招かれざる訪問者
工房での、防具製作から一夜が明けた。
新しい装備の性能を試したくてうずうずしていた私は、今までなんとなく避けていた場所へと足を向けることにした。
町の中心部に位置する、巨大な商業アーケード街だ。屋根がついているせいで昼でも薄暗く、いかにもモンスターの巣窟といった雰囲気を醸し出している。
(よし、今日のノルマはレベルアップ。ついでに新装備の試運転と洒落込みますか)
アーケードに一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
ガラスの屋根は所々が割れ、そこから差し込む光が埃っぽい空気に筋を作っている。
シャッターが閉まったままの商店、ショーウィンドウが砕け散ったブティック、マネキンだけが虚空を見つめている。
『気配察知』が、すぐさま複数の敵の存在を捉えた。数は六。アパレルショップの影からだ。
現れたのは、犬型のモンスター。
全身が赤黒い体毛で覆われ、口からは絶えず炎が漏れ出している。
【名称:ヘルハウンド】
【レベル:18】
【備考:炎の息を吐く魔犬。群れでの連携を得意とする】
(レベル18か。今の私からすれば、絶好のウォーミングアップ相手だね)
「グルルルルッ!」
一斉にこちらに気づき、涎を垂らしながら駆け出してくる。
(さて、と。新しい私のお披露目だ)
私は、その場で目を閉じた。
一気に距離を詰めてきたヘルハウンドのリーダー格が、私の喉笛に食らいつこうと飛びかかってくる。
――その、顎が私のローブに触れる寸前。
『ショート・ワープ』。
視界が白く染まり、次の瞬間、私はリーダーの真後ろに出現していた。
「残念でした。位置情報は常に把握させてもらってるんだよね」
振り返りもせず、背後で待機させていた『マインドジャベリン』の一本を、そのがら空きの心臓部へと突き刺す。
悲鳴を上げる間もなく、リーダーは黒い粒子となって消えた。
残りの五匹が、突然のことに混乱し、足を止める。
その隙を、私が見逃すはずもない。
『ショート・ワープ』で群れのど真ん中へ。
五本のジャベリンを、まるで嵐のように回転させ、周囲のヘルハウンドを薙ぎ払う。断末魔の悲鳴が、アーケードに木霊した。
ものの数十秒。完璧な、ノーダメージでの集団殲滅だった。
【経験値を獲得しました】
【レベルが上がりました! Lv.22 -> Lv.23】
その後も、私はアーケード街の探索を続けた。
ショーウィンドウを突き破って襲いかかってくるマネキン型のモンスター。
【名称:リビングドール】
【レベル:19】
【備考:無機質な体に魂が宿ったモンスター。関節を無視した不規則な動きで襲いかかる】
その群れをワープで翻弄しながら一体ずつ撃破。
ゲームセンターに巣食っていた、巨大な蜘蛛のモンスター。
「鑑定」
【名称:ウェブスピナー】
【レベル:20】
【備考:粘着性の高い糸を吐き、獲物を拘束する。暗闇に潜む奇襲の達人】
これを、柱の影からのヒットアンドアウェイで一方的に狩り尽くす。 全ての戦いが終わる頃には、私のレベルはさらに一つ上がり、Lv.24にまで到達していた。
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汐見 凪
Lv. 24 (+2)
HP: 250/250 (+54)
MP: 2639/2639 (+252)
筋力: 111 (+30)
耐久: 128 (+34)
敏捷: 144 (+36)
器用: 164 (+40)
幸運: 180
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(ふふ。ステータスの暴力って、最高。今の私なら大抵のモンスターには負けないな)
夕方、私は満足感と共に、自分の城である図書館へと帰還した。
今日の戦利品である魔石や素材を整理し、少しだけ豪華な夕食を楽しむ。メニューは、カルボナーラだ。
そして、食後。
私は屋上へと登った。
ひんやりとした夜風が、火照った体を冷ましてくれる。
空を見上げると、満点の星空が広がっていた。
最近、町の明かりはほとんど消えた。
だから、皮肉なことに星だけは、以前よりずっと綺麗に見える。
もちろん、この世界のどこかには、修一さんたちのような生存者がいるんだろう。
でも、この満点の星空の下、たった一人で静寂に包まれていると、まるで世界の全てを独り占めしているような、不思議な気分になる。
いや、一人じゃないか。左腕には相棒のヨツバがいてくれる。
私は、そんな感傷に浸りながら、静かな夜の闇をただ静かに眺めていた。
――その時だった。
ピリッ、と。
まるで肌を刺すような、鋭い感覚が私の意識を貫いた。
気配察知と空間把握が、今まで捉えたことのない異質な反応を頭の中の立体マップに映し出していた。
(……なんだ、これ?)
今まで、モンスターの気配は、ぼんやりとした赤い光点として表示されていた。
でも、今、マップの南東の端に現れた七つの光点は違う。
それは、まるでレーザー光線のように、鋭く輪郭のはっきりした青い光点だった。
モンスターじゃない、人間だ。
しかも、ただの人間じゃない。
その動きは、統率が取れていた。まるで熟練の兵士の一団のように一切の無駄なく、最短距離でまっすぐ――この図書館へと向かってきている。
ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。
さっきまでの、穏やかな感傷は一瞬で吹き飛ぶ。
私は咄嗟に身を伏せ、屋上の縁から双眼鏡を覗き込んだ。
いた。
暗視スキルが、闇の中の七つの人影をはっきりと捉える。
全員が黒を基調とした動きやすそうな戦闘服に身を包み、腰には剣やナイフを提げている。その姿は、修一さんたちのような「生存者」とは、明らかに雰囲気が違っていた。
私は、息を殺しながら、一人ずつに『鑑定』スキルを行使していく。
まず、斥候らしき、先頭を歩く二人。
【名称:???】【レベル:21】
【名称:???】【レベル:22】
(名前が見えないな……私より、少し下か。でも、十分強い)
次に、その後ろに続く、三人。
【名称:???】【レベル:24】
【名称:???】【レベル:25】
【名称:???】【レベル:26】
ごくり、と喉が鳴った。
心臓が、嫌な音を立てて脈打つのを感じる。レベル25と26。今の私を、明確に上回る強さ。それが、二人も。
そして、最後に、集団の中心にいる、リーダーらしき大柄な男と、その隣に立つ、やけに身軽そうな男。
私は震える指を抑えながら、最後の二人を鑑定する。
【名称:???】【レベル:28】
【名称:???】【レベル:27】
「…………っ」
声にならない、悲鳴が漏れた。
レベル28。レベル27。
今の私とは、比較にさえならない。次元が違う。さっきまでの自信が、ガラスのように砕け散っていくのが分かった。
これは勝てない。
戦う前から分かる、力の差。
やがて、彼らは図書館の正面入り口までやってくると、足を止めた。
私のいる屋上までは距離がある。でも、レベルアップした聴覚は、その会話を、はっきりと拾い始めた。
「リーダー! ここ、当たりじゃないすか!? 見てくださいよ、この要塞みてえな作り!」
若い男が、興奮した声で叫ぶ。
「静かにしろ。生活の痕跡がある。…腕利きの、先客がいるようだ」
リーダー格の男の声は、静かだった。静かだからこそ、その声に含まれた冷徹さが際立っている。
「へっ、どんな奴が出てきても、俺たちの敵じゃねえだろ。さっさとドアをぶち破って、中の宝、根こそぎいただこうぜ!」
別の男が、下品な笑い声を上げた。
リーダー格の男が、その男を制するように、手を上げた。
「待て。まずは、挨拶代わりだ。中にいるのが、話の分かる相手だといいんだがな…」
その声には、一切の、慈悲はなかった。
「話が分かる」というのは、つまり、抵抗せずに、全てを差し出すということ。
それができなければ――。
考えるまでもなく、答えは分かっていた。
私は屋上の縁に身を伏せたまま、息を殺して下のやり取りを見つめていた。
心臓が、肋骨を内側から叩いているかのようにうるさい。
(……どうする)
勝ち目は、薄い。
いや、ない。レベル28と27がいる時点で、まともに戦えば瞬殺されるのがオチだ。
それに、何より……相手は、人間だ。
今まで私がこの手で殺してきたのは、全てモンスターだった。人間を、この手で殺す? その覚悟が、私にあるだろうか。
答えは、ノーだ。
でも、このまま黙って、私の拠点を明け渡すなんて、絶対にできない。
ここは、私が生きるために築き上げた私の全てだ。
(……やるしかない)
殺すんじゃない。追い払うんだ。
ここにいるのは、お前たちが手を出していいような、か弱い獲物じゃないぞ、と。
私の力を見せつけて、諦めさせる。
それが、唯一の活路だった。
私は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、闇に包まれた屋上から、眼下の七人へと、意識を集中させる。
私の周りを旋回していた『マインドジャベリン』の一本が、すっと前に出る。
狙うは、リーダー格の男の足元。
――思い知らせてやる。
私がそう念じた瞬間、黒い杭は音もなく夜の闇を切り裂き、地上めがけて撃ち出された。
私の、今のレベルとステータス。そして、『魔力操作』スキルで極限まで高めた、高速の一撃。
常人なら、反応すらできずに――
――その、はずだった。
ジャベリンが、地面に着弾する寸前。
リーダー格の男の隣にいた、あのレベル27の男が、動いた。
閃光が走る。
夜の闇を切り裂く、一筋の銀色の光。
腰に提げていた剣を、目にも止まらぬ速さで抜き放ったのだ。
ギィンッ!!
甲高い、耳障りな金属音。
次の瞬間、私が放ったマインドジャベリンは、空中で真っ二つに切り裂かれていた。
無残に威力を失った二つの鉄の塊が、からんと虚しい音を立てて、彼らの足元のアスファルトに転がった。
「…………え」
私は、その光景に言葉を失う。
時間が、止まったみたいだった。
私の最強の攻撃が。格上のモンスターさえ屠ってきた一撃が防がれたのだ。
一斉に、七人の視線が屋上の私へと突き刺さる。
月明かりが、私の姿をわずかに照らし出した。
「へっ、おいおいマジかよ……!」
最初に声を上げたのは、あの下品な笑い声をしていた男だった。
その目が、ねっとりと私を舐めるように見ているのが分かる。
「あんなとこに、あんなイイ女が一人でいたのかよ。こりゃあ、宝の山が二倍になったなァ、リーダー!」
(……最悪だ)
背筋が凍る。
ただの略奪者じゃない。私という人間を戦利品の一つとしてしか見ていない。
リーダー格の男が、浮足立つ仲間を制するように、静かに口を開いた。
「黙れ。油断するな」
そして、屋上にいる私の方をゆっくりと見上げ、まるで感心したかのように呟いた。
「……ほう。今のを屋上からか。ただの威嚇射撃にしては、速度も威力も上等だ。ここにいるのは、そこらの雑魚とは違うらしいな」
その言葉が、引き金だった。
私の体中に、警鐘が鳴り響く。
「やばい……!」
逃げろ。
ここにいたら、殺されるだけじゃない。
もっと酷い目に遭う。
私は、瞬時に、この城を捨てることを決意した。
涙を流す暇さえなかった。震えている場合じゃない。
今は、一秒でも早く、ここから離れるんだ。
(工房の魔力炉! 腐食のスライムコア! 麻痺毒の毒腺! カウンター裏の食料と水、ありったけ全部!)
図書館の中にある、生存に必要な最低限の物資
よし。
私は、躊躇なく『ショート・ワープ』を発動させた。
視界が、白く染まる。
最後に見たのは、私の拠点を汚いブーツで踏み荒らそうとする略奪者たちの姿だった。
次の瞬間、私は図書館の裏手、通用口の前に立っていた。
背後で、正面玄関のドアが何か巨大な力で破壊される轟音が響く。
もう、振り返らない。
私は、自分の全てだった図書館を背に、夜の闇へと一人、走り出した。
どこへ向かうかなんて、分からない。
当てもない。
ただ、今は少しでも遠くへ行かなければ。
冷たい夜風が、頬を撫でる。
私の口から、か細い呟きが漏れた。
「……どこへ行けばいいんだ……?」




