圧力がかかる。
相棒のヨツバが、私の腕に蔓をそっときつく巻き付けてきた。
「大丈夫?」って言ってるみたいだ。
私はまだ、全部失ったわけじゃない。
この頼れる武器とスキルがある。
それに、逃げる時に物資もしっかり回収してきた。
貴重品はもちろん、食料品も厳しくはない。
そして、この小さくて温かい、私のパーティーメンバーがいてくれる。
私はヨツバの蔓を、ぎゅっと握り返した。
大丈夫。
まだ終わってない。私はまだ戦える。
夜が明けるまで、あと数時間。
それは私の人生で最も長く、そして暗い夜だった。
私はコンクリートの冷たい壁に背を預けたまま、一睡もできずにじっと朝を待った。
---
やがて、地下駐車場に地上からほの白い光が差し込んできた。
朝だ。
長い長い夜が、ようやく明けた。
体は鉛のように重い。心はそれ以上にずしりと重かった。
でも、感傷に浸っている時間はない。
夜が明ければモンスターも、そして人間も活動を始める。
ここに長居はできない。
(……これからどうする?)
私は冷たいコンクリートの壁に寄りかかったまま、必死で思考を巡らせた。
まず頭に浮かんだのは、修一さんたちが向かった自衛隊の駐屯地だった。
あそこなら高い壁と武装した人間がいる。少なくとも、昨夜のような連中に易々と襲われることはないだろう。
(……駐屯地、か)
だが、その選択肢はすぐに私の中で否定された。
一番の理由は、近すぎることだ。ここからなら、おそらく十数キロ。
もしあの略奪者たちが追ってきていたら? 私の痕跡を辿って駐屯地までたどり着かれたら、間違いなく詰む。
修一さんたちを巻き込んでの集団戦なんて、考えうる限り最悪のシナリオだ。
それに、私自身の問題もある。
ゴウシさんみたいな人ならいいかもしれないけど。
でも、修一さんは……。
悪い人じゃないのは分かってる。分かってるけど、あのグイグイ来る感じが、どうしても苦手だ。
すぐに「仲間」だとか「一緒に行こう」だとか……。
元の家に戻る?それもアリかもしれないが、物資はどうする?
毎回山を下りて回収に来る?
でも、それじゃあレベルアップの機会もないし、また襲ってこられたら間違いなくやられる。
(……じゃあ、どこへ?)
駐屯地という選択肢が消え、再び思考が暗闇に閉ざされそうになる。
その時だった。
ふと、彼らとの会話が脳裏をよぎった。
『いくつかの主要都市では……『復興地区』を築いているという話だ』
『横浜、さいたま新都心、そして千葉』
そうだ。
駐屯地だけじゃない。
彼が言っていた、「復興地区」
私はアイテムボックスから関東近郊の広域マップを取り出す。
まず、地図の中心、赤黒く塗りつぶされた――東京23区を指で隠す。ここは絶対に通れない。
私の現在地は、その魔境の、わずかに西側。
ここから横浜や千葉を目指すとなると、どうしても魔境の縁をかすめることになる。
危険すぎるし遠すぎるんだ。
残る選択肢は……
「……さいたま新都心」
魔境を避け、北西へと進路を取るルート。これなら、比較的安全かもしれない。
距離は……直線でおよそ60キロ。
普通の人間なら、徒歩で数日はかかる距離だ。自転車を探すべきか? いや、目立つし、瓦礫だらけの道じゃ逆に足手まといになる。
(……いや、待てよ)
私は自分のステータスを、頭の中に表示させる。
敏捷の基礎値144に、装備の補正値が+38……合計で182だ。
車やバイクのように音も立てない。モンスターを避けながら、高速で移動できるだろう。
最近じゃ、戦う時も最初の頃より格段に体も軽い。
運動不足のもやし女なんてもう言わせない。
よし。決めた。
私はゆっくりと、立ち上がった。
まだ足は少しだけ震えてる。
「さいたま新都心。噂の『復興地区』を目指そう……。あるかわからんけども…」
行くべき場所が決まると、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。
真っ暗闇の中に、ようやく一本の道筋が見えた。
私はコンクリートの柱の影から、そっと外の様子を窺う。
『気配察知』と『空間把握』を、常に発動させる。
幸い、近くにモンスターや人間の気配はなかった。
私は『隠密』スキルで気配を殺すと、音もなく地上へと続くスロープを駆け上がった。
そして、そのまま建物の影から影へと飛び移るように、北東へと向かう移動を開始する。
驚異的な敏捷ステータスのおかげで、私の走りは人間離れしていた。
瓦礫の山を軽々と飛び越え、乗り捨てられた車の屋根を足場に、まるでパルクールのように障害物をクリアしていく。
ここ、青梅市のあたりはまだ見慣れた「廃墟」の風景だった。
だが、東へ、かつての都心部へと近づくにつれて、世界の姿は一変していく。
まるで、人類が滅んでから数百年は経ったかのような、緑に覆われた世界。
アスファルトの道は完全に土と苔に覆われ、巨大な樹木の根がそれを突き破っている。
ビルというビルは緑の蔦に飲み込まれ、窓ガラスを突き破って、中から大樹の枝が伸びていた。屋上は、ちょっとした森のようになっている。
文明の残骸が、巨大な自然に飲み込まれていく光景。
それは、恐ろしくもあり、どこか神々しいほどに美しかった。
(……すごい。まるで、人類が滅んだ後のSF映画みたいだな)
私は、ただひたすらに走り続けた。
道中、何度かモンスターの気配を察知したが、その度に迂回し、徹底的に戦闘を避ける。
今の目的は、レベル上げじゃない。
無事に、さいたま新都心にたどり着くこと。それだけだ。
やがて、太陽が西の空に傾き始める。
さすがの私の身体能力でも、60キロの道のりを走り続けるのは骨が折れた。
MPも、ショート・ワープを要所で使ったせいで、残り半分を切っている。
(……今日は、この辺りで野宿しよう)
私は、巨大な蔦に覆われた、古いマンションの一室に忍び込む。
幸い、モンスターの気配はない。
私は、部屋の隅で体育座りをし、アイテムボックスから、非常食のカロリーバーと水を取り出した。
(火も使えないし、こういう時のために確保しておいてよかったな。カロリーメイト…)
味気ない夕食を済ませながら、私はぼんやりと窓の外を眺める。
ここまで、おそらく30キロ近くは走っただろうか。
まだ、道のりは半分。
だけど。
(……行ってやる)
あの、私の城を奪った略奪者たち。
今のままでは、到底敵わない。
でも、いつか。
必ず奴らを見返せるくらい、強くなってやる。
そのためにも、まずは生き延なければ。
家をぶっ壊された凪ちゃんですが、その悔しさと恐怖をバネに頑張るみたいです。
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